79 江月尼の告白(後)
紋成は、あの晩、それこそ物狂いのような顔で、わたくしの部屋の庭先に現れました。先生に手当していただいて、かろうじて血が止まった状態で、あちこちを歩き回ってきたようで、息をするのも辛そうで、ぼろぼろでした。
刀傷に効く薬が必要なのだと、先生にいただいた分では足りないのだと言いました。先生のところにはその時患者が詰めかけていて、とても薬を貰いに行ける様子ではなかったのだそうです。父上には知られず、薬を手に入れられないか、と乞われて、わたくしは、いざというときのために奥向きに取ってあった薬を渡してやりました。
後になってみれば、お芳どのは、蛇の目が淵の崖から落ちたのだろうと思います。村人たちの信じやすいものは、チョウに包まれて姿を消した、神になった、と信じていたようですけれども。あの子はどうにかして、蛇の目が淵の岸辺あたりでお芳どのを見つけ出して、助けようとしていたのでしょう。
お芳どのがもしも助かったのなら、どうして、神社に戻ってこられなかったのか、と思いを巡らせることはありました。戻ってこられないのだから、やはり、亡くなってしまわれたのだろうか、とも。あるいは、お芳どのはもう、神社に戻ってくることがお辛くなってしまったのかもしれない、とも思いました。あの方は、民につくして、身を粉にして働いてこられたのに、虫の害がひどいと神社の祈祷が足りないせいだ、と責められたり、香を作って虫を払えば、隣の郷から恨まれたりと、お気の毒なことでした。ですから、もう、お気持ちがふつっと切れてしまわれたのだろうか、と。
もしかすると、それは紋成のためだったのだろうか、と思い始めたのは、紋成が七つになったお千香の手を引き、わたくしの元に預けに参った折からでした。あの子の顔を見て、わたくしは、お千香が紋成とお芳どのの娘だとすぐにわかりました。事件から九年ほどたった頃だったでしょうか。それで、ああやはり、あの時お芳どのは助かったのだ、と、ようやっと、確信できたのです。
お芳どのが、どこでどのようにして暮らされていたのかは、わたくしにはわかりません。ですが、紋成は、紋修と名を変えて寺男になってからも、仕事の合間をみては抜け出して、どこかに身を隠しておられたお芳どのに会いに行っていたということでしょう。
紋成はあの事件のすぐ後、乱心したことになって、寺の預かりにさせられてしまいましたから、お芳どのが戻ってきたとしても、もう、縁組を調えてやることはできなくなってしまっていました。一方でお芳どのは宮森のたった一人の跡継ぎです。浮世に戻ってくれば、周囲の勧めを断りきれず、他の誰かの婿入り縁組を承諾せざるをえなくなったことでしょう。
だから、戻っておいでになれなかったのではないか。そう思ったのです。
身を切られるような思いでした。わたくしがもっと早く、縁組を整えてやっていれば。それがかなわずとも、広成どののご無体をこの身を張ってでもお諫めし、お止めできていれば。紋成も、お芳どのも、お千香も、親子三人つつましくとも幸せに暮らせたのではないか、と。
お千香も、本当に不憫な子でした。
あの子は今でも、目元は紋成に、口元はお芳どのにそっくりです。七つのときから、本当に、かわいらしい子でした。
紋成はあえて、何も言いませんでした。ただ、畳につかんばかりに頭を下げて、この子を育ててやってほしいとだけ。ですが、わたくしには、あの子が考えていたことがよくわかりました。何かを言えば、お千香は、乱心した侍と、逃げた宮司の娘ということになってしまう。守るべき親もいないたった七つの子にそれを負わせるのは、あまりにむごいことです。
ですが、お千香は、宮森家の正当な血筋の娘です。それで、わたくしは表向きには身元不明のまま築井で養子にとり、成人するまで育ててから、七曜神社の宮司、宮森の名跡を継がせたのです。
このときばかりは、わたくしは、広成どのには何の文句も言わせはしませんでした。わたくしが生涯で広成どのに通したわがままは、このことくらいだったでしょう。広成どのは、養子といえども女子のお千香には興味もなく、顔もろくに見ませんでしたから、何も気がついてはいらっしゃなかった。ただ、わたくしの石のような頑固さに呆れておいでで、気のなさそうに、好きなようにしたらいい、とだけおっしゃったのでした。
わたくしは、夫に息子を奪われた母として、孫までは奪われたくなかったのです。わたくしとお千香が、祖母と孫として対面することは、決してできないと分かってはおりましたが、お千香に七曜神社を継がせることが、お千香のために、ひいてはその両親のためにわたくしがしてやれる数少ない罪滅ぼしの一つでした。
お千香は、紋成が連れてきたときから、きちんと育てられた行儀のいい子でした。お芳どのが、そのわずか前まで面倒をみておいでだったのでしょう。
お千香が築井の家にきてまだ日の浅い頃、一度だけ、侍女もみな用で席を立ち、二人きりになったことがありました。
わたくしが、『お千香のお母さまは、どうなさったのかしら。今どちらにいるのかしら』と申しましたら、お千香は、小さな声で言いました。『西の方へ参りました。もう戻らぬとおおせでした』と。すぐに、西方浄土に旅立たれた、あの世に行かれたという意味だと分かりました。それで、紋成がこの子をわたくしのもとへ連れてきたのだと、その時察せられたのです。
