イーマの恋形見 3
手紙をもってきた、王派閥の女伯爵と女騎士たちを玄関に入ってすぐの客間に待たせて、修道女たちは相談した。代表が女伯爵なのは、一応、女子修道院なので気遣っているのだろう。
「あの人、街道伯じゃないですか。権威的には、辺境伯と同等ですよ」
「え、伯って名乗ったけれど」
「王派閥の伯爵で、あの家名は街道伯にしかいませんから、名前でわかります。あんまり待たせられませんね」
気が付かない振りをしようと、姫は思った。
街道伯と辺境伯は、戦時の要なので異常事態時の持て成しが他の貴族と異なるので面倒くさい。イーマ王妃の子であった前の王が死去し、前王の弟(サーマ王妃の子)であった男が玉座に座ったが、ごたついている今、法の示す特殊・特例時期だろう。
20年近く手紙の代筆や遠目からの面会の身代わりを姫がやってきたから、疑われようもない。
ノーマ公のもっているイーマ公女の手紙は誰が鑑定しても、姫の手によるものなのだから。
問題は、現在の本物の公女である炭焼き小屋のおかみさんは35歳だが、姫は46歳になる。年がけっこう離れている。手紙だけ、門扉にいる騎士に、玄関から、ベールをしっかりかぶってただ未成年の礼をしてのけるのとはわけが違う。
ちなみに手紙をよこした王は28歳。
この面倒な話は、ウェマ公とウェマ(公派)妃がイーマ公ゆかりの女を女王にと望んだかららしい。
「即位した王は、サーマ妃の子で、サーマ派子爵に婿入りしてました。子供ができずに先王である兄が死んで、もう一人の兄は女種だった(正室と側室の間に娘のみ7人。ちなみに、ウェマ妃の子)ので、息子がいる元第三王子が繰り上げ即位です。サーマ寄りすぎる王に、ウェマは自分のところの娘をくれてやりたくないでしょう」
と、姫はすらすらと説明しながら、うっかり使者たちに聞かれないよう、本を開いて指で単語を示しながら、たまに書き損じの紙の裏側にない語を記して、
『詳しく言ってませんけれど、私もサーマ派の貴族なので、身代わりはいいのですが……そうとうにまずい禁忌なんです。おそらくばれても、外部に発表できないぐらいの』
と、きわどい問題を皆に伝えた。姫は公爵家に近い人間だったため、法的なものを危惧している。
『出自など言わなきゃばれやしないでしょう。問題は年齢差では?』
姫が来るまで読み書きも覚束ないありさまだった修道女たちは見た目の方を気にした。血縁や法律、面倒すぎるので目と耳を素通りしている。
『年齢は別に。おそらく、みな偽物とは思わずに、公女が苦労されてずいぶん年齢より老けた、と思って口をつぐむ、ないし小ばかにする言動をとるだけです。18の生娘に29歳経産婦が化けるのは、まあ難しいですが、今、これぐらいになれば誤差です。私は日焼けしませんでしたし、サーマのずんぐりした体型にならずに、すらっとしたのでシルエットはごまかせます』
「南の方の人は背が伸びにくいのよね」
「南というよりサーマだけ、なんかそうなんですよ。好んで食べるものに成長阻害薬でも入ってるんですかね」
「あら、先代もその前の公爵もすらっとしていたわ」
「院長は生きてらした頃でしょうが。先代の姿を拝見した者、そうそういませんよ(現公爵が孫(即位した王)までいるのだから)」
声はあたりさわりのない会話をつなげていく。筆談と単語で音のない会話は続けながら。
「お嬢を呼ぶとしますかね」
と、締めくくった。
お嬢は正しくは『故イーマ公が孫女』となる。イーマの名産は騎馬であり、弓の名手が多い。お嬢は馬上から弓でウサギを仕留められる弓の名手であったから、狩人もしている夫の良き相方となった。
黒い髪は日に焼けて赤茶に色が抜けて、すぱっと短く。
子供を抱え、炭を焼き続けた彼女は、ぱっと見はぽっちゃりとしているが、背も方も筋肉質で、すっかり働き者の平民の女となった。
裏手の台所から、炭を届けに来たお嬢を庭へと誘い、姫は事情を手短に伝えた。
「が?(なんですって?)」
この地の方言、訛りもほぼ完璧になっている。
「いまさらねぇ」
「っだっ(まったくです)」
こちらの平民方言なら素で話しても、王都からきたひとたちにわからないんじゃないかしらと、姫は思ったが、無用に危ない橋はわたらない主義だ。
「オレは…」
ちなみにこの地方の村民は男女ともに一人称、オレである。郷に従い、見事にこの地にとけ込んだ。
