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狼はそこにいる 青狼の軌跡  作者: ひなたひより
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第5話 機嫌の悪い女

 困ったことが起こった。

 それはあの穂乃花に纏わることではなく、個人的な俺の問題だった。

 安アパートの階段を誰かが上がってくるのが、満月期の俺にははっきりと知覚できていた。

 月齢13日。

 真円に近づいた守護星は、俺の中の狼を外へと引きずり出そうとする。

 その狼が今、俺の中で低い唸り声を上げていた。

 階段を上がってきた足音は、やがて俺の部屋の前で足を止めた。

 三年ぶりぐらいだろうか、俺がこの訪問者と対面するのは。

 ドアがノックされる前に、俺は扉を開いた。


「何しに来た」


 きっと俺の目は紅く光っていただろう。

 俺はもう二度と会うことは無いと思っていた訪問者に怒りの目を向けた。


「久しぶりだな。琉偉」


 真紅の目を向けて俺を見下ろしていたのは大上宗吉。俺の父親だった。



 黒塗りの高級セダン。古臭い眷族が好みそうな車の後部座席に俺は収まっていた。

 隣には大柄な俺の父、大上宗吉が乗っている。

 外見は四十代後半くらいの紳士。しかしその中身は五百年を優に超える時間を生きてきた生粋の眷族だった。

 お互いに視線を合わすこともなく、車は幹線道路を進んでいく。

 俺が大人しく車に乗ったのは、もし玄関先で誰かに話を聞かれたら、その内容によっては処分されてしまうからだった。

 聴かれてはマズい話なのかどうかは知らないが、その内容を親父が話す前にアパートを出るのは最良の選択だった。

 俺は口の中に苦いものを感じながら、親父の要件が、頭の隅にあるあの母娘のことでないことを願っていた。

 如月の動きを悟られて、俺に直接会いに来たのではないだろうか。親父の重い腰を上げさせるほどの何かがあったのは間違いない。

 その原因になりうるとすれば、穂乃花のこと以外に思い当らない。俺は冷たい汗でわきの下をぐっしょり濡らしていた。

 冷酷を絵にかいたようなこの男が、あの母娘に何をするのか考えただけでも恐ろしかった。


「どこへ連れていくつもりだ」


 俺はしゃがれた声で、全く顔色を変えない蝋人形のような横顔に問いかけた。


「そのうちに分かる」


 それ以上の質問を許さない厳しさを含んだ声色だった。

 怪物というのはこういう喋り方をするのだと、俺はあらためて知覚した。

 車が到着したのは眷族の息のかかった高級旅館だった。

 雅な門構えを通って店内に入ると、和服を着た女将と女中たちが完璧な出迎えをしてくれた。


「お待ちしておりました。大上様」


 指をついて恭しく頭を下げられたのもあるが、俺はいささか居心地悪い気分だった。

 アパートを出たなりの黒のジャージ姿で来る所ではなかった。


「琉偉様はこちらへ」


 品のある女中に付いて来てくださいと言われ、別室に通された俺はそこで高そうなスーツに着替えさせられた。

 いったい何が起こるのかまるで想像できないまま、俺はまた女中に先導されて旅館の磨き込まれた木製の廊下をついて行った。

 そして、ひときわ豪華そうな襖絵が描かれた部屋の前に案内された。


「大上琉偉様、入室いたします」


 二人の女中が襖をスッと開くと、予想していなかった光景が、俺の目に飛び込んできた。

 いかにも格式の高そうな部屋に置かれた大きなテーブルの上には贅を尽くされたような料理が並んでおり、その席についているのはどこかで見た様な眷族の男と、長い赤毛が印象的な娘だった。

