第4話 幼女と狼男
由里子の話を聞いて、俺は愕然としていた。
あまりの衝撃に、やっと口を開いた俺の声は幾分しゃがれていた。
「そんな……あり得ない。新月の時はすべての超能力が使えないはずだ」
「でも、穂乃花はあなたを見つけ出した。あれだけ大勢いた食堂の中で」
「いや、何かの間違いでは……でも俺を見つけたということはそういうことなのか……」
動転しすぎて頭の中が整理できない。本当に理解できないものに直面したときはこうなるのだと、身をもって知った。
宝くじで一等を引き当てたとしても、ここまでは驚かないだろう。
「新月に俺の匂いを嗅ぎ分けたとしたら、それはもう奇跡としか言いようがない。俺たちは例外なく月の運航に支配されている種族だ。守護星が輝いていない時に力を使える者など世界中探してもこの子だけだろう」
「私はそこまであなたたちのことを知っているわけでは無いけれど、あなたがそこまで言うのなら大変なことなんでしょうね」
俺は安易に引き受けた今回の人探しが、自分の手に余る代物だということをまさにいま痛感していた。
「この子は特別な子だ。匂いを嗅ぎつけたら最後、奴らは血眼になって探しに来るだろう。慎重に行動しないと……」
俺の動揺が伝染してしまったのか、穂乃花を膝に座らせたまま由里子は固い表情をしていた。
「それで、父親を探してどうするんだ。たとえ連絡を取れたとしてもそれだけで解決するとは思えないが」
「あの人は手紙にこう書いてくれてたんです。安全に暮らせる場所を探して必ず迎えに行くと」
「そうか、それで……」
「はい。でも、娘がもうすぐ五歳になるというのに、もう四年も連絡がなくて、私不安で……」
俺はこの気丈に振る舞っていた母親の心情をようやく察した。戻ってくると信じるには四年間はあまりに長すぎたのだろう。
いつかは家族揃って、何の心配もない新しい土地で暮らせる。そう信じて彼女は今までこの特別な力を持つ娘を育てて来たのだ。
これからどうしていいのか途方に暮れていた時に、俺の存在を知ったのだろう。
「任せておけとはとても言えないけれど、君とこの子の期待に応えれるよう力を尽くすよ。あと、他に俺にできることがあったら言ってくれ。何か力になれることがあるかも知れない」
俺の言葉は彼女の心の重荷を少しは軽くしてやれたのだろう。
堰を切ったように涙をあふれさせた由里子は、その掌で何度も顔を拭った。
本当は声を上げて泣きたかったのだろう。
しかし彼女は娘に心配をさせまいと、静かに俺の前で涙を流し続けたのだった。
如月から連絡をもらい、俺はまた先輩から借りた古い小型車に乗って一流大学を訪れていた。
校門の前で俺を待っていた如月は、助手席のドアを開け、乗り込んだ瞬間に大慌てで振り返った。
「な、なんだっ!」
ポーカーフェイスの如月らしからぬ慌てっぷりに、俺は犬歯を覗かせてニヤリとした。
如月が顔色を変えたもの、それは後部座席に備え付けたチャイルドシートに機嫌よく座っている穂乃花だった。
「なんだ! どうなってる!」
「まあ、落ち着けよ。まだ気付かないか?」
「気付くって……あっ!」
如月はさらに助手席で驚嘆していた。
たった今、穂乃花が混血種であることを嗅ぎ分けたのだった。
「どうなってる? お前の娘ってことか?」
「いいや、俺の娘じゃない。切れ者のお前も狼狽しすぎてちゃんと思考できないみたいだな」
「おまえの娘じゃないとすると、この娘は……」
如月は穂乃花を振り返ったまま、落ち着いて考えようと努力した。
「今回の依頼人の娘ということか?」
「正解」
「誘拐したのか?」
「するか! 何言ってんだ!」
取り敢えず車を走らせて、道路沿いにあったあまり流行っていなさそうな喫茶店に入った。
穂乃花がおしっこをしたいと言い出したからだった。
店に入るなり、先に穂乃花をトイレに連れて行き、そのあと俺たちは苦い顔でコーヒーを飲んでいた。
穂乃花は、でっかい容器に盛られたプリンパフェに、機嫌よく手を付けている。
