65 マリーゴールド
桐江さんはわたしの髪に飾られたマリーゴールドに目を留めた。
「生花なの? かわいらしいわ。こういうコサージュは郁子さんくらいのお年頃が一番似合うのよ。素敵ねえ」
由奈ちゃんのアドバイスを思いだした。ここか。このタイミングか。
「文史朗さんが、今日、サプライズで用意してくださったんです」
花束を最初に見たときの、うわあかわいい、と高揚した気分を思い出して、自然と笑顔になってしまった。
ちらっとツクモに視線をやると、むすっとしてちょっと赤くなり、そっぽを向いている。
あれ。言ったのまずかったかな。お母さんの前でこういうことを言われるのは、男の人は嫌なんだろうか。
でも、わたしのそんなささやかな心配を吹き飛ばすほど、桐江さんの反応の方が激しかった。
頬に手を当てて乙女のような小さな叫び声を上げる。
「文史朗さんがっ?! うちの子、そんなに気が利く子じゃないと思ってたのに! いつの間にか男の子って大きくなってるものねえ! ちょっとよく見せていただける?!」
乞われるままに、わたしは小腰をかがめて、左耳の後ろに由奈ちゃんが留めてくれたコサージュに光が当たるよう、首を右側に傾けた。桐江さんはわたしの二の腕につかまるみたいにしてコサージュをじっくり検分した。
「郁子さんによく似合ってるわ。今日のお洋服にも。ストールのゴールドに、オレンジ色が映えるわねえ。ああ、文史朗さんにちゃんとお友だちができてよかった! 郁子さん、これからもよろしくね」
「はいっ、ええと、こちらこそっ」
テンションに押されて、元気よくお返事してしまった。
「あー、おふくろ、もういい? 向こう、見てこないと。ふみちゃん、一緒に来て」
相変わらずぶすっとしたままのツクモが桐江さんとわたしの間に割り込んできた。割と有無をいわせない感じでわたしの向きを変えて背中の下の方に手を添え、その場から引きはがすようにして連れ出そうとする。
もちろんわたしにも異論はないのだが、心証は悪くしたくない。ツクモに半ば引っ張られながら、振り返って会釈だけは送った。桐江さんは満面の笑顔で手を振ってくれた。
その直後、おそらく仲のいいお友達奥様グループであろう周囲にいた女性たちと、わっとばかりにテンションの高いおしゃべりが始まったところを見ると、『あの文史朗さんが女の子を連れてきた』ネタで盛り上がっているに違いない。サプライズのコサージュは格好の燃料投下になってしまったらしい。
桐江さんたちのグループから十分離れたところまで来たところで、ツクモは立ち止まった。飲み物グラスを並べたテーブルの装花を見るような振りをしているけれど、視線が泳いで、上の空の様子だった。
さっきのお母さん爆弾にやられて、思考力を立て直してるのかも。わたしは指先でツクモの袖に触れ、ちょっと背伸びをして、彼にだけ聞こえるようにささやいた。
「ごめんね」
「え?」
ツクモはきょとんとしてわたしに視線を向けた。
「お花のこと。お母さんの前では言わない方がよかった? お母さん、テンション上がっちゃったでしょ。人前でそういう風にされるの嫌かなって」
「ああ、いや。そんなことない。母はふみちゃんが言ってくれたことをとても喜んでたし。何で?」
ツクモはちょっと目をそらした。
「ツクモ、なんか居心地悪そうだから」
「あの人のあのテンション、本当に苦手なんだ。落ち着いているときはもうちょっとまともな人なんだけど」
「まとも、って」
思わず、少し笑ってしまった。
自分の母親のことなのに、そして、桐江さんはとてもいい人そうなのに、ずいぶんな言い草だ。いや、言いたいことはなんとなくわかるけど。ツクモとしては、ちょっと困る場面も沢山ありそうだし。
雰囲気は似ているけれど、興味の対象が違いすぎるから、水と油のような親子なのだろう。
ツクモはテーブルの花に手を伸ばした。緩んで落ちかかっていた一輪を挿し直しながら、こちらを見ないままで言う。
「でもね、おふくろの興奮しすぎな反応はちょっとどうかとは思うけど、ふみちゃんにお花がとっても似合うのは本当だし、選んでくれたのは花屋さんだけど、それでも、オレからって言ってくれたのはすごく嬉しい」
ちょっと待て。その不意打ちは反則だ。
それ、超照れながら言わないで。こっちまで顔が熱くなってしまう。
何か言わないと不自然な間が空いて気まずくなってしまいそうだ。あわてて話題を探した。
「どうして、お花くれたの?」
さっきの由奈ちゃん理論はいくら何でも飛躍しすぎだと思う。ツクモがどう思っていたのか、聞くなら今しかないと思った。
「バイトも、この件も、オレの都合でいっぱいふみちゃんを振り回しちゃったな、と思って。ありがとうの気持ちのつもりで。花屋さんに、何か小さいお花をお世話になった人にあげたいんだけど、大げさにしたくないから当日さっと渡すくらいでって相談したらあれこれ聞いてくれて、提案してくれたんだ。なぜかだんだん花屋さんのテンションが上がってきちゃって、かわいいお嬢さんに差し上げるならこのくらいは凝らなきゃ、とか、からかわれてるのかなってくらい盛り上がっちゃったんだけど、ふみちゃんは気軽に受け取ってくれたらそれでいいんだ」
なるほど。花屋さんにからかわれてるのかもって思うくらい前のめりにアドバイスされて準備してもらったところを、にやにやした由奈ちゃんにツッコまれたからあんなに居心地が悪そうだったのか。
そういった、ツクモの意図を大きく外れたところで小さな善意が前のめった結果として、ちょっとした感謝の気持ちを表すつもりだったお花が、往年の乙女たちがきゅんきゅんするようなコサージュのエピソードに化けてしまったというわけか。サプライズに妙に張り切ってしまった花屋さんの熱意だけではなくて、髪に飾るとかサプライズのプレゼントだったと強調させるとか、乙女心をくすぐりにかかった、影のプロデューサー・由奈ちゃんの暗躍も関わっていた訳だけれど。
それでも、素直に嬉しかったことはちゃんと伝えようと思った。
「ありがとう、ツクモ。何か特別な、卒業とか表彰とかの行事じゃなくて、自分のためのお花を選んでもらったのは初めてだよ」
「選んだのは花屋さんだけど」
「違うって。お花をあげようって思ってくれたのが嬉しいってこと」
「じゃあ、オレも。受け取ってくれてありがとう。それを、そうやって身につけてくれてるのを見るのがこんなに嬉しいって思わなかった。髪につけてくれたの、皆川さん? ふみちゃんのことよくわかってる」
そのあとに続く最後の一言は、そっぽを向きかけて早口だったので、わたしの地獄耳でなければ聞き取れなかっただろうと思う。
「花も服もすごく似合ってて、かわいい」
わたしは聞き返すような無粋な真似はしなかった。でも、さっきまで感じていた不安や居心地の悪さが、その一言で嘘みたいに軽くなった。心の中で、最初に会った日にナナフシと呼ばれたことは、もう水に流してあげよう、と決めた。














