イーマの恋形見 2
13歳の少女が辺境の修道院に放り込まれたとき、すでに『姫』と呼ばれている貴族の女がそこにいた。
幼い娘を殺されて、その喪に服すため、黒いベールを常につけていた、現サーマ(公派)王妃の従姉妹を母に持つサーマ派子爵家の元令嬢だった。
派閥ががっちりと別れているため、貴族社会が狭いのである。5代さかのぼれは、派閥内ならいずれの家でも親戚を見いだせる。他派閥との結婚は、王家以外はしないのだ。
後々偽女王として君臨することになる女は、そのまま姫と呼ばれ、イーマ公女は『お嬢』と修道女たちから呼ばれた。
絶対の権力者だった祖父と自分を溺愛してた両親、兄。それらを一度に失った少女はそこで鬱々と暮らした。
「家族を殺されましたが私は命を見逃してくださった温情に感謝こそすれ、反意ございません」という文を日に一枚書き、ノーマの騎士が毎月とりにくる、といういやらしい作業が公女に課せられていたのも、彼女の気分を沈めこそすれ浮上させることはなかった。それさえこなすと公女の生活費を騎士が(正確にはノーマ公が)よこしたのと、逃げたのではないか、と疑われると男子禁制の修道院に騎士が踏み込んできて迷惑をかけるので、鬱々としながら彼女は真面目にそれを書き続けた。
2ヵ月ほどして、彼女は気晴らしにと姫に連れられた庭先で、高い格子柵越しに運命と出会った。
男子禁制の女子修道院のため、門より中にはけっして入ってこない、朴訥とした樵兼狩人の青年。
この院から一番近い町で火災が起きたとき、孤児になった彼を14歳になるまで修道女は面倒を見た。彼はその恩返しに薪や鹿肉などを格安で分けに来てくれる義理固い青年に育っていた。
修道院にいる女たち全員にとって、息子のような青年だったのだ。
顔を合わせた瞬間に、お嬢の青ざめていた頬に朱が差し、光を失っていた瞳が潤むように輝いた。
青年もまた、息をのんで、固まった。
姫が筆跡を完璧にまねられるようになり、お嬢が18歳となり、姫と背丈があまりかわらなくなった日に、完全に入れ替わった。修道院を出て、彼女は愛しい樵の元へとかけていった。
つまりは。
13歳の娘を20年も放置したら、樵と結婚して3男1女をもうけ、公女は炭焼き小屋のおかみさんになっていたのである。
そろそろ長男がお嫁をとって、孫も見られるかも(庶民は15歳ぐらいになると結婚していく。農村の平均寿命は30歳未満なので)、と姫や修道女がうきうきしていたところに。
『イーマ公の孫女がそちらに隠されているのが真実であるならば、法に従い、女王として王宮に参じられたし』
という王からの手紙が届いて、彼女らは一様に激怒した。
「いまさらっ。せめて20代前半ならともかくっ。孫も生まれてておかしくない今になってっ」