 男の方はスーツ姿で、娘は黒に近い濃紺のドレスに身を包んでいる。

 親父は、その二人に向かい合うように、すでに席についていた。


「琉偉、席に着け」


 大上宗吉は拒否を許さぬ口調で隣の席に目を向けた。

 やや拍子抜けしてしまった俺は、言われるがまま席に着いた。

 差し向かいには赤毛の女が座っている。若そうだが、眷族の年齢は外見では測れない。

 そして斜めに座る、小柄な三十代くらいの男が俺に向かって、うやうやしく頭を下げた。


十六夜小五郎いざよいこごろうと申します。お初にお目にかかります」

「大上琉偉です」


 あらたまったその態度に、俺も一応は礼儀を見せておいた。


「この度は大上様のご子息にこのような時間を取っていただいてまことに恐縮しております……」

「お父様」


 赤毛の女がきつい感じでそう言った。

 ようやくこの二人が父娘であることを俺は知った。


「眷族とあろうものが、このような混血児に頭を下げる必要などありません。どうせ見合いといっても茶番なのでしょう。顔も見たことだしそろそろ帰ってもよろしいかしら」


 ずけずけと蔑まれてむしろ心地いいくらいだ。歯に衣着せないプライドの高い女だった。

 しかし、今の赤毛の発言で、これが見合いだということが分かった。穂乃花のことを詮索されると思っていた俺は、ようやく安堵した。


「言葉を慎みなさい。大上様の前だぞ」


 赤毛の父親は、娘の不遜な態度に肝を冷やしたのだろう。その額には目に見えるほどの冷や汗の珠が浮き上がっていた。

 三大眷族の血を引く大上家を前にして、娘の父親は必要以上に萎縮している。血統を重んじる眷族の社会ではこれぐらいが当たり前なのかも知れない。俺には関係ないことだが、十六夜小五郎は、目の前に座る男の威光に目がくらんでいる感じが見て取れた。

 そして、俺と同じく、そう言った目に見えないものにブレることの無い女が俺の目の前にはいた。


「いいえ、言わせてもらいます。混血種の分際で一番遅れて入室する不遜な態度。下賤の血が混ざっているだけあって最低限のマナーすら守れない低能ぶりだわ」


 跳ねっ返りのその発言を大上宗吉は無表情で聞いている。いや、特に聞いている訳でもないのかも知れない。

 しかし、赤毛の父親はそうはいかなかった。蒼白な顔で娘の減らず口を何とかしようと必死になっていた。


「申し訳ありません。少し気難しい所はありますが、根は素直な娘なんです。慣れないお見合いできっと緊張しているんだと思います」


 確かに気難しくて素直だ。父親はよく娘のことが分かっている。

 俺は、この娘が見合いの席を荒らしてくれたのに便乗することに決めた。

 この娘がそうであるように、俺もそろそろこの茶番に幕を引きたかったのだ。


「お嬢さん、あなたは俺が下賤な奴だから礼儀知らずの低能だとおっしゃるんですね」

「ええ。そのとおりよ。認めるわけね」

「俺がマナーを知らないのは、俺が混血種というのとは関係ない。そこは訂正してもらおうか」


 言い返してきたことに腹を立てたのか、娘はこめかみに青筋を浮き上がらせた。


「純血に向かってなんという口の利き方。死に値しますよ」

「へえ、お偉いさんは口の利き方ひとつで相手を殺すのか。あんたの夫になる奴は一言もしゃべらない方がいいんだろうな」

「無礼者!」


 紅い虹彩の瞳を爛々と輝かせて、赤毛の女は唸り声を上げた。

 俺はますます面白くなってきたと内心ほくそ笑んだ。


「俺が礼儀知らずなら、あんたはどうなんだい? 俺が名乗ったのにあんたはキーキー言ってるだけだ。あ、もしかしてそのキーキーが名前なのか?」

「わたくしを愚弄するのをやめなさい! さもないと」

「さもないと?」


 興奮と怒りで顔を真っ赤にした娘は、俺を睨み殺そうとするかのような目を向けて、ぎりぎりと歯を鳴らした。 

 唇の端から犬歯が覗いている。俺に向けられた怒りが、彼女に僅かな獣人化を起こさせつつあるようだ。


「あんたとはこれ以上話すことは無い。くだらないことに時間を使いたくないわ」


 娘は席を立った。ありがたい。これで俺もここから出ていくことができる。

 そのまま行かせても良かったのだが。どういうわけか、この跳ねっ返りに俺の食指が動いた。


「名前くらい名乗ったらどうだ。眷族の礼儀に反するんじゃないのか」


 部屋を出ようとした娘は、振り返って紅い虹彩の瞳で俺を睨みつけた。


十六夜いざよいマリ」


 吐き捨てるようにそれだけを残して、娘は部屋を出て行った。



 娘が出て行ったあと、俺は前に並べられたご馳走をぺろりと平らげて旅館を出た。

 相手の父親は平謝りに親父に謝っていたが、俺には一度も頭を下げなかった。

 親父が何を考えているのか、俺には最後まで分からなかった。

 アパートの前で車から降りようとしたときに、親父はボソリとこう漏らした。


「今すぐとは言わない。あの娘と結婚しろ」


 何の感情も、こもってい無さそうな声だった。

 俺は走り去った車を見送ってから、アパートの階段を軽いステップで上がった。

 あの母娘のことを詮索されなくて良かった。

 俺は、久しぶりに美味いものを腹に入れられたことを歓迎しつつ、また明日、穂乃花の面倒を見る約束をしているのを、頭のどこかで歓迎していた。

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