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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第六章 試写会

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56 医院文書のディスカッション(中)

「オレが考えたのは、チョウに対するアレルギーだ。チョウの中には、幼虫時代から毒のある草を食べて体内に毒をため込み、濃縮していって、身を守る手段にする種類がいくつかある。こういった種類のチョウやガは、毒のある針のような毛を、イモムシ時代は全身に、成虫になると、羽の鱗粉の間にまとうことがある。毒のあるケムシっているだろう。さされると腫れるやつ」


「あ、わかる。サクラの木とかによくいる、蛍光グリーンのやつ。小学校で時々大量発生して、消毒するまで校庭が半分くらい使えなくなったりしたんだ」


 ちょうど高速道路のインターチェンジに向かう幹線道路を走っているところだった。両脇に植えられている街路樹は、青々と繁った大きなケヤキだ。あの木も、五月くらいから毛虫要注意の物件だろう。


「そうそう、そういうの。あれはガの一種なんだけど、成虫に触っても手が腫れることがある。それは、羽にこの毒針毛が生えているからなんだ。もし、この記録にあるほど大量のチョウが飛来して、そのチョウがたまたま毒針毛を持つ種類で、そいつらがそこらをぶつかり合うようにしながら飛び回ったら? と考えた。羽どうしがぶつかれば、羽が壊れて飛散することもあるかもしれない。そうなれば、鱗粉や、毒針毛だってそこらに飛び散るだろう。顔や手、というのは、その状況で症状が出た場所としては矛盾しないんだ。着物を着ていても露出している部位で、飛び回るチョウに近い上半身だ。宙を飛び回り、毒針毛をまき散らすチョウが大量にその場に押し寄せ、宮守芳を取り囲んだとしたら。近くにいるもののうち、その成分に過敏な人を中心にかなり強い症状が出てもおかしくない」


「ツクモは、やっぱり、謎のチョウはいると考えてるの?」


「少なくとも、江戸時代のこの時点では、いたんじゃないかと思っている。今ほど、新種の発見が取りざたされる時代じゃない。わざわざそんな嘘を神社の文書に書く理由もない。にもかかわらず、七曜神社の文書には、図入りであんなに詳しくチョウのことが記載してあった。それは、このチョウが実在して、しかも重要な意味を持つからじゃないかと思ったんだ」


「どういうこと?」


「このチョウに近寄れば、神罰がある。あるいは、呪われる。それほど、村人に忌避される存在だったんじゃないかということだ。それが、ある種の体質の人に激しいアレルギー症状を引き起こす性質のせいだったとすれば、納得が行く。症状が出る人と出ない人がいるのは、当時としては解釈が難しかったはずだ。そこに超自然的な、神の力や呪いという概念をあてはめたとしても不思議じゃない。しかも、この山には、おそらく科学的には未記載の固有種、つまり他では発見されていない、アレルギーを引き起こす物質を含んだ植物が自生している、とオレは見ている。散虫香や、今では作られていない集虫香の材料になっている植物だね。こういったものを食草にして、物質を成長の過程でため込んで濃縮していったとすれば、そのチョウが植物のほうは平気な人間に対しても激しいアレルギーを引き起こすメカニズムも、それなりに納得がいくんだ」


「そうか。筋は通るのか」


「証拠がない、走りすぎって、飯田さんには怒られると思うけどね」


 車はやや減速し、高速道路のETCゲートを通過した。ようやく水を得た魚のように、エンジンが気持ちのいい周波数の振動を立てて回転し、スピードが上がり始める。


 街で乗るには、肩身の狭そうな車である。パワーがありすぎるせいか、かえって立ち上がりは慎重なかんじで、傍から見ているとハンドルもやや扱いづらそうに見えた。もっと広々した、交差点なんか何キロも先にしかない、TVで見たアメリカの荒野みたいに果てしなく見通しがいいところのほうが伸び伸び走れそうな車だ。


 なんとなく、ツクモっぽい。


 ツクモも、人の世に混じって周りに合わせていると、ちょっときゅうくつで不器用そうに見える。学問の世界や、野外にいるときの方が、本来のハイスペックな思考力や傍若無人な態度を伸び伸び発揮して、楽しそうだ。


「そうだなあ。ディスカッションだってツクモは言ったよね。こっちは素人だよ。素人ながらの質問をぶつけて、ツクモがそこに答えを見出せるか試してみよう、ということなの?」


「うん。ふみちゃんは素人かもしれないけど、論理的に考えられる人だと思うから」


「やってみる」


 現金なものである。ほめられて、今まで少し難しいと思っていた話題に、俄然、食らいついていく気になった。


「一番気になったのは、チョウが、運び込まれたご遺体や、平家の姫君や宮守芳に、一斉に集まってきたことなんだよね。花に集まるならわかるよ。蜜が欲しいんでしょ。でも、なんで人間に?」


「ご遺体に集まったエピソードについては、そういう行動をするチョウがいることは知られているんだ。南米のほうだけどね。死んだ動物にとまって、そこからアミノ酸なんかの栄養をとる。こうして昆虫が動物の遺骸を分解して自然に返すことで、森の中が死骸だらけになることが防げるんだ。スカベンジャーといって、生態系の中では重要な役割だ」


「いるんだ」


「南米の作家の有名な小説に、若い娘が、自分の身体を白いシーツでくるんだ瞬間、天に召されるシーンが描かれたものがある。このシーンは、作家が、若い女性の亡骸に大量のチョウが集まっている光景を見て、まるで魂を天に連れていくようだ、という発想から描いたんじゃないかという説もあるくらいなんだ。日本でもチョウは、長い間、死者の魂をあの世に運ぶ虫だと思われていたというし、死んだものとチョウは、意外に近い関係にあるんだよ」


