第29話 眠る狼女
前歯の殆どを失った料理長は、マリの居場所だけを知っていた。
先にここへ連れて来られた穂乃花たちのことについては、まるで知らないようだった。
さっき言っていたように、この男とあの巨漢はここで眷族の食事を作る料理人なのだろう。
嘘をついている感じでは無かったので、取り敢えずはマリの監禁されている部屋へと案内させた。
「なあ、あんた。さっきは俺からいったい何を聞き出そうとしていたんだ?」
「いや、それは……」
俺は前を歩く男の背に、さっき奪った包丁の先端を押し付けた。
「さっきブスリとやってくれたみたいに、俺もやっていいか?」
「いや、勘弁してください。大したことじゃないんです。逃走した仲間のことを聞き出せって言われてまして」
「ほう、そうか」
男の失言で、俺は如月が無事にあの場を逃げおおせたことを知った。
あいつのことだ、あの賢い頭を使って、何かやってくれるに違いない。
「しかし腑に落ちないな。なんで料理人のあんたらが、拷問官の役目をしてたんだ?」
「あれも俺たちの仕事なんです。生きながら精肉されたら、大概の奴は何でもペラペラ喋ってくれるんですよ」
確かにそうだろう。しかし人間のくせにマリみたいな思考回路だ。意外と話してみればマリと意気投合するのかも知れない。
「ここですよ」
「ああ、もう着いたのか」
頑丈な鉄製の扉を、小男が持っていた鍵で開けると、そこにはベッドの上で全裸で横たわるマリの姿があった。
俺と同じように手足は縛られているが、俺には少し引っ掛かるものがあった。
「なんで全裸なんだ?」
「いや、まあ、ちょっと中身が気になって」
「やらしいこととかしてないだろうな?」
「め、滅相も無い」
何となく声色に嘘がある。俺は犬歯を剥きだして正直に言えと迫った。
「すみません。本当は色々触ったりしました」
「それだけか?」
「はい。それ以上のことをしたら、旦那様にお叱りを受けますので、お触りだけです」
どうやら本当のことを言っているようだ。
俺の嗅覚にも、特段引っ掛かる物は無かった。
「それでお前が脱がせた服はどうしたんだ?」
「処分しました。もう服を着ることも無いだろうと思って」
料理してそのままテーブルに並ぶわけだからそういうことになる。
成る程、納得できる言い分だった。
それはいいとして、俺にはまだ気になることが一つあった。
「ちょっと聞くが、なんでこいつはベッドで、俺は汚い床の上だったんだ? 扱いがだいぶ違うみたいだけど」
「それはあのデカいのがそうしたんです。俺はこっちの面倒を見てましたんで」
この助平面は、面倒なことをデカいのに押し付けて、自分だけお触りを愉しんでいたようだ。マリが目覚めて、そのことを知ったら即刻処刑されるだろう。
俺はまず、手にしていた包丁でマリのロープを解くと、男の着ていた服を脱がせて、苦労しながらマリに着せた。
小柄な男の服は、マリの体にはワンサイズ小さめに思えた。
ぴっちりとしたシャツからこぼれだそうとしている胸元が、異様にエロティックだ。
勿論ノーブラなので、たわわな果実の先端部分が明らかに目立っている。
俺が目のやり場に困っていると、パンツとシャツだけになった助平男が、まるで遠慮なくガン見していることに気付いた。
「見んな!」
げんこつを入れてやると、頭を押さえてのたうち回った。
少し力を入れ過ぎたみたいだ。
「う、うーん」
マリの声だ。いいタイミングで覚醒してくれたみたいだ。
「マリ。気が付いたか?」
「琉偉……ここは何処?」
ベッドから身を起こしたマリは、まだうつろな目で部屋の中を見回した。
「あの施設の中だ。俺たちは拉致されたんだ。俺は先に目が覚めて、何とか自力で部屋を脱出してきたんだ」
「流石ね。やっぱり私の見込んだ男だわ。ところでそこの半裸の男は何者なの?」
怯えた目で小さくなっている小男を、マリは指さした。
「ああ、こいつはここの料理長だ。君に着るものを提供してくれたんだ」
「へえ、それは感心ね。ところでどうして私は裸だったわけ?」
「それはこの男が脱がしたからだよ」
「生かしとく価値のない、ゴミってわけね」
処刑を宣言したマリは、ベッドから降りて、怯える男に一歩近づいた。
その足取りがふらついているのを見て、俺は体を支えてやる。
「無理をするな。まだガスの影響が残ってるんだ」
「そうみたいね。まっすぐ歩けないわ」
やや気分が悪そうに、マリは俺の肩にもたれかかった。
顔色の悪いマリをベッドに座らせて、俺は料理長に向き直った。
「殺されたくなかったら俺たちに協力しろ。なあ、あんたは知らないみたいだが、俺たちより前にここへ連れて来られた者がいるんだ。その辺を把握していそうな奴のとこに案内してくれないか」
「いや、旦那様の手前、それはちょっと……」
「旦那様って誰なんだ?」
その追及に、料理長はゴクリと生唾を呑み込んだ。
「いえ、その、実はあまり知らないのです。とても地位の高いお方みたいですが」
「そうか、やはり人間には詳しいことを知らせていないか」
眷族は人間を服従させるものであり、名前すら明かさないのが普通だ。
ただ役割を与え、従属させる。役に立たなければ別の者に替える。それが眷族のやり方だった。
この男は明らかに怯えている。
裏切りが明るみになれば処分される。恐怖に震えるこの男を従わせるには、その恐怖を凌駕するしかない。
「協力してくれるのなら見逃してやってもいい。だが、拒むのなら、あんたをさっき俺にしたのよりさらに酷い目に合わせる」
「さらに酷い目って……」
「生きながら食うのさ。あっちこっちちょっとずつ。まず腕から始めて、脚へ、そこから上へあがって睾丸を噛みちぎって、それから……」
「わかった。わかったからもうやめてくれ。あんたの言うとおりにしますから」
恐怖に震える男の顔をマリはつまらなそうに見ている。
「そうなの? 私お腹が空いてるんだけど」
そのひと言で、男はさらに震えあがったのだった。




