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狼はそこにいる 青狼の軌跡  作者: ひなたひより
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第12話 闇夜の訪問者

 月齢五日。

 新月期のしょぼくれた狼男が、ほんの少しだけシャンとし始めた頃だった。

 照明もついていないアパートの暗い部屋で、相変わらず涼しくもない外の空気を入れるために窓を全開にし、俺はビール片手にまだ心細い月を眺めていた。


「はああーーー」


 ため息を何度もついてしまうのは、先日如月から提案されたことが頭にあるからだった。

 如月は穂乃花の父親が死んでしまっていると嘘をつくことで、あの母娘を前に進めるようにしてやろうと提案してきた。

 如月にしては人間らしい解決法だ。恐らく俺の心情を鑑みてのことだろう。

 しかし今日もひどい熱帯夜だ。

 ため息もそうだが、俺の額からは珠の汗が浮き上がっていた。

 もう一本缶ビールを手に取ろうと冷蔵庫に手を伸ばした時に、俺の耳にカツカツという階段を上がる靴音が聴こえてきた。

 低めのヒールの音だ。訪問者は女のようだ。


「どうやらお客さんみたいだな」


 缶ビールを後回しにして、俺はズボンと干してあったシャツを身につけた。

 靴音は案の定、俺の部屋の前で止まった。

 故障した呼び鈴を押す気配がない。俺はドアの向こうにいる何者かの次の動きに注意を向けた。


 トントン。


 ノックの音だ。

 どうやらノックができるくらいのまともな訪問者らしい。俺は緊張を緩めてドアノブに手をかけた。


 ドン!