「じゃあ、平家の姫君や、宮守芳に集まってきたのは?」


「二つ可能性が考えられる。一つは、平家の姫君も宮守芳も、けがをしていたのではないかということ。アミノ酸を好んで摂取しようとするチョウの中には、動物が死ぬ前、血の匂いがした時点で反応するものもいる。南米やアフリカに生息する種だけど」


 わたしはぞっとして、思わず二の腕を自分でさすった。


「でも、そこまで攻撃的な種類は多くないし、総じて熱帯の昆虫に比べて温帯の日本に生息している昆虫のほうがマイルドな行動をとる印象があるから、どうなのかな。ちょっとピンとこない気がする。少なくとも、平家の姫君はそこから長生きして、宮守家の祖先になるわけだし。宮守芳の場合は、その場で怪我をしていたのは彼女だけじゃない。築井紋成も取り押さえようとした村人たちも怪我をして、あとで良順先生のお世話になっている。なのに、チョウは、宮守芳を取り囲んだように読めるんだ。だから、オレとしては、もう一つの可能性のほうが捨てがたい」


「何?」


「平家の姫君も、宮守芳も、ふみちゃんと同じ、昆虫を引き寄せる特異体質だった可能性」


「えー!」


「襲撃されて家族を殺された平家の姫君も、同じく襲撃されて斬りつけられた宮守芳も、感情的には当然、ありえないほどの負荷がかかっていたはずだ。そこで、その特異体質が暴走したとしたら?」


「仮説の上に仮説を積んでるよ、ツクモ。わたしと、その二人は血縁関係がないって言ったじゃない」


「ないとは言ってないよ。あるという証拠がないだけだ。それに、万が一という可能性まで言えば、血縁関係がなくても、同じ特異体質が備わっていた可能性はある。少なくとも、宮守芳とふみちゃんは、羽音木で生まれ育ったという共通点があるからね」


「うーん。ちょっと、行き過ぎじゃないのかなあ」


 わたしは腕を組んだ。


「そうかなあ。筋は通っている気がするんだけど」


「証拠があまりに足りないから。そこまで言っていいのかなって」


「そうか。まあ、まだ弱い仮説だとは思ってる。でも、考えをめぐらすのは悪くないんじゃないかな、と思って」


「目の前にあるデータに向き合えって、飯田さんは言ってたよ。資料をもうちょっと読まなきゃいけないんじゃない? わたしが聞いた、神域の祟りの話は、顔がただれる、病気になるっていう噂だけじゃなかったよ。むしろそれは少数派で、とにかくよくないことがある、って言っている人が多かった。どんな? って聞いたら、神隠し、ほかに、交通事故とか、階段から落ちるとかって。江戸時代に交通事故はないじゃん。羽音木のあたりは荷車を通せるほど広い道はなかったはずだもん。せいぜい落馬くらいじゃない? やっぱり、噂話の都合のいい一部分だけ拾うのはまずいんじゃないかな。もちろん、言い伝えられているうちに、だんだん付け足されていったり、話が盛られたり、大事な部分のはずが抜け落ちちゃったりすることはあるにせよ。そのチョウが存在するという確証すらないんだよ」


「うー。ふみちゃん冷静」


「あともう一つ。チョウが、三日三晩、ものすごくたくさん来るでしょう。どちらの伝説でも。あれが、現実感がないんだよね。どこからともなく、ものすごくたくさん現れた、っていうけど、うちの近所だと、例えば、黄色いアゲハチョウとか、アオスジアゲハとか、この前茶園のあたりで見た黒っぽいチョウとか、しょっちゅう見るよ。数匹レベルであれば。でも、あたりを埋め尽くすほどのチョウって、大げさじゃない? しかも、ほんの数日で姿を消しちゃう。そんなことってあるの?」


「うん。これは、種類によってはある。一年のうち、本当に限られた数日だけ、一斉に羽化して飛び回り、繁殖行動をして、ぱたっと姿を消す、という発生パターンを繰り返すチョウの仲間はいるんだ。そういうチョウが、山の奥の限られた地域にいたら、なかなか発見されてこなかったとしても、オレは不思議じゃないと思う」


「そういうのもいるのか。たしかに、ツクモの言っていることの筋が通ってることは認める。本当に、植物やチョウが見つかれば、証拠としては大きいかもしれないけどね」


「これもご神域で行き止まりか。じゃあ、もう一つのライン」


「まだあるの? さすがだなあ」


 好奇心のスイッチが入ってしまったツクモは、自分でも思考エンジンが止められないのだろう。行き止まりに来ても、さっきのひき逃げ未遂の話の時とは表情が全然違う。集中がとぎれていないし、むしろ行き止まりにさらにやる気が燃えている感じだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 中南米は日本と、コーヒー畑な移住以前……太古の昔の日本人が渡ったとかなんとかそんなトンデモ仮説を思い出しました。 オキクルミだかサマイクルだかアイヌラックルが向こうの白い神やキリ〇トさんと同…
[良い点] ツクモ探偵と助手のふみちゃんですね! 推理小説を推理せずに読んで楽しむ私としては、ツクモ探偵の仮説に頷きっぱなしです♪ ふみちゃん、冷静! こういう謎解きは読んでいてワクワクしてきます。 …
[一言] 新年明けましておめでとうございます。 二人はいいコンビになってきている気がします。
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