57 医院文書のディスカッション(後)
「もう一つ、気になる線があるんだ」
車は快調に高速道路を飛ばしていく。下の道がやや混雑していたのに比べて、車の数も少なく、流れはスムーズだった。
「宮守芳が姿を消して、七曜神社は守る人間がいなくなった。江戸時代、寺が地方統治の要を担った関係上、地域の神社に問題があれば近くの寺が面倒を見るのが普通だったから、このときは浄雲寺が神社を管理することになったらしい」
「ああ、なるほど。近い。ツクモが先月法事に来たって言ってたところだよ」
今でももちろんご近所付き合いはある。住職は元校長先生で、優しいけれど、わたしの過去の数々のケンカやいたずらの情報をよく覚えているので、ちょっと緊張する相手だ。
「そうだね。この時期には築井家の菩提寺でもあった。うちのご先祖が明治年間に入って、東京に本拠地を移してから、向こうでの付き合いの関係で変えたらしいんだけど。芳が姿を消したちょうど一年後、この間の蝗害と飢饉に関わって命を落とした人々の供養を行いたい、神主がいない間の七曜神社の祭りも世話してやってくれないか、と当時の藩主・築井広成の奥方が寺に申し込んだらしい。氏子がほとんど寺の檀家でもあったから、そういった人たちが中心になって仕切って、お寺が後見役でできないかと。鈴を持って氏子地域の家々を回り、ケガレを払う行事だと書いてあった。今もあるの?」
「ああ、御鈴祓いだ」
「あるんだ! どんな行事?」
「九月の祭りの一部だよ。お囃子連と一緒に、その年の氏子代表が鈴を持って家々を回るの。何事もなかった家は門前でお祓いするだけだけど、冠婚葬祭があった家は、家の内外、丁寧にやる。最後は川岸の仮社までいってケガレを流す」
「神主の役割は?」
「父は、境内で出発前の行列を清めて、神様の魂をふるい起こすための祝詞を唱える。あとは、氏子さんが中心で集落を回るの。うちは小さい神社で、神主と言っても宮司のお父さんだけだからね。これは氏子さんだけの行事なんだ。集落の氏子さんたちにとっては御鈴祓いがお祭りのメイン行事だから、神社の人間としてお母さんとわたしが毎年役員さんと一緒に運営するけど」
見に来れば、大したことのない、普通の地域の祭りだとわかると思うのだけれど、見たことのないツクモにどう説明したものか。わたしは祭りの風景を脳裏に描きながら言葉を探した。
「あちこちに、御神輿担ぐ地域のお祭りがあるじゃない、ああいうのとそんなに変わらないと思うよ。御神輿の代わりに鈴を持って歩くだけで。氏子代表のお世話役の大人と、御寿々役っていう代表の子どもが、ブドウの房をひっくりかえしたみたいな感じで、心棒に鈴をたくさんつけたものを持って、各家を回っていくんだ。行列は子どもが中心なんだけど、後の子たちはそれぞれ、お囃子連に入るか、大きい丸い鈴をよりひもに一つつけたものをたすきがけして随行するか、だね」
「じゃあ、大人は?」
「さっき言った、鈴を持つ代表のお世話役が二人と、お囃子に大人が少し加わる。笛のパートが難しいからね。あとは、行列に参加する、一人で出すのが心配なくらい小さい子には誰か保護者がついてくるけど、それ以外の氏子衆は基本的には行列を家で待ち受けるの。自分の家のお祓いをしてもらった後で行列の後ろについていって、最後に川べりでケガレを川に流す神事に参加する。ここには、宮司は出席しない」
「ふみちゃんパパはその間何をしてるの?」
「社殿とご神域で祭祀があるの。特にご神域のほうは、宮司だけの秘事なんだ。普段、禁域は奥の谷だけど、祭りの期間中は、宮司の家族でも裏山全体に近寄らない」
「それは、そういうしきたりというか、ルールとして?」
「ルールがあるというより、他が忙しいという面が大きいかな。川岸のケガレ流しの行事が集落のお祭りとしてはクライマックスになるからね。賑やかにお囃子を鳴らしてケガレ流しをした後は、軽食とお神酒の振る舞いがあって、子どもたちにはお菓子も配るの。行列の面倒をみるのにも、この川岸の対応にも、両方に人手がいるから、お父さん以外は正直、裏山どころじゃないという状況になっちゃう」
「へえ。かなり原形を残してるんだ」
「どういうこと?」
「良順先生の文書には、事件の翌年、飢饉の原因となる自然の荒ぶる魂を鎮め、ケガレを祓うために、その御鈴祓いとほぼ同じ形式の祭りを行ったと書いてあった。七曜神社の伝統の祭りだ。ただ、神主が不在のためか、その社殿とご神域での祭事については記載がなかった。あと、以前は神社の社殿でケガレを祓う神事を行ったが、神主がいないので、川岸で住職に読経してもらい、追善供養をおこなった、とあった。住職への寄進や、村人への振る舞いなどの予算は、どうやら築井家の奥向きから出ていたようだ。だから実情は、奥方のたっての願いで、祀りごとを続けてもらった、ということらしい」
