①憂鬱な目覚め
いつのまにか寝ていた眠りの目覚めは、だいたい重い。
体を起こすだけで、肩周りが凝り固まっているのが分かる。
ちょうど手の位置にあったスマホを開く。
画面には退会済と表示されていた。
しばらく小さなディスプレイに釘付けになる。
またか。
昨晩最後の記憶であるマッチングアプリのメッセージ欄には、他人事のようにひらがなと漢字が揺れている。
希望の朝とは程遠い目覚めに、ベッドに体重を預ける。
退会済と出ているが、それは言葉の綾で、ブロックされたのだろう。
表示されていた写真の笑顔は思い出せるが、プロフィールの詳細は朧げだし、もう見る事はできない。
おそらく、写真の印象となんとなく見たプロフィールがいいと思ってマッチングしたが、後から私の離婚歴に気がついてブロックされたのだろう。仮定でしかないが。
昨日の夜、酒を飲んで楽しくなっているときにマッチングしただけに、一気に冷めた気持ちとの折り合いがつかず、前向きに今日を生きることを拒絶する。
無意識に手がタバコを求めるが、先日婚活のために辞めたのを思い出す。
大きく息を吐いて、時計を見上げると起きなければならない時間だった。
自分だけに大きな失望があっただけで、世界は今日も平常運行だ。私も早く準備を整えて乗り込まなくてはならない。
船乗りの例えが出てしまったことに苦笑する。仕事はサボって、漫画でも読もうか、と受信してしまった邪念を振り払ってカーテンを開けた。
今日もいい天気だ。
だからと言って、気分が晴れるわけではないが、日光を浴びると脳からセロトニンが分泌されて、精神安定につながるらしい。
目を細めて太陽を見上げていると、体が熱くなり汗がジンワリと浮き上がり、やんわりとした不快感がこみ上げてくる。
道路を見下ろすと通勤している人の往来があった。自分は在宅でできる仕事だが、これだけの人が毎日出社している。
自分は得をしている。だれかを見下ろすことで、不幸をなかったことにしたいと思う悪癖が顔を出した。
気を紛らわせるためにパソコンを起動させる。
会社の部下や取引先からたくさんのメールが来ている。
彼の心の支えとなるもの、誇れるものは仕事しかない。
バラエティ番組やドラマには感情移入できず、少しでも理解できないシーンがあると不快になる。
簡単なメールに返信していると気持ちが落ち着いてきた。
この組織の中で、確かな存在感を発揮しているオレは社会に欠かすことができない人間だ。
結婚していなくても、十分な税金を支払っている。
アプリなんかでは俺の魅力には気が付かないさ。
平常心を取り戻したので、カロリーメイトを咥えて、もう一度マッチングアプリを開いた。
先ほどの退会済となっている相手を非表示にして、他にマッチングした人とのメッセージ欄をのぞいた。昨日の仕事終わり、20時頃の自分からの返信で止まっている。
すぐには返事をくれないとわかってはいるものの、いまは誰かからの返信が欲しかった。
LINEを開いても気軽な連絡が取れる人はいない。寂しい日々だ。
37歳バツイチ、商社で管理職に就いているオレは、いわゆる優良物件だと思う。
しばらく、金で悩んだことはないし、客観的にみてどちらかと言うと端正な顔立ちだ。
結婚するまで、女性に困ったことはなかった。
ひとりでいることに虚しさを感じて婚活を始めて半年、まさかここまで苦戦することになるとは思わなかった。
2人ほど仲良くなり付き合ったが、短期間で別れることになった。マッチングアプリだからか、両方とも終わりはあっけないものだった。連絡先もブロックされてしまった。
自分が望む女性はどんな人なのだろう。結局、会って話してみないと分からない。なんてメッセージもあるが、会って話しても分からない。離婚や結婚詐欺はなくならない。人は変化するし、嘘をつける。そもそも、本当の自分なんてないから、本音と建前なんていつだって流動的だ。
私が一緒にいたいと思う女性は、このアプリの向こう側にはいないのではないかと思う。では、どこにいるのか。それこそ、仕事場や部屋にこもって自分の天命にしたがっているのではないだろうか。では、どうやったら出会えるのか。それは、もう偶然でしかない。
本当にそうだとしたら絶望的だ。
もしも、想像しているあなたもこんなに辛い思いをしているのだとしたら、すぐにでもマッチングアプリを辞めて欲しい。
僕はマッチングアプリを辞めることにした。
もちろん、実際には辞めていない。期待して縋るのを辞めただけ。
でも、1人で生きていることを許してくれない社会もあるし、親族が勝手にしている期待を裏切って悲しませることになる。
新聞を読んでいれば、統計を見たことがあれば、結婚せず、子どももいない、なんて状態は、もうすぐマジョリティになることを知っているはずだけど、そんなの向こう側の話である。
誰か受け入れてくれる人はいないかな。
そう思いつつ、今日も自分の居場所である仕事に心を集中させるのであった。