「で、なんでこの子とお前が行動を共にしてるんだ?」
落ち着きを取り戻した如月は、至極当たり前のことを聞いてきた。
「今日は母親が忙しくってさ。おばあちゃんは月に一回の美容室に行ってるし、俺が預かることになった」
「あのな、一体おまえは何がしたいんだ? どう考えてもおかしいだろ」
「そうか? お前なら理由が分かりそうだと思ったがな」
俺の謎かけに、如月は険しい表情のまま、コーヒーをまた一口すすって目を閉じる。そして呆れ顔で口を開いた。
「カモフラージュか。念がいったことだ」
「流石だな。つまりそういうことだ」
つまりはこういうことだ。穂乃花は狼人間だ。しかし子供なのでその体臭はかなり薄い。もし眷族が周りにいたとしても俺が傍にいれば、俺の狼臭が上書きしてくれる。
人間とウロウロしている方が、眷族のアンテナに引っ掛かり易い。俺は単純にそう考えて行動を共にしていたのだった。
「まあ、発想は認めるよ。それにしても……」
如月は並んで座る俺と穂乃花を交互に何度か見た。
「なんだかしっくり来てるな。良く懐いてるみたいだし」
「ああ、穂乃花とは仲良しなんだ」
俺がそう言うと、穂乃花は顎と口の周りに白い生クリームをいっぱいつけながら、ニッと笑って見せた。
「おいおい、サンタさんみたいになってるぞ。ちょっとじっとしてろ」
俺は紙ナフキンを何枚か掴んで、穂乃花の顔を綺麗にしてやった。
「別嬪さんが台無しだ。よし。これで可愛くなった」
「ありがと、ウイ」
その様子を見て、如月はやれやれといった顔をしていたが、それはそれで俺には愉快だった。
如月は穂乃花の父親のことを、ひと通り調べてくれていた。
「名前は秋月御影、中流眷族の混血種だった」
「そうか。俺が進藤由里子から聞いていた名前とやはり違っていたか」
失踪した混血種の男は、由里子に山田修一と名乗っていた。
俺や如月のように本名を使って人間社会で暮らしている混血種は少ない。
本当の名前以外を幾つか持っていて、相手に合わせて使い分けている者が多いと言われている。
秋月御影の場合は、本名を伏せておくことで由里子と娘の身を守りたかったのではないだろうか。名前を不用意に口にしただけで、眷族は不穏分子として調査の対象とする場合があるからだ。
秋月御影という男が進藤由里子と娘の身を本気で案じていたのだと、俺は信じたかった。
「眷族の行方不明者リストの中に秋月御影の名前があった。失踪して三年。眷族の調査班が行方を追っているが、未だに姿をくらましたままだ」
「そうか。今のところは上手く欺いているみたいだな」
「まあそうだな。だが家族のために身を隠しているとすると、そのうちにあいつは行動を起こすんじゃないだろうか。眷族に悟られる前に家族と逃げおおせられればいいが……」
俺は如月のもの言いに、想像上のピンと尖った耳をピクリと動かした。
「今逃げおおせられたらって言ったよな。そんなことが可能なのか?」
「ああ、今までにいくつか例はあるんだ。眷族は自分たちの沽券にかかわるから公開しないがね」
「教えてくれ。どうしたらこの家族を安全な所に逃がしてやれるんだ?」
食いついてきた俺に、如月は沈黙で応えた。その先を言ってしまえば俺が行動を起こすことを知っているからだった。
「なあ、如月、頼むよ。恩に着るからさ」
「駄目だ。お前は絶対無茶をする。今回の一件は一歩間違えば評議会を敵に回しかねない事案だ。大火傷では済まないかも知れない」
如月はその先のことについては頑なに口を閉ざした。
しかし、この先も秋月の動向にアンテナを張っておくことと、由里子と穂乃花の安全に力を貸すと約束してくれた。
俺はまた口の周りをベタベタにしてしまった穂乃花の顔を拭いてやる。
「ウイ、美味しかった」
「ああ。このおじちゃんにお礼をいっとけよ」
「なんだ? 俺が奢るのか?」
先に穂乃花にお礼を言われてしまい、如月は渋々ポケットから財布を取り出した。