「神様も仏様もごちゃ混ぜじゃん。いい加減だなあ」
「神仏習合というか、民間信仰としておおらかにどちらもお互いを許容する雰囲気だったのかもね。お寺のご門前に稲荷神社があるところも結構あるだろ。特にこういう小さなコミュニティではお互いの役割を補完しあわないと存続できないだろうから」
「それで、宮司が、山で拾われた『ちか』さんにまた決まったときに、お寺が手を引いたということなのかな」
血筋からいうと、行方不明になった芳さんではなく、この『ちか』さんが、わたしの直接のご先祖ということになる。
「そうかも。でも、どうして、川岸でのお祓いが残ったんだろうね」
「え?」
「川岸でやるから宮司が来られないんじゃないか。以前は御鈴祓いの行列は神社を出発して神社に戻っていたそうだ。なぜ、新しい宮司が就任したときにそれも戻さなかったんだろう」
「その伝統がもう忘れ去られていたからじゃないの?」
「違う。『ちか』が発見されたのは事件の十年ほど後だ。その後数年、築井家が預かり、当時の成人年齢である十五歳頃にはおそらくもう、神職に就いていたはずだ。十数年で、神社の伝統の祭りの執り行い方という地域コミュニティにとって至極重要な事柄がそんなに簡単に忘れられるものかな」
そう言えば、たしかにそうだ。十数年なら、芳が神事を行っていたときを知っている氏子衆は大勢いただろう。父だって、祖父が生前に伝えきれなかったしきたりは氏子の皆さんに教えてもらいながらやってきたのだ。
「じゃあ、変えた方がいい理由がなにかあったから、変えたままにしたってことだよね」
「オレもそう思う。しかも、川岸で、と勧めたのは、医院文書のニュアンスではどうやら良順先生なんだ」
「住職でもないのか」
「相談はしたみたいだけどね。さて、なぜ川岸だったのか」
「追善供養だから事件現場でいいんじゃないの?」
「だって、誰を供養するんだよ?」
「え?」
「その現場では誰も死んでないんだ。芳は行方不明。紋成と村人は怪我。顔や手が腫れた村人も、皆自宅に帰っていて、大半は症状が数時間かそこらでおさまっている。中には香の影響があってか、持病が悪化して亡くなった人もいたかもしれないけど、それは因果関係がはっきりしない上に、亡くなったのはきっと自宅だろ。飢饉で亡くなった人も病気で亡くなった人も、川岸で供養する必然性は別にない。あるとすれば、大量におびきよせられて川に流されたイナゴたちぐらいだ」
「じゃあ、イナゴ供養なの?」
「そうだとしたら、これはオレの研究分野ってことになる。こういう形式でのイナゴ供養はあまり例がないから、すごく興味がわく。もしそうでないとしたら、解くべき謎が一つ残ってるってことになる」
「どっちにしても、ツクモの好奇心はまだまだ満足しないわけだ」
「えー、だって気にならない? うちのご先祖様と、ふみちゃんちの神社と、昆虫がでてくる謎だよ。これは個人的にもとっても気になる」
「昆虫はともかく、そうだね」
「ふみちゃんは昆虫に冷たい。神社のご祭神は胡蝶の神様だって言ってなかったっけ」
ツクモは口をとがらせた。でっかいくせに、子どもみたいな拗ね方でおかしい。
「その辺は全然わかんないんだよね。主のご祭神は、ふつうに世間様の神社でもよくあるやつだよ。昆虫関係なく」
わたしは肩をすくめた。
「普通の主祭神の神事だけじゃなくて、独自の儀式が多いらしいんだよ。その、独自のものに一子相伝の秘事が多いみたい。主祭神の他に、なにか祭神のようなものがあるみたいなんだけど、その辺はちゃんと話してもらえない。集落のお年寄りには、七曜神社は胡蝶の神様、と言う人も結構いるし、チョウ関係の昔話も多いから、そんな感じなのかな、くらいにふわっと受け止めてきただけなんだよね」
なにかと、一子相伝が多い神社なのである。継ぐと言わなければ教えてもらえないし、継ぐなら継ぐで早く言わないと、教えることが多すぎる、と父は少し焦っているようだった。まだまだ、あのおっさん、ぴんぴんしてると思うんだけど。
ツクモは、ふうん、と面白そうにうなった。
「神社文書でもう少しチョウの扱いが読み解けてくればその辺もわかってくるんだろうけど。一子相伝の文書の方に記述が多いのかな。やっぱり、ふみちゃんパパが謎のカギを握ってるのかもしれないな」
「本人はただの親ばかでのん気なアラフィフですけどね」
でもそう考えると、父には確かに職業上の秘密が多い。謎めいていると言えば謎めいている。
いつの間にか車は、M市の出口に近づいていた。ツクモが左車線に移った。市街地に降りれば、対向車や歩行者への注意力を必要とする部分も多いから、ディスカッションは自然に中断となった。伸び伸びとした天上の世界に遊ぶ時間は終わり。またしばらくは人の世の道路である。がんばれ、クワガタちゃん。














