No.5「道化野郎」
「おまたせ!待った?」
待ち合わせ場所としてよく知られる狼の銅像。学校近くの商店街に現れたのは、笑顔の素敵な可愛い彼女!……ではなく。俺の主人であり上司である音響の魔術師さまだ。
「28分の遅刻、すげー待ったよ。」
「そこはさあ!”いや全然待ってないよぉ”ってフォローしてくれるところでしょ?」
「はあ?お前は俺の彼女か!」
「え?違うの!?」
そんなわけねぇだろ。いや、ご主人様であるほうがそんなわけねぇだろ!なのだが。
今日の音響の魔術師はいつもと違う。普段着ているブレザーの制服とは違い、ダボッとした上着を着ている。
また、スラックスではなく半ズボン。しかも超短い。春とはいえ……寒くないのか?
「ちょっと。そんなに脚見ないでよ。」
「ああすまん。寒そうだなって。」
「さ、寒くないよ。……今日は荷物持ち、よろしく頼むよ?」
「へいへい、主。」
音響の魔術師とお買い物デートである。
◇
最近、お兄さまの返りが遅いので、こっそりついてきてみたら、一緒にいるのは音響の魔術師。流石はお兄さま。大物魔術師と行動を共にしているとは。
ただ、あまりにも距離が近いです。
男同士の距離感なんてわたしには分かりませんが……。あれではまるで……。
「こ、恋人みたいではありませんか。」
悪い虫がつかないように危険人物をリストアップしていましたが、男性とは……。盲点でした。
「ミックス・アルデンティ。警戒リストに追加しなければ。」
脳内メモに新しく記録しておきます。
お兄さまが奪われてしまうかもしれない。帰りが遅いのがその証拠。
わたしたち兄妹はずっと一緒にいる。そう教えてくれたのは、お兄さまでしょう?
物陰からお兄さまを眺めていると、お兄さまとミックスが別行動を始めました。耳を澄ますと会話が聞こえてきます。
「おいミックス。どこ行くんだよ?」
「ちょっとお花を摘みに。」
マズイ。こちらに近づいてきました。尾行しているのがバレてしまうのは非常にマズイのです。
昔、お兄さまに怒られて以来、尾行は禁止と言われていたのに……。
「約束を破ったと知れたら、またお兄さまに失望されてしまいます。」
路地裏へ一度、避難しないと。と、思っていたのですが。
いくら逃げても追ってきます。流石にこれは不快……。
まさか……気づかれている?
「逃げても無駄だよ。マリィちゃん。」
「……!!」
ダボッとした服装のミックスは、その布地をひらひらと羽ばたかせながら、”浮遊”を使ってわたしの目の前に舞い降りた。
全力で逃げても追いつかれた。追いかけっこで風使いには敵わないのは当然だ。だが、問題はそこじゃない。物陰に隠れていたというのになぜ気づかれた?魔法は使っていなかったはずなのに。
「やあ。僕は音響の魔術師。君も来ていたなんてね!」
片手をあげてフラットな挨拶と笑顔を見せるミックス。
なぜわたしの存在に気が付いたのかを聞いたが……。「こちらと勘がいいんだ。」という曖昧な返事しか返ってこない。人には言えない何らかの仕掛けがあるのだろう。
「こっちも質問していいかな?何のために僕たちを尾行してたの?」
ここで弱気になってはいけない。
「お、お兄さまに悪い虫がつかないようにするためです。」
わたしは毅然とした態度で回答する。
「ふ~ん。僕も悪い虫ってわけか。」
「その通りです。お兄さまが友人と楽しい時間を過ごすことには賛成ですが、限度があります。お兄さまに近づき過ぎです。」
わたしは厳しい口調で指摘をした。しかし、彼の口からは、恐ろしくおぞましい妄言が帰ってきたのだ。
「んー。別にいいじゃん。アルスは僕の従者だし、アルスに何をしても僕の自由でしょ?」
お兄さまが……。
従者?
