72 招かれざる客(後)
「島木さん、今、中の警備は?」
ツクモの問いに、島木さんは少し眉をしかめてうなずいた。
「会場に一人、玄関に一人。あいつがそこそこ暴れたので手数がかかって。何かあればすぐ連絡がくる体制にはしていますが」
ツクモは険しい表情で言った。
「あいつは嘘をついていないと思う。そそのかされて、映画会社とうちの化粧品部門に脅迫状を送ってこの侵入騒ぎを起こしたけれど、やったのはそれだけだろう。つまり、あいつとは別に、会場の中にはふみちゃんのドレスにデザインナイフの刃を刺して、オオミズアオを持ち込んだやつがいる。騒ぎが起こる時間を知っていたことを踏まえれば、あいつをSNSでそそのかしたのは多分そいつと同一犯。この前の研究所への侵入犯と同じはずだ」
「え、なんで?」
思わず聞いてしまう。侵入犯がどうしてつながるんだろう?
「後でちゃんと説明する。ごめん、ふみちゃん。ちょっと待ってね」
ツクモは島木さんと何事か打ち合わせした。島木さんの指示で、車の周りにいた人たちの半分くらいが店内に戻っていく。
「もう少し事情を聞いたら警察に任せて私も中に戻ります」
「うん。どのみち、後三十分もすれば終わるから、送り出しのところをきっちりやればいいと思う。よろしく」
ツクモはそう言うと島木さんに軽く会釈して、戻ろう、とわたしを促した。
「全然わかんないんだけど」
何か深刻そうだということしかわからない。
ロビーに戻ってきたところで、ツクモは足を止めた。周囲を見回す。やはり、人気はなかった。
お店のスタッフは、会場のフロアと厨房を直接つなぐ、裏方専用の出入り口を使って料理を運んだりしていたようだったので、基本的にはこちら側の空間は、客とツクボウの警備担当の人間しか行き来しないのだろう。
ツクモはわたしに向きなおった。抑えた声で言う。
「問題は、オオミズアオがどう持ち込まれたか、ということなんだ」
声が響かないように注意しながら、わたしは問い返した。
「普通に虫かごに入れてきたんじゃないの?」
「あの大きいガを三頭だよ。会場に持って入れる大きさのかごじゃない。バタフライネットにしたって、目立ってしょうがないはずなんだ。それに、三頭のガが限られたスペースで暴れたら、放す前にずいぶん羽が傷んでしまったはずだけど、あの子たちはとても綺麗で状態がよかった。さらに、あの騒動の直前直後に会場を出入りした人物はいなかった。ここから考えられる答えは、オレには一つだった」
「何?」
「飯田さんの昆虫麻酔薬だ。盗まれた新しい三時間バージョンのほう。あの子たちは眠らされて会場に持ち込まれた。眠った状態なら、標本用の三角紙に包んでしまえば目立たない。ポケットに入れたって持ち込めたはずだ」
「それがさっき、ツクモが拾ってた紙?」
「そうだ。慌てていて落としたんだろう。あの子たちが飛び回り始めたのは、さっきの男が言われていたとおりの六時半。三時半頃以降にあの子たちを眠らせた犯人が、どこかの時点で会場の装花の後ろに置いていったんだ。目を覚ましたとき飛び回れるように、オオミズアオを紙からだして直置きしたから、クロスにも鱗粉がついた」
「そんなに時間きっかりに効果をコントロールできるものなの?」
「オレが以前から採集の時に使っていた三分間バージョンのほうは、効果持続時間が十分に一定だった。飯田さんの仕事は間違いないよ。盗まれた三時間バージョンの麻酔薬は、飯田さんの説明のメモと一緒に保管されていたから、それを参考にきちんと事前に実験しておけば、どのくらいの分量でどのくらい効かせられるか、見当がついたはずだ」
「この会場でそんなことをできた人物、の線から誰がやったか絞れないの?」
わたしが尋ねると、ツクモは悔しそうに首を振った。
「言ってみれば、ポケットから出して包みをほどいて、さりげなく置くだけだからね。招待客には誰にでも機会があったはずだし、招待客が来る直前の、警備が試写会の方にとられてる時間帯なら、招待客でなくてもチャンスはあったかもしれない。でも、あの麻酔薬を使えた人物は、この前研究所に忍び込んでそれを持ち出した人物か、その共犯だということは間違いない」
「とはいえ、今ここで犯人を絞り込む材料にはならないのか」
「でも、少なくとも研究所に侵入したスパイがまだこちらに何かこだわっていることはわかる。それも、女優さんのストーカーまで煽って騒ぎを大きくしようとした手の込みようからして、尋常じゃないこだわりが。侵入盗と思しき人物が研究所に送ってきた脅迫文の内容から考えて、それは神社に関係があるはずだ」
「そうなのかな。やっぱり、目的がよくわからないね。だって、ここで騒ぎがあったって、神社には何の影響もないじゃない。わたしがびっくりするくらいで」
「うん。そもそも、ここにふみちゃんが来ることを知っていた人間は多くない。母とか飯田さんとか、皆川さん、ふみちゃんのご両親。ツクボウの関係者か、ふみちゃんの知り合いばかりだ。本当に目的は何なんだろう」
「あれ、そういえば金山さんは? わたしが来るかもしれないって思ってたんじゃないの?」
「そうかもしれないけど、金山はふみちゃんが誰なのかは知らなかった。ふみちゃんの名字すら今日初めて聞いたはずだ。あの時はオレ、紹介する気はない、って言って何も言わなかったし」
「そういえば、そうだっけ。でも、金山さんはツクモのお母さんと仲いいんでしょ? 後で聞いたりとかできたんじゃないの」
わたしを招待したい、とツクモが桐江さんに言ったとき、当然、名前や身元も桐江さんには伝えているはずだ。
ところが、ツクモは首を横に振った。
「あんまり腹が立ったから、金山に何か聞かれてもふみちゃんのことは何も言わないでくれって、母に口止めしてあったんだ。母ときたらそれを曲解して、オレがふみちゃんを独り占めしようとしてるとかなんとか、話をややこしくしようとするもんだから、今朝の電話でも最終的にはケンカしたんだけど」
大分、親子の相互理解がこじれているらしい。
「さっきも、金山が一方的に突っかかってきてただけなのに、母は、オレがふみちゃんを見せびらかしてるから男の子同士の意地の張り合いみたいなケンカになるんだ、とか言うんだよね。いい加減二人とも大人になりなさい、とか、もうどこからどう理解していいかわかんないロジックで怒ってくるし。まああの人は、遠くから見てただけで話を聞いていたわけじゃないみたいなんだけど」
心底参った、という様子でげっそりとため息をついているツクモをよそに、わたしはふと、ある違和感のことを思い出していた。
なぜ金山さんはカフェテリアでの初対面のとき、あんなに憎々しそうに私をにらんだんだろう。ツクモと仲良くしているのが気に入らないから? それとも、他に理由があるんだろうか。
でも、その漠然とした疑問をうまく言葉にしてツクモに伝えることが、わたしにはできなかった。














