71 招かれざる客(前)
パーティー会場に戻ると、中断していたオークションがふたたび進行している最中だった。ツクモは、入り口を見張る風情で立っていた背広の男性と一言二言言葉を交わしてから、会場のテーブルや装花をさりげなくチェックしている風情で、何かを探していた。
「ふみちゃん、見て、ここ」
ツクモがわたしに示したのは、壁際の書き物机の上に飾られた花の裏側だった。白いテーブルクロスに、かすったような粉っぽい汚れが付いている。
「これ、もしかしてオオミズアオの鱗粉?」
「多分そうだ」
ツクモはしゃがみ込んで何かを拾い上げた。見ると、焼き菓子を作るとき型に敷きこむような、ぱりっとした薄い紙だった。
「ほら。ここにも」
紙の内側には、クロスについていたのと同じような粉がこびりついている。
ツクモは少し考え込んだけれど、その紙をハンカチに挟んで大事にしまい、引き続き辺りを入念にチェックした。他には、特に変わったものは見つからなかった。ツクモはさらに、ロビーの方まで出て探索を続けたが、結果は空振りだった。
「まあ、爆発物や発火装置なんてものまで持ち込んだら、捜査の手が厳しくなるから、そういう騒ぎを目的にしてたわけじゃないってことかな。そもそも、開場前にセキュリティの最終チェックをした後は、この会場にそんな大きなものを持って入れた人間はいなかったはずだし」
ツクモは腕を組んで、ロビーの壁に寄りかかった。会場のざわめきが扉ごしにかすかに聞こえてくる。ロビーは化粧室を使う人が通る場所ではあったが、その時はわたしたち以外の人影は見えなかった。
「騒ぎに乗じて何かを仕込んでるわけではなさそうなんだね。持ち込むのがダメなら、何かを持ち出すって線は?」
わたしが思いつきを口にすると、ツクモは首を横に振った。
「物は、入れるのも出すのも難しかったはずだ。小さいものならわからないけど、大きいものは基本的にフロアに入ってすぐのクロークで預かって、持って出入りしないようにチェックしている。会場の警備員も真っ先に警戒したのが盗難だったけれど、あの騒ぎの後で会場を出たのはオレたちだけだったって」
さっきの入り口の背広の男性が、警備担当スタッフの一人なのだろう。
「オークションの品物は無くなったりしてないの?」
「さっき遠目で数えたけど、全部合ってる。そもそも、オークションといったって、これはごく気軽な集まりだ。十万円を超えそうなものは数えるほどしかないし、そういうものは大型のアート作品が中心だ。今回出品されているものは若手の作品が多いから換金性も低い」
「闇で売りさばいたりとかしないの?」
映画とかドラマでは大体そういう展開になる。わたしがきょとんとして聞くと、ツクモは苦笑した。
「新進気鋭のアーティストの作品というのは、パトロン気分で買う人が多いんだよ。アーティストとの今後のお付き合いも込みで、応援の意味で買う。つまり、正規のルートで堂々と買うことに価値があるんだ。転売目的で盗みなんかに手を染めたところで、そのアーティストが今後よほど売れたりしない限りは、後ろ暗い盗品に手を出す収集家はいない。土産物屋の量産品程度の値段をつけざるをえなくなるのがオチだ」
「うーん。現金とかは、ここでは扱わないんだよね?」
「うん。実際のお金のやり取りは、後日振込でやってもらう仕組みになっているから。やっぱり、しっくりこないな。盗み目的で、今日のこのイベントに、こんな騒ぎを起こすだけの価値を見いだせるものだろうか」
「どういうこと?」
「母が企画するイベントの中では、これはかなりカジュアルな部類だとオレも思う。同じ騒ぎを起こすなら、もっとみんな宝石とかを身につけてめかし込んで来るような、言ってみれば効率のいい場が他にありそうなものだ、と思って」
「じゃあなんだろう」
ツクモも首をひねった。
「もう少し、様子を見てみないと何とも言えないね」
「この後、イベントはどうなるの?」
「オークションが終わったら、女優さん、甘木さんだっけ。あの子と、小児病院の院長先生が挨拶してくれることになってる。その後、母が閉会の挨拶をして終わり」
「凉音ちゃんも来てたんだ」
「うん、でも仕事が忙しくて疲れちゃったみたいで、気分が優れないからって別室で休んでるんだって。脅迫のことも気にしていたのかもしれない。挨拶だけはしに出てきてくれるってさっき聞いたけど」
「文史朗さん」
ふいに、声をかけてきた女性がいた。目立たないグレーのパンツスーツ姿で、きびきびした身のこなしだった。年のころは四十代にさしかかったくらいか。母より少し若そうで、中性的でしっかりした体格と彫りの深い顔が、シビアな仕事を長年続けてきたであろう貫録を感じさせた。