何をしても……自由?
殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス。
自由なわけがないだろう。何を思いあがっているんだ、このドブネズミは。
妹のわたしだってお兄さまに対して多少の自重をしているというのに、好きにしてもいいと思っているのか?
いくらお兄さまを独占したいからって、お兄さまを従える立場であると錯覚するなんて、妄想にもほどがあるだろう。
こんな頭のおかしい虚言癖の変態は、一刻も早くお兄さまから遠ざけなければならない。
まずは、同じ世界線から葬り去るところから制裁を開始しよう。
お兄さまの時間を奪う罪人。いくら期待の魔術師だからといって、思いあがりすぎだ。
彼には、一度痛い目を見せる必要がある。
「思い違いも、ほどほどにしてください。お兄さまはあなたのモノじゃない。」
わたしのモノだ!!
あらかじめ展開しておいた魔法陣を彼に向ける。これで、いつでも”氷塊”を放てる状態だ。
”氷塊”は属性魔術の中でも特に殺傷能力の高い魔術。脅しとしては有効だろう。
しかもここは狭い路地裏。風使いが自由に戦える場所ではない。
環境・魔力出力を踏まえて、わたしの有利は確実……のはずなのだが。
ミックスは一切の動揺を見せない。何故だ?わたしが本当に撃たないと思っているのか?
「クソ舐めやがって。」
魔法陣から氷を生成し、発動をちらつかせる。これで少しは危険を察知するはず。
「はあ……。」
緊張の高まる場面にこぼれたのは、溜息だった。ミックスの、退屈と失望が混ざったような吐息。彼からは、焦りも緊張も全く感じられない。
それもそのはず。彼にとってこの状況は、窮地どころか、日常以下の退屈なものだったのだ。
それを、次の魔術が証明する。
「こんなもんか。マリエル・バース。」
”音響・衝撃”
気づけばわたしは耳をふさいでいた。想像を絶する爆音に私は膝から崩れ落ちた。
こんな音圧、耐えられるわけがない。
気づいたときにはわたしの魔方陣はない。耳をふさぐために手を離したからだ。
そして、両手の塞がったわたしを、ミックスは無慈悲にも蹴り倒す。
不意を突いたはずが、一方的な敗北に終わった。この上ないほどあっけなく。
「アルスの妹と聞いて期待していたのだけど。君は普通だね。魔力出力も高いし、魔方陣の展開も早い。でも、それだけだ。凡人の域から出ないと、兄貴のアルスには敵わない。」
「くっ。」
確かにそうだ。わたしがお兄さまに敵うはずもない。瞬時に戦略を導き出し、その場に対応した”流星”をアドリブで改造するスキルとセンス。
常人では届かない領域だ。
だからどうした。それとこれとは関係がないだろう。
この馬鹿が思いあがっていることには変わりない。音響の魔術師と言えど、お兄さまには敵うはずがないのだから。
「クソッ!!」
戦いはまだ終わってない。そう息巻いて立ち上がるも、まっすぐ歩くことすらできない。三半規管をやられたのか。
これが音響の魔術師か。
「その足取りじゃ、まともに立つこともできないでしょ?だからさ。休日デートの邪魔、しないくれる?」
倒れ込むわたしの顔を覗き込み、念を押すように最後のセリフを言い放つと彼は去っていった。
地面に突っ伏した状態で、路地裏に一人取り残される。
「音響の魔術師。アイツだけはわたしが必ず……。」
憎悪に囚われたわたしの耳に、暗がりから囁きが聞こえた。
「チカラが欲しい?」
深淵に潜む悪魔の囁きが……。
◆
なんだ、アイツ……。道化師の仮面を被った大男が街中を歩いている。街はにぎわっているため誰も気に留めていないようだが、明らかに異常だ。
道化師はとある過激派宗教の象徴として知られるため、その仮面を被るなど、よほどの馬鹿か本当の邪教徒しかいない。
