82 待合室百物語(後)
「交通事故?」
えらく現代的なモチーフが飛び出してきた。子どもの時は何とも思わなかったけれど、こうして並べて聞くとやはり違和感がある。
「量吉さん、したたかに飲むと、時々言ってたんだよ。ご神域に入っちゃなんねえって。あの事故は、祟りだったんだって」
トラさんが、無口な昭さんから話を引き取って教えてくれた。
「え? つまり、本当に事故があったの?」
「あったあった。祭りの日だったから覚えてるね。村内じゃなくて、山の向こうに降りて、幹線道路に入ってからのとこだよ。だから、全然関係ねえと思うだけんどねえ。量吉さん、いつも交通整理で山の向こう側に下る道担当だっただろ。気にしてたよね、ずーっと。ちょっと前だよ。いつだったかなあ」
「わたし、全然覚えてないけど」
「あー、そりゃあ、宮司がまだ先代の秀一さんの時だから。亡くなるちょっと前」
トラさんはあっさり言って肩をすくめた。
祖父は、母が嫁いでくる数か月前に亡くなっている。ということは、少なくともわたしが生まれる数年前の話である。二十年以上前でも、『ちょっと前』。恐るべし、お年寄り。
「私も聞いたことある。道を間違えて迷い込んできた車だったらしいよ。で、量吉さんが話をして、帰らせたらしいんだけどね」
ツギエさんも補足してくれた。
しかし、迷って車で近づいただけでもう祟りにあうんじゃ、量吉さんが見張り番をしている意味がない、と思う。防ぎようがない。
それとも量吉さんには、特にその事故を祟りだと思う根拠が何かあったんだろうか。車で通りすがった以上のことをドライバーがしていた――例えば、ご神域に入り込んでいたのを見たとか。
「その車、どうなったの?」
「大破炎上。助かんなかったって。東京の人だったらしいけどねえ」
トラさんは気の毒そうに言った。
「先生、覚えてますか?」
わたしはこの場で一番しっかりしていそうな院長に話を振った。二十年ちょっと前だというなら、その頃にはもうこの病院は代替わりして、今の院長が仕切っていたはずである。
「話はね。ちょうど僕、その日は、どうしても外せない研修会があって仙台に行ってたんだよね。乗っていたのは一人って聞いたと思うけど。さすがに死亡事故はあまりないし、しかも、量吉さんがたまーにそのこと言うから、覚えてたなあ」
「量吉さんが?」
「亡くなった時も、熱に浮かされたみたいになってね。ここじゃ設備が足りないから、M市立病院に救急車で連れて行ったんだけど、その間ずっと、そのこと言ってた。道路の警備担当だったし、無念っていうか、気にかかっていたんだろうね。責任感じちゃってたのかなあ。量吉さん、優しかったから」
院長は腕を組んだ。
「祟りって言うけどさ。祟られてたのは、どっちかって言やあ量吉さんだよ。あたしも長く付き合ったけどさ、他のことではいい人なんだけど、あの事故の後は、意固地だったよねえ。祟りの話になると」
トラおばあちゃんが遠い目になった。トラおばあちゃんの母親と量吉さんの父親が兄妹で、いとこ同士の二人は近所で育ったせいもあり、兄妹のように仲がよかったのだ。
「意固地って?」
「あんなもの迷信だろう。事故はただの事故さ。なのに、頭っから信じ込んじゃって、何言ってもダメなんだ。事故からもう何年もたった後になっても、何かが気に障ったらしくて、祟りがあるからって、娘と孫を追い出しちまったのさあ。年とって弱ってきて、具合が悪くなってからも、自分が寂しいのに、意地張って絶対に呼ばなかったんだ。ああやってろくでもないことを信じ込んで一人ぼっちで死ぬ方が、よっぽど祟りだって気があたしはしたね。それこそ、気の毒だったよ」
「ジュンコさんとれおくんのこと?」
わたしが聞き返すと、トラおばあちゃんは大きくうなずいた。
「そうだあ。郁子ちゃん、れおと同級だっけ」
「いや、五つくらい違うけど」
「れおはやんちゃで、量吉さんは手を焼いてた。れおがいたずらをしたらしいんだ。何のいたずらかは、量吉さんも、いくら酔っぱらっても絶対に言わなかったけど、それで、震えあがっちゃった。信じ込んでたからね。祟りがあるから、ここらにいちゃなんねえって、娘を追い出したらしいんだ。たかだか小学生の子どものすることに大騒ぎしてさ、かわいそうだったよ。ジュンコだってさ、結婚しないで産んだ子だから、育てるのが大変だったはずなんだ。それで量吉さんのところに戻ってきてたのにさ」
「じゃあ、れお君のお父さんってどこの人なの?」
「東京のもんさ。ジュンコは東京の短大にいって、そのまま向こうで仕事してたからね。でも、どこの誰かもわかんないよ。ジュンコも、量吉さんにいくら怒鳴られても言わなかったんだ」
