雪 花
ぼたん雪舞う日の思い出がよみがえりました。
少年は医師になり、少女は看護師になりました。
人から人へ、町から町へ、大幸病院の院長先生は優秀な博士で、誠実な名医だと評判になっていました。
徹也少年は、そのことを知りませんでしたが、その父母を尊敬して素直で賢い子供でした。
ある冬の冷たく寒い日のこと、暖かい家の中で、少年は熱心に絵を描いていましたが、足りなくなった絵具が欲しくなって町内の文具店へ出かけたのです。
人もまばらな大通りを行くと、灰色の大空からボタン雪がひらひら舞ってきました。
ぼたん雪か、めずらしいな。
足を速めてお店に着くと、白と緑と青のチューブ三色を買って帰り道を急ぎました。
さわさわと降る雪をながめながら大通りを曲がり裏道を行くと、農家の家の前で一人の少女が、しきりに降ってくる白い大空を見上げて落ちてくる雪花を両手で受けているのでした。
その黒髪にも両の赤い手袋にも、ほんのりふわりと白い雪が乗っていました。
かわいい。
少年が立ち止まり姿を見ていると、少女が気がついてはにかみ、うつむいて自分のズボンの膝《ひざ》の色違いな継ぎを見て、パッと家の中へかけこんで姿が見えなくなりました。
少年の目の奥に少女の白い顔と仕草がいつまでも残りました。
文具店へ行くたびに、少女の家の前の道を歩くのでしたが、少女に出会うことなく年月が過ぎたのでした。
祖父の後を継いだ父の大幸病院は評判が良く県内外からの患者が増えて、建物も大きく広く新築され設備も立派な大病院になっていました。
少年は父の後を継ぎ、医師になりたくて勉学に励み、念願の東京大学医学部に合格し卒業して大学病院の外科医となったのです。
医師になって昼も夜なく働き学び、毎日どのよぅに治療したら良いかと明け暮れて、さらに数年が過ぎた年末に、休暇で故郷に帰り、新年早々の久方ぶりの小学校クラス会に出席したのです。
沢山のお料理が次々と運ばれ、一人一人の目の前で小さな鍋物が湯気を立てています。
皆、少年少女時代の懐かしいクラスメイトで、大人になった一人一人が顔も姿も思いがけなくて喜びと楽しさにあふれていました。
たけなわになったころ、一人の女性が遠慮しながら徹也医師に近づいて、小さな声で話かけました。
「三つ下の広野真奈子ちゃん、知ってみえます?」
徹也医師は優しい目をしてうなづきました。
「私のいとこなんです。徹也さんが東大医学部に合格して東京へ行かれたとお話したら、真奈ちゃん、私、看護師になるわ、って言ったの。それで看護学校出て、大幸病院さんに勤めてたの」
徹也医師の黒い目が一瞬きらりとなりました。
「いつか徹也さんと一緒に働けたら幸せだってお話してたのに、前から熱烈に望まれてて、去年の秋に結婚して神奈川へ行ったの」
徹也医師はどんなに驚いたことでしょう。
ただ一度、一目だけのあの時がよみがえり、胸がキリリと痛くなりました。
ズボンの両膝に継ぎがあった。大きくなったら結婚して新しい素敵な服を着させてあげるんだと思い考えた少年のころ。徹也医師は少女の真奈子のきれいな顔と赤い手袋を目に浮かべ、初恋が雪花のように消えたことを思い知ったのでした。