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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第九章 過去と現在の交点

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88 飯田の研究室日誌(4)後手には回るな

「あとは――お前、流出データに古文書があったって言ってただろ。よりによって、ずいぶんはずれのデータをひいたって、島木さんが笑ってたけど、あれが実は大当たりだったとかないのか」


「やっぱり、それも検討すべきかな。まだまったくの仮説なんだけど、ふみちゃんちの神社の裏山は、宝の山の可能性があるんだ」


「は?」


「未記載種が複数発見される可能性が。チョウと、植物類。もしかしたら、もっと他にも。あの古文書には、チョウについての記述があった」


「それだろ!」


 飯田は思わず声を大きくした。なんでそんなことをこいつは今の今まで黙っていたのか。


「お守りの中身。あれ、宮森さんちの裏山が出所(でどころ)かよ。俺が知らないだけで外国の何かが入ってるのかな、くらいに思ってたけど」


 いくつかの植物片がデータベースにヒットしなかった時点で変だとは思っていた。だが、一子相伝の秘密の配合だと聞いて、輸入物のマイナーな漢方薬の素材か何かだろう、とそれ以上追求する気をなくしていたものだ。


「先入観をもってほしくなかったから、あえてそこは言わないで分析をお願いしてたんだ。裏山は神社のご神域だ。おそらく江戸中期以降は、代々の宮司以外は地元の人も入っていない土地だから、安易に立ち入り調査はお願いできない」


「もし、あいつが新種発見の可能性を知っているなら、ご神域だと言われようがそんなに簡単にあきらめないと思うぜ。突破しようとするだろう。しかも、チョウだろ」


 あいつはチョウにこだわって研究テーマを選んでいたと、鴻巣研でも聞いたことがある。


「ご神域にみだりに立ち入ったものには、祟りがあるって言われてるんだ」


「お前、祟り信じてんの」


「半分くらい」


 飯田にとっては意外な答えだった。


「でも、賭けてもいいけど、金山は祟りなんぞ信じてないと思うがな」


「かもね。でも、それはそれとして、あの古文書を読んだだけで、新種がいると思うかどうか。あの文書に記載されていた出来事は、伝説みたいな書き方をされていて、文字通りに受け取ればかなり荒唐無稽だ。神社の文書ということを考えても、説話とか言い伝えみたいに受け取られて終わりのはずなんだ。いたらいいなあ、と夢を持つくらいまでは理解できるけど、リスクを冒してまで取りに行くだけの確度がある情報と解釈するのには無理がある」


「なるほどね。でも、読めたら多少、気にはなるかもしれないな」


「そもそも、金山は、たぶん手書きの古文書の画像データだけでは読めないと思うよ。崩し字に興味があると聞いたことはない。誰か読める人に読んでもらう手はあるかもしれないけど」


「じゃあ、そのデータ以外にも、金山もなにか、実際の新種につながるような手がかりを得ているってことになる。そこに古文書が出てきて、端っこをなんとか拾い読みしただけでも、その別の筋の情報と合わせればこれは本当だって確信できた。それで動き始めてるってのはどうだ」


「どうだって言われても。いつも、飯田さんがオレに言うんだよ。証拠がない、走りすぎって」


 文史朗は口をへの字にした。ひどく疲れたような様子だった。


「人に迷惑を掛けなきゃ、仮説を検討するのはいいんだよ。とりあえず、手元にある材料で調べられることは調べるぞ。こっちはお守りの分析がとっかかりだ。宮森さんの親父さんには協力頼めるのか」


 そこで、飯田は一瞬詰まった。


(こいつ、さっき、厄介なこと言ってなかったか。親父さんを怒らせたとかなんとか)


「無理だと思う」


「お前何したんだよ」


「オレが何かしたというより、何もしなかったから怒られたというか、ちゃんとエスコートできなかったというか。ふみちゃんの着ていたワンピースに刃物が刺されて、ジャケットが切られて、ふみちゃんが怪我したかもしれなかったことを説明したから」


 飯田は喉元まで出てきた悪態をかろうじて飲み込んだ。


(馬鹿正直か。言い訳もごまかしも入れなくたって、情報の提示の仕方次第ではちゃんと共同戦線を張れたはずなのに)