 実際に音がしたのかは分からない。だが俺の脳髄に突き抜けるような痛みがはしった。

 何が起こったのかを理解する暇もなく、俺の意識は混沌の中へと落ちて行った。



 目を覚ました時、相変わらずの蒸し暑い部屋で俺は仰向けに倒れていた。

 俺は覚醒したばかりの頭で、さっき自分に起こったことを整理していた。

 恐らく強力なスタンガンでドアノブに電流を流されたに違いない。

 体の芯を貫くような痛みはそれ以外考えられなかった。

 誰かが俺の顔を覗き込んでいる。

 紅い虹彩の瞳がぼんやりと光っている。一瞬知っている娘かと思ったが、十六夜マリではなく見覚えのない女だった。


「目覚めたようね」


 月齢五日の俺の暗視能力では、女の顔立ちをそこまではっきりと視認できるわけでは無かった。


「君は誰だ?」


 ショートカットの髪に、細面の輪郭、目が大きいことぐらいは見て取ることができた。


「先に私の質問に答えて。大上琉偉」


 謎の訪問者は俺の名前を呼んだ。少なくとも人違いでこうなったわけでは無いようだ。

 起き上がろうとした俺は、手足を結束バンドで縛られていることに気が付いた。まさに手も足も出ない状態にされていた。


「誰の差し金だ?」

「質問は私がするわ。でもあなた、その口ぶりだと方々で恨みを買っているみたいね」

「まあ、そうゆうことだ。あんたもその口ぶりだと、あまり俺のことを知らないみたいだな」


 この娘が狼人間であることに間違いはない。問題は何の目的で俺の口を割らせようとしているのかだ。

 俺は取り敢えず女の質問を聞くことにした。


「進藤穂乃花を知っているわね。あの母娘の周りをウロウロしているみたいだけど、あんたの狙いは何なんだい?」


 穂乃花の名前が出たことで、いま置かれている状況が深刻なものであることを悟った。


「何の話だ? 聞いたこともない名だが」

「しらばっくれても駄目よ。ここ数日あんたに張り付いて、あの子と会っていたのを知っているんだから」


 新月時の狼人間の裏をかかれていた。

 監視されていたことに毛ほども気付いていなかった自分の尻を蹴飛ばしてやりたかった。


「素直に言いなさい。返答によっては生かしておいてあげるわ」

「その言い方だと、俺は返答次第で殺されるってことだな」


 女は沈黙で応えた。恐らくそういうことなのだろう。


「俺は口を割らないよ。残念だったな」


 俺が言葉を言い終える前に、さっき脳天を貫いたあの衝撃が襲ってきた。

 今度はギリギリ意識を保っていられた。気を失わないよう先ほどよりも電流を弱めているみたいだ。

 女は俺の頬骨に硬いスタンガンを押し付けて冷酷な声で囁いた。


「脳みそが痺れたんじゃない? 本当に記憶が飛んでしまう前に喋っておいた方がいいと思うわよ」

「知らないことは喋れない。無駄なことはやめとけ」


 こういった拷問に慣れているのか、女は俺が意識を保っていられるギリギリのラインで何度も電流をお見舞いしてくれた。

 何時しか俺の鼻と耳の穴からは血が流れだして、万年床の敷布団を汚していた。


「う、うう……」

「しぶといわね。バッテリーが切れてしまったわ」


 朦朧とした意識の中、女が鞄から注射器を取り出すのが見えた。


「あまり気が進まないけど、口を割らないあなたが悪いのよ……」


 女は囁くようにそう言うと、俺の首筋に注射針を押し当てた。


「楽になりなさい」


 注射針が首筋の皮膚を貫いた時だった。


「ごおおおおお!」


 咆哮を上げながら、疾風のように何者かが部屋に乱入してきた。

 そしてその乱入者は俺を殺そうとしていた女に掴みかかり、揉み合い始めた。

 二人は狭い部屋のあちこちに体をぶつけながら、しばらく乱闘を繰り返したのち一旦離れた。

 乱入してきたのは見覚えのある髪の長い女だった。


「マリ……」

「琉偉、助けに来たわよ」


 相手から目を離すことなく、マリはまた凶暴な唸り声を上げた。

 マリの乱入により不意を突かれた女は、どこかしら怪我を負ってしまったようで、出血により呼吸が荒れ始めていた。

 完全に状況が覆ってしまったことに、明らかに女は動揺していた。

 鞄の中に銃でも忍ばせていたのだろうか、女は焦りからか不用意に床にあったバッグに跳びついた。

 一瞬目を離した隙に、マリは女に襲い掛かっていた。

 あっという間に馬乗りになったマリは、女の首に手をかけて息の根を止めようと締め上げ始めた。

 暗闇の中でマリの紅い瞳が明るさを増す。

 悪鬼の如く敵を屠ろうとするマリに向かって、俺は必死で声を上げた。


「やめろ。そいつには聞きたいことがある」


 俺の声が聞こえていないのか、必死で抵抗する女の首をマリは締め上げ続けた。


「マリ!」


 必死で叫んだ俺に、ようやくマリが反応した。


「止めないで。こいつはあんたを殺そうとした」

「駄目だ。そいつには聞かなければならないことがある。頼む。今は手を引いてくれ」


 俺の説得を受け容れて、ようやくマリは女を解放した。

 締め上げていた手から解放された女は、むせ返りながら必死で息を吸った。

 むさぼるように空気を肺に入れたあと、女は再びその場に崩れ落ちた。

 首からかなり出血している。どうやらそのせいで気を失ったようだ。


「マリ、解いてくれないか」


 マリは手足を縛っていた結束バンドを台所にあった包丁で切断し、俺を解放してくれた。

 俺は首に突き立ったままの注射器を引き抜くと、そのまま女の手当てをした。マリはそれを見て激しい怒りの目を俺に向けた。


「こんな奴をどうして助けるんだ!」

「狼人間でも、今の時期にこれだけの深手を負えば死んでしまう。手当てしないと」

「死んだらいい。決闘に負けたんだし当然だわ」

「マリ、さっきも言ったけどこの女には聞かなければいけないことがあるんだ。今は死なせるわけにはいかないんだ」

「今拷問して吐かせればいいじゃない」

「駄目だ。マリ、俺を信じてくれ」


 そのひと言でマリは大人しくなった。

 宣誓の重さというものがマリにとって余程のものなのだと、俺はあらためて知ったのだった。

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