59 コサージュ
「お待たせ」
ツクモが戻ってきて、運転席に座った。手に小さな紙袋を二つ持っている。急きょ会場に持っていかなきゃいけなくなったものかな、預かった方がいいのかな、と見ていたら、ひとつをわたしの膝の上に置いて、ひとつを由奈ちゃんに差し出した。
「ひとつずつね」
ちょっと無愛想に言って、ツクモは車を発進させた。
「え、くれるの、ツクモ? ありがとう」
よくわからないながらまずお礼を言って、紙袋の中をのぞいてみた。
中にあったのは、透明なプラスチックでできた、ふたつきのケースだった。よく洋菓子屋さんで贈答用の少量のクッキーをいれるのに使うような品だ。そのケースの中に、手のひらに乗るくらいの小さな花束が入っている。山吹色の花びらがぎっしり重なったマリーゴールドが二輪と、淡い黄緑色の真ん丸なポンポンギクが一輪、それに、シロツメクサとよく似た形の小振りな花、白の千日紅がその間を埋めるように取り合わされていた。少しあしらわれた緑色の葉っぱに、明るい色の花がよく映えた。
「かわいい!」
思わず歓声をあげてしまった。
「えー見たいな」
後ろから由奈ちゃんの声がかかる。紙袋からプラケースを取り出すと、ツクモが横目でこっちを見て言った。
「ピンがついてるから、指、気をつけて」
「コサージュですか?」
由奈ちゃんが声を弾ませる。って、卒業式とかでお母さんたちがスーツの襟につけてるあれのこと?
「生花のコサージュなんて素敵ですね」
「花屋さんのおすすめで、ふみちゃんはすぐ帰れないから、その場でもう楽しめるように。皆川さんはこの後のご予定がどうなのかわからなかったから、少し時間がかかっても大丈夫なように、オアシスを使ってアレンジにしてもらいました」
わたしは二人が話しているのを聞きながら、ケースの蓋を開け、緑色のテープで巻かれた茎のあたりをつまんだ。確かに、まち針の親玉のような針が隠れている。指に刺さらないように気をつけて箱から花束を出してみた。シートベルトをしたままで動ける限り首を伸ばした由奈ちゃんがわたしの手元をのぞきこむ。
「かわいい!」
由奈ちゃんの第一声もわたしと同じだった。
「オレンジの花って、郁子のワンピースの裾の模様と同じだ。ぴったりですね」
あれ。そう言えば。
「でも、今日どんな服着るかなんて言ってないよね?」
ほとんど毎日、電話で話す機会があったから、聞かれたら言ったかもしれない。でも、そもそも聞かれなかった。ツクモが車を離れていた時間はせいぜい五分。こんな短時間で、小さいとはいえこんな凝ったアレンジメントを、しかも由奈ちゃんの分と二つなんて、作れないだろう。偶然かな。
「そうなの郁子? でも、オレンジはなかなか偶然では合わないですよね」
由奈ちゃんが、鰹節の徳用大袋に首をつっこんだ猫みたいにニマニマとした声で言う。シートベルトとシートの形の関係で、わたしは由奈ちゃんの顔が見えるほど振り向くことはできなかったけれど、今彼女が、失礼にならない限界で微笑んでいるのは手に取るように想像できた。何かつかんだ時の、そして何かをつかんだことを相手に暗に示して更に美味しい情報を引き出そうと揺さぶりを掛けているときの由奈ちゃんだ。
うー、こわ。
ちらっと横目でツクモを見た。居心地悪そうに正面を向いて、運転に集中しているふりをしているけど、さっきまでより明らかに肩に力が入っているし、目の縁がちょっとだけ、いつもより赤いかも。
由奈ちゃんの揺さぶりは確実にツクモに何らかの影響を与えているらしい。
由奈ちゃん、何に気がついたんだろう。
「郁子、後でジャケットにつけてあげる」
「ありがと。わたしにも、後で由奈ちゃんの花も見せてね。何色?」
「青紫系。綺麗だよ。……ありがとうございます、私にまで」
後半はツクモに向けられた言葉だった。ツクモはやっぱり居心地悪そうに、うん、とうなずいただけだった。これは相当困っていそうだ。わたしは、助け舟を出そうと話題を変えた。
「会場は<ホールすずかぜ>だよね。由奈ちゃん、行ったことある?」
由奈ちゃんは少し離れた土地の出身で、大学の近くに下宿している。このあたりのことは、地元出身の人間ほどには詳しくないだろう、と思ったのだが、彼女はあっさり答えた。
「もちろん。ライブや試写会や公開収録、この辺でやるとしたら<すずかぜ>かS市のアリーナでしょう。私、一人でも結構行くよ。試写会や公開収録はラジオなんかで抽選やるけど、ペアと違ってお一人様のは結構当たりやすいんだよね」
「へえ。地元だけどそういうのは行ったことないや。まだ子どものころに、アニメ映画の上映会を何回か見に来たことがあったけど、映画はもう、大学の近くにできたシネコンに行っちゃうしね。わたしは、最近では高校のころ、吹奏楽部の定期演奏会のチケット買わされて来たのが最後だったかな。去年あったミュージカルの公演は、観たかったけど人気過ぎてチケット取れなかったし」
この辺では、地域のピアノ教室の発表会でも、中学校の学校対抗合唱祭でも、この会場を借りることが多い。収容人数の大きいメインホールと、その半分くらいのサブホール、宴会場のような低めの舞台があるだけのカンファレンスルームがあって、来客数に応じて手ごろな器を選びやすいうえに、半官半民のため、地元のイベントは会場費も優遇されるらしい。大小さまざまな催し物のおかげで、地元民にはなじみのホールなのである。
「今日の試写会は一般のお客さんも来るの?」
尋ねると、ツクモは小さくうなずいた。
「うん。皆川さんが言ったみたいに、今回も、FMラジオやテレビのローカル情報番組、コミュニティ誌なんかで参加希望者を募って、抽選でチケットを送っているって聞いてる。混乱を防ぐために、招待客とは受付も待機場所も違うけどね。試写会は映画配給会社が主催しているから、ツクボウは客分なんだけど、警備協力はしてるんだ」
「混乱?」
「招待客のほうは、芸能関係の仕事をしている人も多いから。ファンと鉢合わせしちゃうと困るとかあるみたい。そういう区分は無しでやる試写会もあるけど、今回は母の主催しているチャリティ・ガラの件もあって、招待枠を多くしてもらったみたいなんだ。警備もその関係で協力してる」
「ふうん」
話しているうちに、<ホールすずかぜ>の駐車場に着いた。
車から降りたところで、由奈ちゃんがさっとコサージュをジャケットの襟もとに止めてくれた。
「あ、でも、このジャケット、パーティーのときは預けちゃうよ?」
「心配しないで。映画が終わったら、ちゃんとつけ直してあげるから」
由奈ちゃんの頭のなかにはもうすっかり何かのプランが出来上がっているらしい。こんなときの由奈ちゃんには、何を聞いても言っても無駄である。わたしは彼女のセンスに全幅の信頼を置いて、すべておまかせすることにした。
「似合うよ」
やっぱり、鰹節の袋に顔を突っ込んだ猫のように、にやにやと満足げなスマイルで言う。由奈ちゃんは何を手掛かりにツクモに揺さぶりをかけようとしていたのか、こっそり聞きたかったけれど、そんなチャンスはなかなかめぐってこなさそうだった。