「何かあった?」
ツクモは寄りかかっていた壁からさっと身を起こした。わたしにこそっと耳打ちしてくれる。
「うちのセキュリティ部門の人。島木さん。今日の警備を指揮してくれてる責任者」
「さっきのガの騒ぎに乗じて、忍び込んでいた人間がいたんです。少しお話を伺ってから、外のパトカーまでお送りしようと思うんですが、同席されますか」
言葉は丁寧だが、島木さんの目は一ミリも笑っていなかった。
「行く。ふみちゃんも来てくれる?」
わたしはうなずいて、差し出されたツクモの手を取った。
「裏口に止めたうちのバンの中でお待ちいただいています」
バックヤードの方に先に立って案内しながら島木さんが言う。ツクモが尋ねた。
「どこで見つかったの」
「宿泊フロアに上がれる、スタッフ用の裏階段のところで」
「目的は?」
「今から伺うところです」
裏口を抜けたところに駐車されたバンのまわりには、島木さんと同じような服装の数人の男女が立っていた。不法侵入者はその中にいるらしい。ツクモはわたしを背中にかばいながら、車内をのぞき込んだ。その肩越しにちらりと、金色っぽく髪を染めた若い男の姿が見えた。
「さて、幾つか質問に答えていただこうか。まず、どこから入った?」
島木さんが車内に乗り込み、厳しい声で尋ねる。
「別に、普通」
「もちろんこの後、警察の車両までお送りするわけだけど、ここで協力してもらえないようなら、こちらとしてもかなり厳しいトーンで事情をお伝えせざるを得ないだろうね」
男は渋々といった様子で答えた。
「招待客が来るタイミングで敷地に入って、その植え込みの影で待ってた。騒ぎが起こったら中に入るつもりで」
「入ってどうするつもりだった?」
「甘木凉音に聞きたかったんだ。俺がずっと事務所宛てに送っていたプレゼントや手紙を無視し続けてるのはなぜか」
ストーカーじみたファンということだろうか。
「ツクボウ化粧品に脅迫文を送ったのもあなたかな」
男はどこか得意げにうなずいた。
「そうだよ。事務所に送ってもなしのつぶてだったから、映画会社やスポンサーなら効き目があるかと。脅せば、動揺して少しはこっちの話を聞いてくれるかと思って」
「なぜ今回のイベントをねらった?」
「地方のイベントなら警備も手薄だと思ったんだよ。実際、あの騒ぎが起こった一瞬、監視が緩んだ。それを狙って待っていたから、案外簡単に忍び込めたが、パーティー会場に凉音はいなかった。それで、上の部屋のどこかにいるんじゃないかと思って階段に向かったところで捕まったというわけさ」
ヤケになったのか、それとも、自分の手口をしゃべっているうちに高揚してきたのか、金髪の男は妙に饒舌になっていた。
ツクモが、男の顔をじっと見ながら尋ねた。
「騒ぎを待っていた、と言いましたね。何かが起こると知っていたんですか?」
「ああ。俺が凉音のファン活動でメインに使っているSNSに連絡を取ってきたやつがいた。知り合いじゃなかったし、多分捨てアカウントだろう。このイベントに凉音が来る、ここで騒ぎが起こるから狙い目だと言うんだ。それで、この侵入を思いついた」
「本当に騒ぎが起こると信じたのか? そんな、誰ともわからないやつの言ってきたことを」
眉をひそめた島木さんが問いただすと、男は頬をゆがめるようにして笑い、ゆるく首を振った。
「半信半疑だったが、実際に騒ぎが起こらなくても、どこかにつけいる隙はあるんじゃないかと。試写会と違ってこっちは招待客も限られた小さなイベントで、存在も宣伝されていない。凉音のスケジュールはくまなく押さえていたつもりの俺も、そいつに聞いて初めてここでイベントがあると知ったくらいだった。だからワンチャン、何かねえかなと期待して待っていたんだ」
「なめられたもんだな。自覚してるかどうか知らないが、脅迫はなかなか罪が重いぞ。あんたをこんな目に誘い込んだ輩に義理立てする必要もないだろう、その連絡を取ってきたやつのアカウントを教えてもらおうか」
島木さんが、冷たい調子で男に言う。男は案外あっさりと、島木さんにスマホの画面を見せていた。そこからはどうせ何の進展もないだろうと高をくくっているのか、どこかせせら笑うような態度だった。
ツクモは何かを考え込んでいたが、もう一度口を開いた。
「時間は? 相手は騒ぎの起こる時間を言っていましたか」
「六時半頃だと」
「騒ぎの前に、会場に入ったりは?」
「していない」
島木さんはツクモを振り返った。二人で目を合わせてわずかに頷き、男だけを車内に残してドアを閉めた。