わたくしが、『お千香のお母さまですから、おきれいでお優しい方だったのでしょうね』と申しましたら、お千香はうなずき、ほろほろと涙を流しました。めったに泣かぬ子でしたが、そのときばかりは、母が恋しかったのでしょうね。不憫でなりませんでした。
わたくしが、あの子の声で、はっきりした言葉を聞いたのは、その時ぐらいだったでしょうか。ひどく物静かで、何も言わない子でした。
神社の周りの人々は、紋成が山で拾った、助けたと周りに言ったせいで、お千香が、姿を消したお芳どのの生まれ変わりで、胡蝶の神の化身だと信じていましたね。お千香にとってはそれが一番よかったのかもしれません。宮司を継ぐにあたっても、そうした周囲が、お千香を大事にして助けてくれましたから。
お芳どのがいなくなってからも、七曜神社の祭りを、お寺の預かりで氏子の方々に続けていただいたのは幸いでした。良順先生にも、浄雲寺のご住職にも、とてもお世話になりました。お芳どのがいつか戻ってくる望みにかけてしていただいたことでしたけれど、結果として、お千香が成人した折に帰るところが守られていたのはよかったと思っています。今は幸せにしているようで、本当に安堵しております。
紋成は、お千香が宮司になったのを見届けるようにして、風でろうそくの炎がふと消えるように、亡くなってしまいましたね。
お千香は紋成が、いえ、寺男の紋修が自分の父だと知っているのでしょうか。聞かされていなくても、わかっていたのではないかと思いますけれども。
どうか、先生、お千香をお導きください。これからもあの子が困った時には、周りが助けてやってくださいますよう、お見守りくださいませ。この尼の最後のお願いでございます。
◇
良順先生は、この江月尼の告白を書き留めた後、自身の述懐を書きつけていた。
◇
江月尼どのがここまで多くを察して、苦しみながら秘密を守ってこられたことを、紋修どのはご存じだったのだろうか。亡くなってしまっている今、知るすべはない。紋修どのは決して江月尼どのに知らせてはならぬと常々言っていた。知れば、広成どのとお千香の間で苦しむことになるだろうと。
今にして思えば、あの聡い江月尼どのが、お千香を前にして、何もわからぬはずがなかったのだ。紋修どのは、最後の最後で、お千香を託す相手として、己の母である江月尼どのに対し、甘えがあったのだと思う。あれだけの覚悟があり賢い方でも、親子の情には目が曇るということか、と思わずにいられない。
芳どのは、神社を捨てて逃げたのではない。御谷を守って、その生涯を閉じられたのである。芳どのは、家としての宮守を離れ、七曜神社のもう一つの役割である、御谷守としての仕事を全うされたのだ。
芳どのは谷の奥に住まい、これまではただしきたり通りに世話し、神事を行ってきた諸々のことをもう一度見直された。そこにだけ生えている草木と、胡蝶の神の化身である七曜の蝶について多くのことを確かめ、明らかにされた。紋修どのを通じて、私の助言や予想も聞き入れてくださったし、芳どのが初めて気づかれたことも多かった。そのように芳どのが調べられたことをもとに神社の祭りの次第が整えられ、今や七曜神社の霊験の一つとして押しも押されもせぬ散虫香の虫除守が完成したのである。
お千香は、芳どのの遺された仕事をよく引き継いだようだ。紋修どのが芳どのの書付けを大事に保管し、お千香が宮司になった時に、ひそかに手渡したのだという。
江月尼どのが秘密の重さに苦しんでいたことを、医師としてお救いできなかったのは、私の人生の中でも最も悔やむべきことの一つである。だが、せめて江月尼どのの最期に、あの事件の後、芳どのがどのように過ごされていたかをお伝えできたことは、私の人生の中でも、最も意味のある仕事の一つだったように思う。
私が、紋修どのが亡くなって以来、一人の胸の内に納めてきた、あの後の紋修どのと芳どのの話をすると、江月尼どのは、静かだが嬉しそうにうなずいていらっしゃった。
◇
わたしはため息をついた。氷が溶けきって、すっかり薄く、ぬるくなった何杯目かのアイスティーを飲んだ。
途中で食事をとりに行ったりの中断もあったけれど、続きはまた明日にして寝てしまう気持ちにもなれず、一気に読んでしまった。
夏の短い夜は、もう、白々と明けかかっている。
うちのご先祖様と、ツクモのご先祖様に、こんな大変な話があったとは。
ツクモはこれを読んだだろうか。
まだだろう、と思った。読んでいたら、メッセージか何か、せめて一言よこすだろう。
明け方の非常識な時間だとはわかっていたけれど、短いメッセージを作った。
『医院文書、画像データ。img00284.jpg~img292.jpg』
今日読んだ部分のデータファイルの名前である。ツクモは読めばわかるだろうし、きっと、読んだほうがいいだろう。眠っていたとしても、朝起きたときにでも見てくれる。
送信ボタンを押すと、わたしのメッセージは小さなチョウのように翻って、トーク画面に貼りついた。
すぐに既読サインがついた。起きていたのか。
『読むよ』
短い返事。
たったそれだけでも、つながっている何かがあると感じられた。そのことにひどく安堵した自分に驚いた。
急に眠気が襲ってきて、わたしはベッドにもぐりこんだ。枕に頭をつけるかつけないかのうちに、泥のように眠り込んでしまった。