「……。」
やばい。目が合った。
慌てて目をそらす。どちらにせよ関わると厄介な人間だ。
どうやら目が合ったと感じたのは俺の方だったらしい。道化師は”路地裏”へと消えていった。
通報は、しなくてもいいだろう。余計な混乱が起こるのは避けたい。
「それにしても遅いなぁ、ミックス。」
お花を摘みに行ってから、かれこれ3分。まあ、体調が悪い日は時間がかかることもある。気長に待つことにしよう。
「やあ、待った?」
背後からやってきたミックス。あまりにも唐突だったため、少しビクついてしまった。急に消えたり出てきたり、忙しいやつだ。
「お前は……俺の背後に回るのが好きだな。」
「は、反応が面白くてつい……。でもいいでしょ?僕は君の主なんだぞ!」
ミックスは何度もこのことを念押ししてくる。
今まではなんでコイツの世話やら何やらをしなければならないのかとイラついていたが、今はそうでもない。
自分より強い魔術師を見て、学べることがあるかもしれない。これはチャンスなんだ。
「アルス、あの唐揚げ美味そう。早く買ってきて。ハイ、これ命令だから。」
これはきっとチャンスだ。最近はもっぱら、そう自分に言い聞かせている。
こうして、言われるがままに唐揚げの行列に並んだ。
その時だった。
「「……!!」」
遠くで魔力の爆ぜる感覚がした。
ミックスもそれに気が付いたらしい。目が合うとこちらに近づいてきた。
「アルス!今の……。」
「ああ。あの路地裏のほうから、大きな魔術の気配を感じた。」
「路地裏……。」
ミックスが口に手を当てて、何か考え込んでいる。
「何か心当たりがあるのか?」
「……いや。」
彼は目線を路地裏のある方へと向ける。
……もしかして、あの道化師の大男が何か関係しているのか。
そう思った矢先、もう一度爆発が起こる。今度は魔力だけじゃない。物理的な衝撃が地面を走る。同時に裏路地の方角にあった建物が大崩落した。
目線をやると、上空には魔術師が二人。一人は大鎌をもった道化師の大男。そしてもう一人は、血にまみれたボロボロのマリィだった。
「な、なんで……!?」
もの凄い勢いで吹き飛ばされるマリィと、とんでもない跳躍でマリィを追撃しようとする道化師。
あの大男がマリィを害したのは明白だった。
この時点で、俺の行動は決定する。
殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス。
「待って!アルス!!」
ミックスの静止を認識する前に身体は動いていた。
土魔術を応用した推進力で空中へと自分を飛ばした。
土使いは空中で不利?そんなことは関係ない。一撃で決めればいいのだ。
俺は強烈な空気抵抗を受けながら、続けて魔術を発動する。
「“製剣”」
魔力で刃を形成する。
魔力を抽出し、魔方陣を展開。そして魔術を発動。
この一連の流れをここまでスムーズに行えたことはない。そのくらい、俺の咄嗟の動きは洗練されていた。
減速する前に道化師の前までたどり着く。彼とマリィとの間に割り込んだ。そしてその勢いのまま、握りしめた“製剣”を振るう。
会心の一撃。
それを繰り出したのは俺じゃなかった。
俺がその刃を振り切る前に、奴の鎌が俺を捉え、刃と刃がぶつかる。
「オラァッ!!」
「なっ……!!」
なんだ、この威力は……。
膨大な魔力出力によるインパクト。鎌の刀身に集まる遠心力。そして膂力。
振りかざした鎌に完全に押し切られた結果、“製剣”は折られ、潰れるほどの威力で上空から地上に叩きつけられた。
「いい斬撃だ。少し弱いけどな。」
鎌を振るった勢いで、道化師の仮面が外れる。不気味な笑みを浮かべる規格外の敵。
突如として現れた悪者は、街中を火の海に変える。