 だが、その時ふと、愛娘の顔が脳裏に浮かんだ。今は四歳。男の子に誘われて夜外出するなんてまだまだ先の話だが、もし、その時に娘が今回の宮森と同じような目に遭えば、飯田もやはり、連れ出した男に一つや二つ、言いたいこともあるだろう。

 案外、小細工も何もなくただ謝ってきた文史朗は、結果的には正解だったのかもしれない。


 だが、目の前の弟分はあからさまにしょげ返っている。

 やはり、宮森郁子はこいつにとってとんでもない弱点だ。おふくろさん以上の。


「となると、あとは、島木さんに研究所の侵入盗の線から監視カメラとかの情報きっちり洗ってもらって、金山が噛んでる動かぬ証拠を押さえることだな。たとえチンケな侵入盗であろうと。脅迫文も、出所を詰めていく。そうだ、地域貢献がどうとかいうなら、この先のコンビニとガソリンスタンドの防犯カメラ、見せてもらってるんだよな?」


 研究所の敷地に通じる一本道の曲がり角にある店舗だ。


「え?」


 文史朗はきょとんとした顔をした。


「うち、警察じゃないから。そこまでは出してもらえないよ」


「強制力はないよ。もちろん。でも、地域の安全のためにも、研究所に盗みに入った犯人を調べて警察に突き出してやりたいんですよ、っつって、お願いベースで行ったら、うまくいくかも。コツは、刑事もののドラマが好きそうなおばちゃんを狙って店長やオーナーに繋いでもらうこと。ああいうところは、最終判断はオーナーがするにしても、ベテランパートのおばちゃんの意見はむげにできないんだ。それに、小さい店ほど、窃盗なんかで被害が出たときには深刻なダメージを受ける。地域防犯を推して、創業家の息子が頭を下げてるとなりゃ、先方の協力したい気持ちは引き出せるかもしれない」


「そういうのも、昔取った杵柄?」


「まあね。ガソリンスタンドとコンビニにはずいぶんお世話になったんだよ。バイトしてたダチも多いし。お前の言う通り、地域開放やって、夏祭りじゃ俺らまで駆り出されてポップコーンなんか作らされて、信頼築いて地元の奥様方にランチに来てもらえるような環境作ってきたじゃないか。今だよ、その地道な努力を活かすのは」


「そんなものかな」


「そうだよ。あ。島木さんだと、顔怖いから。ついてきてもらいつつ、挨拶はお前が正面に立ってちゃんとしろ。一番上等な猫かぶって行けよ。それだけで、おばちゃんの反応違うから。いいか、この際総力戦だ。親からもらったもんはなんでも使え。お前の場合はその恵まれた環境と脳みそと見た目。理解されにくい残念な性格のほうは隠しとけ。何でも使っていいんだ、最終的に悪い奴に年貢を納めさせて社会貢献したらこっちの勝ちなんだよ」


「飯田さん、また、やんちゃモード入ってるよ。この件は勝ち負けじゃないって。しかもなんかどさくさに紛れて、島木さんもオレもすごい勢いでけなされてない?」


 文史朗は困ったように眉根を寄せたが、うなずいた。


「でも確かに、有用な情報はあるかも。とりあえず、その作戦がアリかどうか、島木さんに相談してみる」


「あとは、宮森さんだよなあ。おまえのクラックされたPC、まだそのままなんだろ。それで、うちが宮森さんと関係を切ったと情報を流して、それで彼女の安全が担保されればいいんだけど」


 文史朗の研究室のPCに、データサイズが一定以上の大きさの新規作成されたファイルと、メールのやりとりが監視されるプログラムが放り込まれていたのが、つい先日発覚したのだ。ネットワーク経由ではなく、直接PCにアクセスしたらしい手口、導入された日時から、侵入盗の犯行だとほぼ結論づけられていた。


