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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第八章 因縁と怪談

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80 父との和解

 翌朝、目が覚めると、もう母は出かけた後だった。父は一足先に朝食を食べ終わっていたらしい。朝刊を読みながらコーヒーを飲むふりをして、自分でトーストと目玉焼きの朝食を作っているわたしをちらちらと新聞越しにうかがっていた。


「お父さん」


 十日近くぶりに、まともに呼びかけると、父はびくりと新聞をゆらした。


「なんだ」


 平静を装っているが、新聞がさかさまである。わたしが階段を下りてくる音を聞いて、慌てて手に取ったのだろう。


虫除守(むしよけまもり)のことで話があるんだけど。今、時間、ある?」


「ああ。午前中は予定はないよ」


 わたしは、朝食を乗せた皿を持って、父の向かいの定位置に腰を下ろした。


 トーストをかじり、コーヒーを一口飲んでから、切り出した。


「今まで、散虫香で、肌がかぶれたり、のどがかゆくなったり、くしゃみが止まらなくなった、っていうクレームが来たことはある?」


「どうだろうなあ。クレームとしてはないけど、合う合わないは結構あるみたいだよ。例えばご夫婦でも、旦那さんは使ってくれてるけど、奥さんは何か合わないと言って使わない、という話は時々聞く。匂いが結構あるから、好みの問題かと思っていたがね」


 父は新聞を畳んだ。


「ツクモが二つ、お受けして行ったんだよ。中身が気になるって、最初にお父さんと話をしていた時、言ってたでしょ」


「なんだ。調査なら、引き受けんぞ」


 ツクモの名前が挙がったとたん、さっと警戒した表情になる。


「そういう話じゃないよ。そもそも、あれからまともに連絡も取ってないし」


 わたしはため息をついた。こだわり始めてしまうと、父も反抗期の中学生みたいに意固地になるときがあるのだ。


「この前聞いた話なの。色々あって、話すタイミングがなかったんだけど。ツクモの同僚に、植物の香り成分の研究が専門の人がいるの。その人も散虫香の香りに興味があって、調べてみたくなって、借りてご自宅に持ち帰ったんだって。そしたら、花粉アレルギーがある奥さんが、のどがかゆくなったり、くしゃみが出たりして、大変だったらしいんだ」


「花粉なんか入ってないけどなあ。奥谷にはスギやヒノキはほとんど生えていないし」


「そういうこと、あるらしいんだよ。時と場合によっては、成分が似ている他の植物とかでもアレルギー反応が出ちゃうんだって。お父さん、現代の神社の生き残りがどうとかって、この前言ってたでしょ。これ、そういう問題になりうるんだよ。うちがお授けしているお守りで、花粉アレルギーの人に何か症状が出る可能性があるとすると、責任問題になるかもしれないって、思わない?」


「うーん」


 父は腕を組んだ。


「うちから人様にお渡ししているものの中身を、うちがきちんと説明できないというのは、現代の神社としてはどうなんだろうか、と、現役ハタチの若者としては思うんだけど。法律上の問題は、戦後のどさくさでひいおじいちゃんが通しちゃったって聞いてるけど、やっぱり、社会的責任があるんじゃないかなあ。とりあえず、今までは名前と連絡先を伺ってお授けしてきたし、ほとんどが繰り返し使ってくださってる方ばかりで問題なかったけど、これから初めての人にお授けするのはちょっと怖いなあと思ったんだよね」


 本当は、この説明も、ツクモに手伝ってもらう約束だったのだ。それができなくなって、ついでに父と冷戦状態に突入したせいで、今日まで言う機会がなかった。


 だが、知っているのにこれ以上放置しておくわけにもいかない。この神社の人間として、わたしにも対処する責任の一端はあるといえるだろう。


 昨日の夜、あの文書を読んで色々考えたけれど、真っ先に思ったのは、父ともめている場合ではない、ということだった。

 あの時の芳さんが幾つだったのかははっきりとはわからない。でも、当時の結婚適齢期から考えれば、今のわたしとさほど変わらないか、むしろ若いくらいの年齢だったはずだ。

 江戸時代のご先祖様に比べれば、わたしがなんとぬるい環境で甘やかされてきたことか。いつまでも、お子様気分でいてはいけない。


 父は椅子の背もたれに寄り掛かって、天井を眺めた。試写会の日の夜のような、闇雲に怒って、わたしを無視するような態度は消えていた。


「うん。確かに、それは一理ある。一子相伝で中身は公開できない、と言ってきたが、これからはそうはいかんのだろうなあ。せめて、中身に何と何が入っているのかくらい、はっきりさせないといかんな」


「普通の企業だと、比率とか作る過程とかは企業秘密だとしても、その製品に何が入っているかはわかるようにしてあるもんね。成分表示とか、食べ物だったら原材料表示。食べないとはいえ、身につけるものだから、知りたいと言われたら答えられる方がいいよね」


「そうだなあ。だが、父さんにもわからないんだよ」


「え? どういうこと?」


 わたしは眉をひそめた。作っているのは父である。毎年、同じような草を集めてきて、乾燥用の(むろ)に並べて干しているのだ。わからないというのは、合点がいかない。


「どの草をとるかはちゃんとわかっているよ、もちろん。じいちゃんも、父さんがなかなか話を聞きに来ないので、万が一の時のために、どの草を採ったらいいのか写真をそえた書付けを作ってくれていたんだ。だが、名前がね。じいちゃんの書付けに書いてある名前は、なんというのか、この辺でいう方言とか符丁みたいなものなんだよ。ちゃんとした、図鑑に載るような名前じゃない。しかも、図鑑を見てもよくわからなかったんだ。山に行けばあるから、これまで気にも留めてこなかったんだが」


 のんびり屋の父らしい発言である。


「それは、それこそ、一度ちゃんと専門家の先生に鑑定してもらったほうがいいんじゃないのかな。こちらから依頼して」


 どういうところに頼むことになるんだろうか。保健所か、それとも大学や博物館のような研究機関か。わたしには見当がつかない。父もあやふやに首をひねった。


「ああ、まあ、考えてみるよ。採集は次の初夏だし」


 こういうとき、ツクモに相談できればいいのに。今さらわたしも不機嫌な態度をとったりするつもりはなかったけれど、返す返すも、頑固な態度をとっている父が腹立たしかった。


「じゃあ、それはそれとして、それまでにお受けに来られた方にはどう対応する? 何も言わないでお授けするわけにもいかないよね?」


 わたしが尋ねると、父は腕を組んで考え込んだ。


「一般的な注意として、植物なので、人によってはアレルギーが出るかもしれません、と伝えるくらいしかできないだろう。実際問題、お得意様以外はほとんどお受けにこないし、お得意様は新しいのができた夏前にほとんど来てくださっているから、この後は来年まで、件数としてはそんなにないんじゃないか」


「うん、確かにそれはそうなんだけど」


 わたしはため息をついた。そのあたりが結局、妥当な落としどころだろうとは思う。だが、こんなに悠長な対応でいいのだろうか、という、漠然とした胸騒ぎが消えなかった。




いつも読んでくださってありがとうございます!


現在、月・水・金の週三回更新とさせていただいています。

引き続き、第81話を3月1日(月)、第82話を3日(水)、第80話を5日(金)に投稿していきます。

今後とも、お付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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フッタ

― 新着の感想 ―
[良い点] 前回までの『江月尼の告白』のお話は伝承部分の核になるとはいえ、とても切ない悲恋であり、そこに現代を生きるツクモ君と郁子さんが関わっているという因縁が、とても自然で、よく纏められたなと感心し…
[一言] こういうのが分かるのはやはり・・・・・・
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