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狼はそこにいる 青狼の軌跡  作者: ひなたひより
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第9話 困った女

 明け方、ようやくアパートに辿りついた俺は、取り敢えず冷蔵庫にあった冷たいビールを一気に喉へ流し込んだ。


「んまいっ!」


 普段は朝っぱらからビールを飲むことなど無い俺だが、あまりの喉の渇きにすぐさま二本目を開けてグビグビと喉を鳴らした。


「くっそ、ひでえ目にあった」


 俺がぶつくさと不満を口にしたのには理由があった。

 昨晩起こったマリとの決闘のあと、俺たちは和解してマリは機嫌よく帰って行った。

 高そうな真紅のスポーツカーのテールランプを見送ったあと、俺は山中に置き去りにされたことに気付いた。


「一体ここはどこなんだ……」


 狼の方向感覚をフル稼働させて薄気味悪い山の中を走り、森を抜けてからも、車道を何時間もかけて自分の脚で走って帰ってきた。

 不死身の狼男だって熱帯夜に走り続ければ喉がカラカラになる。

 唯一財布に残っていた千円札で、途中で見つけた自販機のジュースを買おうとしたところ、千円札が詰まってしまった。

 たっぷり汗を吸った財布のせいで、中の千円札がしなびていたからだろう。

 ジュースも買えず、貴重な千円札もそのまま俺の元へは戻ってこなかった。

 そして俺は途中にあった公衆トイレの水をがぶ飲みしつつ、アパートまで戻ってきたというわけだ。


「あのクソ女。二度とくんな!」


 俺は三本目のビールを飲み終えてから、蒸し暑いアパートの部屋で天井に向かって不満をぶちまけた。

 取り敢えずシャワーを浴びて裸のまま浴室を出ると、そこに先ほど不満をぶちまけたばかりの俺を置き去りにした女が座っていた。


「なんだっ! なんでお前がここにいるんだ!」


 満月期の狼男が油断していた。

 シャワーを浴びていたせいで、俺の聴覚と嗅覚をすり抜けてマリは侵入してきたのだった。


「酷い言い草ね。せっかく心配して来てやったのに」

「酷いのはどっちだ。俺をあんな不気味な山中に置き去りにしやがって」

「うっかりしてただけよ。気付いて戻ったらもうあんたはいないし、自力で帰ったんだって解釈したのよ」


 やはり人間とは感覚が違う。眷族の思考回路はなかなか手強いようだ。


「で? 俺の様子を見てどうすんだ?」

「なによその態度、せっかく朝ごはんくらいご馳走してあげようと思ったのに」

「本当か? そりゃありがたい」



 というわけで、まんまと朝ごはんにつられた俺は都内のホテルで朝食バイキングにありついていた。


「よく食べるわね」


 マリはがっつく俺の顔をさっきからじっと眺めている。

 その表情には昨日までの刺々しさはなく、珍しい生き物を観察するような好奇心が窺えた。


「食える時に食っとくんだ。君も食べろよ」

「私はもういいわ。甘いものは別だけど、人間の食事はどうも好きになれないのよ」

「食わず嫌いじゃないのか? 人間の食べている物だって結構美味いんだぜ」


 マリは俺の言葉を聞き流してコーヒーに口をつける。

 香りを愉しむようなしぐさを見ている限り、嗜好品の味に関してはそれなりに分かるのだろう。

 何が気に入ったのか、妙な関心を寄せてくる眷族の娘に、俺も少しばかり興味を覚えた。


「君は見事な赤毛だね。肌も白くってとても日本人には見えないな」

「祖母が外国の眷族だったの。いわゆるハーフね」

「へえ、そうだったのか、マリって名前は日本人っぽいけれど」


 少しマリの表情に翳りが見えた。あまりその話題を歓迎してい無さそうだ。


「普段は明かさないけれど、あなたには言っておくわ。私の本名は十六夜マリアンヌ。祖母がつけた名前だけど、私は気に入ってないの。マリと呼んでくれたらいいわ」