22年ほっておかれた彼女は躊躇している。公爵家最後の生き残りとしての義務について。10代ならともかく、この年でそれはきつい。公孫女としての生の二倍近く、樵の女房でいるのだから。
姫はベールの陰で笑った。
高貴な身分に未練があるのなら、行かせてもよかったが。彼女はいまさら『義務』を、と思っているのが透けて見えた。
公爵になるのも、女王も、権利やご褒美とはとうてい思えていないのだろう。
ここでイーマの娘の代わりに朽ちていければ良かった。そうすれば、彼女は完全に自由になっただろう。
イーマは特殊で遊牧民の生活を色濃く残しているので、平民にとけ込むのは、サーマと並んでたやすい公爵家なのだ。
ちなみにサーマ公は海賊であるから平民というより、賊なのだが。
姫には守るべき子爵家もなく、代々尽くしてきたサーマ公は裏切った。夫もまた娘を殺して、妻をも葬ろうとし、彼女には子爵家を支えてきた老齢な手の者ぐらいしか残っていない。
最後の子爵家の者として、彼らの生活を支え、忠誠の柱としてここでひっそり生きることにしていたのだが。
夫はとうに自殺に追い込んでやったが、サーマ公とサーマ王妃は残っている。
女王となれば、刃は届くだろう。
海賊王の片腕におさまっている叔父には一応連絡はしておくとして。
一矢報いにいくとしますか。
「私はいこうと思いますよ」
「それ、は」
訛りが一瞬取れてしまった。
「お嬢。焦ったときほど、言動には気をつけねば。ばれますよ。親と子、愛し合う夫婦を裂くことはないでしょう。ただ長女をよこしなさい。イーマは彼女に再興させます。うまく王が手をつけてくれれば、子供ができれば『公』はもはや無理でも『侯』には」
この皮算用はあっけなくはじけてしまう。
イーマ派閥では『恋形見』と呼ばれる恋の発症によって。
時のノーマ公はその病気のようなそれをこう言ったものだ。
イーマの血筋は恋愛の女神に呪われているのか?
まあ、理性派ノーマには祝福には見えないのだろう。
恋形見と呼ばれる、イーマのそれは
呪いであると
姫さえも思う
お嬢は今の夫と出会った瞬間に、イーマ公爵家のことをすぱっと切って、ただこの目の前の恋、今現在だけを愛し、脇目をふることもなかった。
姫が振れば、義務を思い出さないわけではないが、それでももう、女公爵に返り咲く気もなく、ここで炭を焼いて老いていくことを望むだろう。
賢いのかもしれず。
愚かなのかもしれず。
イーマ以外の公爵家と王家、そして諜報に強い古い貴族には明文化されぬ一つの絶対の法がある。
邪魔するなかれ、イーマの恋
そはゼン王国を造りたり
この国自体、初代といわれるイーマ公のその姉と、初代ゼン王となった大商人との恋の結果に生まれたものであり。
であるからこそ、この国の大貴族たちは建国神話を守る意味もあって、イーマの恋路を阻むことはないのだ。
だから、侍女見習いに据えた娘が恋をした、と言い出したなら、予定がすべて狂っても、
「うまくいかないもんですねっ」
と、悪態をつきながらも、応援するしかないのである。
姫は申し訳なさそうにしているお嬢の肩に手を置いて、顔をのぞき込んだ。
「あなたを娘のように愛していますよ。だから、幸せにおなりなさい。それに、私は、とてもいろいろなくしました。だから、復讐に出向こうと思います。女王に、とお求めですから。閨をする気がないでしょう。契約的に、儀礼的に一度か二度、するかもしれませんが」
お嬢の東の人種の色を残した黒い瞳が潤む。
姫は焦げ茶の髪で、濃いブラウンの瞳なので、なんとかごまかしえる。髪はもう白髪が半分なので、コントラストで黒髪だったようにみえる。
森の中とはいえ、盆地の夏冬の厳しさと、子を生み育てたことでの、老化の見えるお嬢と、若さの維持に努めた姫は、見た目の年齢はそれほど違わなくなっていた。
30歳をすぎての妊娠出産は命の危険が高くなる。子をなそうとすることもないだろう。結婚してもこの年の女当主を孕ませると、法的に引っかかることがある。配偶者が当主に悪意をもって、危険なことをさせようとしている、と。場合によっては殺人未遂罪や殺人罪だ。ゼン王国にしかない法だが、女が爵位を告げるようになって、その夫が、それ以前の妻と同等の権限しか与えられなくなった時に、同時に作られた法律である。それでも子を成すならば、国王、派閥長(公爵)、先代に、夫婦両名の同意書を提出してから、になる。