この辺のお年寄りにとっては、よそものの都会者は、基本的に『東京のもん』で片付けられる。神奈川も埼玉も千葉も、『だいたい東京』。下手すれば、大阪や京都の人でも『東京もん』。あとから、関西の出身だと聞いても悪びれない。『大きい都会だもんで、間違えちゃったんだ。この辺じゃ都会って言えば東京だから』ぐらいのことを平気で言う。
ジュンコさんの進学先が東京というのはさすがに間違えないだろうから、関西ということはないはずだが、ジュンコさんの彼氏についてはおそらく関東圏の人だろうということしかわからない。
「れお君どうしてるのかな。遊んでもらったこと何度もあるよ。元気だといいけど」
「葬式にも来なんだからね。どうしたものやら。墓の管理で、浄雲寺の住職だけは連絡先を知ってたらしいけど、使いの人がお骨取りに来て、寄付とかいって、金包んでよこしてそれっきりだってさ。まあ、人を頼んだり、お寺に寄付するくらいなら、食べるのに困ってるってわけでもないんだろうから、安心したけどね」
突き放した言い方をするが、トラさんにとっては、ジュンコさんは姪も同然である。どこかで心配していたのだろう。
「ねえ、トラさん、ジュンコさんとれおくんって、どんな漢字だっけ。名前」
「ジュンコは、順番の順。れおなんて、しゃれた名前つけたよねえ。読みにくかったよ。命令の令に生きるで、令生」
「そういえばさあ、量吉さんの家、このごろ、片付け入ってるだろう。あれ、令生くんかい。おトラさんとこに挨拶に来たかい」
ツギエおばあちゃんが尋ねた。わたしには初耳だった。そういえば、ここのところ一週間以上、引きこもって、古文に没頭していたのだ。
「いや、あたしも何にも聞いてなくてさ、見慣れない車が止まってるもんで、従兄妹のよしみで声かけたんだ。そしたら、ジュンコに頼まれたんだって。業者さんだってさ。ジュンコも羽振りがいいのかねえ」
「そういうの、最近多いらしいねえ。遺品片付け業? テレビでみたよ。場合によっちゃさ、そこで亡くなってご遺体で見つかった人の家を片付けるとか。大変な仕事だよねえ」
スエヨさんがすかさず新しい話題に食いついた。ツギエさんもうきうきとその流れに乗る。
「人死にのでた家かあ。化けて出たりするのかな」
「最初に線香焚くんだって。でも、何が出るかわかんないから怖いよねえ」
「出ねえよ。死んだ後に出るなら借金取りだろ。博打か飲み屋か」
「そりゃ善三さんのことだろ。死ぬ前にきれいにしとかないと、カミさん泣かすよ」
うひゃひゃ、と笑い声をあげて、ツギエさんは善三さんの肩をばしばし叩いた。
「その借金取りも現場に来たら、祟られて、後でうなされたりとかしないのかね。どうせぼったくりの高利貸しだろ。うんと怖がればいいんじゃないかい」
スエヨさんがしかつめらしい顔でなかなか手厳しいことを言う。
そのまま、お年寄りたちは、遺品片付け業の話題で盛り上がり始めた。院長先生が、都市伝説、と言った意味がわかってきた。この人たちは怖い話が大好きなのだ。かわるがわる、テレビや噂話で仕入れたちょっと怖そうな話を持ち寄って、きゃあきゃあ言いながら語り合う。さながら、待合室百物語である。
遺品整理業はれっきとしたプロフェッショナルの仕事で、怪談の入り込む余地はそんなにないはずなのだが、「○○だったら怖い」「△△だったらもっと怖い」と、怖い方向に大喜利を始めて、どんどん話が膨らんでいく。想像力がものすごい。脳を刺激しまくっているわけで、この人たちがいつまでもお元気な理由のひとつがこれなのだろう。
そろそろ診察開始だから、と、表の看板をひっくり返しにいった院長が戻ってきた。
「最後に入ったの、誰だい。表のドアちゃんと閉めてくれないと。冷房掛けてるのに、空気が駄々洩れ」
ぶつぶつと文句をいう。
「最後? 善三さんだろ。俺の整理券、四番だもの。トラ、スエヨ、ツギエの三人娘はそろって一番乗りだしさ。金銀銅メダル」
にこにこと聞き役に徹していた、昭おじいちゃんが言う。
「ええー。閉めたよ。なんだろう、風で開いちゃったのかな」
善三さんは不本意そうに返事した。
「そんな軽い扉でもないんだけどねえ」
首をかしげながら、院長先生は、診察室に戻っていった。
三人娘は、そんなやり取りは意にも介さず、火がついた怪談会に盛り上がっている。
「郁子ちゃんの行ってる大学、あるだろ。あれ、戦時中は軍需工場だった土地でさあ。うちの従兄の嫁さんの姉が、学徒動員で、飛行機の内装を作りに行ってたらしいんだけど、その時聞いた話でさ、敷地内に池があって、そこでも出たんだってさ。池、まだあるのかい? ほとりにヤナギの木があってね……」
スエヨおばあちゃんが、わたしへのサービスとばかりに、とっておきの怪談話を始めた。こうなると、三人娘のおしゃべりは止まらない。それぞれ診察室に呼び出されている間は他の二人がしゃべりまくって、わたしは一時間以上も、待合室百物語にお付き合いすることになってしまった。