 島木は、それを逆手にとって、正体の見えない敵方に、こちらの意図する情報を流し込むチャンネルとして、気づかない振りでそのままにしておくという選択を取っていた。


「うん。今朝、バイト契約の解除とここまでのバイト代を振り込むという内容でメールを送った。週明けに、事務方で手続きしてもらうからって」


「脅迫止むかな。ツクボウ(うち)が手を引けば、それ以上の無茶はしないで正攻法にちゃんと切り替えるっていう冷静な頭が残ってる可能性もある。でもなあ」


「うん。正直、心配。でも、今オレが中途半端にふみちゃんの周りをちょろちょろしたら、お父さんがよけい怒って、本当に困ったときに助けに行けない」


「親父さんに、何とかして考えを変えてもらうしかないだろう」


「説得するには、新しい材料がいると思う。ふみちゃんの安全に関する新情報。それか、お守りの成分が突破口になるといいんだけど」


「まあとにかく、今は地道にできることをしないとな。あいつがこれ以上、沸いた頭でろくでもないことをしないうちに、止めるぞ」


「……飯田さん。やっぱり、あいつだと思う?」


 文史朗はひどく不安そうな顔をしていた。


「限りなく黒に近いグレーだな。きちんと固められることを固めて、最後は本人に直接聞け。本当にやったのか、そうなら、なんでなのか。今回は今までと何が違うのか」


 結局、自分の目で見たもの、自分の耳で聞いたことが、何かを理解する、あるいは信じる一番の根拠なのだ。想像と伝聞では、こいつの足元はいつまでもふわふわと固まらないままだ。


「しっかりしろ。おまえの判断が、宮森さんの安全にかかってるんだぞ。あいつがもし本当に宮森さんちの裏山をねらってるなら、宮森さんはバイトをやめようがなんだろうが、結局否が応でも巻き込まれるんだ。軽率でもいけないが、臆病もだめだ。最悪、先手を打てなくても、後手には回るなよ」


 文史朗は目を見開いた。


「そうだね。ありがとう、飯田さん」


 残りのコーヒーを飲み干すと、文史朗は入ってきたときよりよほどしゃんとした顔で出て行った。


 飯田は自分のデスクに戻った。PCにログインし、社内ネットワークを立ち上げる。


 製薬部門の植物関係に明るい知り合いに成分分析の協力依頼メールを送った。お守りから少量取り分けたサンプルをまとめ、社内便の封筒に入れたが、思い直した。土曜日は便数が少ない。先方も出社しているなら、先に実験を仕込んでから、待ち時間に自分で持って行ったほうが早いだろう。


 昨夜、自宅から転送しておいたメールを呼び出した。添付ファイルのウイルスチェックのわずかなタイムラグの後、選択したメールの詳細を表示するウインドウが表示される。


「鴻巣先生も、とんでもないタイミングで爆弾送ってよこしたもんだよな」


 思わず独り言がこぼれた。


『極秘で緊急の依頼だ。研究室とは独立した立場で相談できる、信用に足る人間は数少ない』


 教授がこんな若造におもねったようなことを書いてまで頼んでよこした緊急の案件。昨年の修士論文の追試依頼だ。教授は警戒して論文著者の名前を書かないで依頼してきたが、テーマを見ただけで飯田にはそれが誰のものかわかっていた。


 添付されていたファイルを開いて、必要な実験の最終確認をする。ここにある機材で再現可能なのは昨夜自宅で確認済みだ。


 論文にある実験を再現するだけで数日かかるだろう。追加で検証実験が必要なら、二週間。

 結果が出て、それをどう扱うか自分の中で判断ができるまで、飯田はこの件を誰にも言うつもりはなかった。


 小さなチャイムが鳴って、新着メールが届いたことを知らせた。製薬部門の知り合いからの返信だ。案の定出社していたらしい。


 飯田は幾つか実験をセットすると、用意したサンプルを持って、部屋を出た。



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ヘッダ
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フッタ

― 新着の感想 ―
[一言] サスペンス風味が強くなってきた気がします。 飯田さん、頼りになりますね。
[一言] 出来る男だ飯田さん。 頼もしい参謀役に、ツクモは感謝するべきでしょう。 しかし、ツクモの郁ちゃんパパに対する姿勢には、個人的に共感できるし間違っていないと思います。 その場凌ぎのまやかしを駆…
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