 祖母と何らかの確執が在るのだろうか。マリアンヌという名を相当毛嫌いしている様子がありありと窺えた。


「あのさ、もう一つ失礼を承知で聞くけど、君って幾つなんだい?」

「女性に年齢を聞くとはとんだ恥知らずね。でもいいわ、私だけあなたの年齢を知っているのもフェアじゃないものね」


 淡々と言ってのけた理屈は、何だか筋が通っていた。

 マリに年齢を告げた記憶はないが、当然見合い相手の情報はある程度事前に伝わっていたはずだ。

 逆に俺が無関心過ぎて、まるでマリのことを知らなかっただけなのだろう。


「人間の数え方で二十六歳。あなたよりお姉さんよ」

「へえ、眷族にしては若いな」


 俺は素直に感心していた。

 一般的に眷族たちは歳をとるサイクルが極端に遅い。

 俺が今まで出会ってきた眷族は外見が若くとも、優に百歳を超える奴らばかりだった。

 人間のものさしで測った場合、年寄りどころか死人といった連中ばかりの中、これほど若い眷族の娘にお目にかかったことは、かつて一度も無かった。


「質問ばかりで悪いんだが、これから君はどうするんだ?」

「心配しないで。今度はちゃんと送っていくわ」

「いや、そうじゃなくって、朝飯を御馳走するために来たわけじゃないんだろ」


 マリは大きな紅い虹彩の瞳を俺に向けて、小さく首を横に振った。


「琉偉、あなたは私に宣誓した。それはとても特別なことよ。特別な宣誓をした相手に関心を持つのは自然なことではないかしら」

「君の好奇心はその若さから来るものなのか?」

「馬鹿ね。その質問に答えられる者などいないわ。もともと好奇心なんてものは説明のつかないもの。雲を掴むようなあやふやなものに解答を見いだすことに意味などない。そうでしょ」


 マリはまるで小さな子供を窘めるかのように、軽く微笑んだ。

 生粋の純血であるマリは、このような教育を眷族によって受けているのだろう。

 俺は彼女の言葉をそう解釈しつつ、そういった考えかたもあるのだなと素直に感心していた。



 そして困ったことになった。

 十六夜マリはその日を境に毎日俺を訪ねてくるようになったのだ。

 来るたびに飯を食わせてくれるのはありがたいのだが、おかげで身動きが取れなくなった。

 まさか眷族の娘を連れて穂乃花に会いに行くわけにはいかない。

 僅かな隙を見つけては穂乃花のもとに出向いていたが、そのうちにマリは俺がどこへ通っているのかと勘ぐりだした。


「ねえ琉偉。あなた忙しくしているみたいだけど、どこへ出かけているの?」

「ああ、バイトだよ。生きていくために仕方なくさ」

「どうして? あなたは名門の出でしょ。お金を稼ぐ理由がないじゃない」


 何だか面倒くさいことになってきた。

 マリは俺のような輩が珍しいと見えて、やたらと詮索したがるようになってきた。

 そして、もともとやることがなくて暇なのか、バイト先にまでついてきだすようになった。

 海外の狼人間を祖先に持つマリは、日本人離れした美人だったので、俺の後をついて回るマリはどうしても注目を集めていた。

 そのことも俺にとっては悩みの種だった。

 人間社会に関して、ほぼなんの知識も持ち合わせていない箱入り娘のマリは、ともすれば街中でとんでもない爆発を起こしてしまいそうな危険人物だった。

 注目を集めるマリがトラブルに巻き込まれでもして、怒りにまかせて大暴れすれば、簡単に大勢の死人が出るだろう。

 またマリが普通の人間でないことを知られでもしたら、眷族の手の者が始末しにかかるに違いない。

 穂乃花に会いに行きたいが、マリのことも放ってはおけない。そんなジレンマを抱えていた時に、恐れていた事件は起こった。


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