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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第六章 試写会

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55 医院文書のディスカッション(前)

「この前、最初に文書を取り込んだときに見つけた、江戸時代の中期の話があったよね。神主の宮守芳みやもりよしが香を焚いて神事をしたときに斬られて、そこにチョウが大量に集まってきたあと、彼女が行方不明になった事件。あの話の状況が、もう少し詳しくわかってきたんだ」


 信号が青に変わり、エンジンがうなって車はゆっくりなめらかに発進した。普段聞き慣れているのより少し低い音で、振動が身体に直接響く。


 ツクモはわかったことをかいつまんで説明してくれた。


「細かい部分で多少は差異があるけど、ほぼ同じストーリーの話を何か所かで見つけた。たぶん、かなりの部分が本当にあったことなんだと思う。一番詳しかったのがふみちゃんも読みかけだった医院文書だから、それに沿って話すね。まず、集虫香を焚く祈祷の際に護衛についていたのは、当時の築井氏の当主、築井広成(ひろなり)の次男、紋成(あやなり)だった」


「あ、お医者さんが気にしてた人だ。奥方が、紋成のことと、御谷守どののことを気に病んでいた、って書いてあった。その紋成さんは、奥方にとっても自分の息子ってことなの?」


「そう」


 藩に仕える武士ではなく、藩主自身の次男を護衛に派遣したことから考えても、当時、七曜神社がこの地域を治めるうえで重要な神社とみなされていたことは確かだ。なのに、なぜか、護衛についていたはずの築井紋成が宮守芳を斬ってしまった、とツクモは言う。


「築井紋成はこの一件の後、築井氏を離れたようだ。死んだものとして扱っている記述もあったけれど、どうやら違うらしい。神社の文書は、色々な書付けを集めてまとめたものもあって、書かれた正確な年代や書き手が分からないものも含まれているんだ。医院文書はどうやら、代々の医師が書いてきた日記や診療記録が中心だから、見方としてはある程度一面的にならざるを得ないけれど、前後の関係がはっきりしていて流れをつかみやすい。その医院文書には、紋成が紋修と名を変えて、寺の預かりになったという記述があった。羽音木の浄雲寺、当時の築井氏の菩提寺だった寺だ。動機はわからないけれど、宮司の宮守芳を斬ったことで、何もとがめずにそのまま家にはおけないということで、寺に預けて対外的にはほとんど死んだように扱ったというところだろう。乱心した、という記述がある文書もあった。つまりある種の精神疾患のせいでそんな暴挙に出たと判断して、家から出して寺に預けた、ということなのかもしれない。出家したのかどうかは、寺の記録を見ないとわからないけれど、得度を授かる前に修行するにしても俗名とは変えたというケースもありうるからね」


「家にはおけないって? 時代劇とかで言えば、お侍さんは、庶民を斬っても、切捨て御免でおとがめなしなんじゃないの」


「切捨て御免といっても、なんでもありだったわけでもないんだ。宮守芳は、地域の信仰を取りまとめる立場で、周囲からの信頼も厚かったようだ。無抵抗の地元の有力者を斬ったとあっては、反乱……江戸時代だから一揆だよね、そういう種類の暴動のきっかけにもなりかねない。いくら藩主の息子で武士の身分があったといえども、何かの処分をせざるを得なかったということだろう。武家を監督し、不行き届きがあれば処分する役職、いわば武家の警察みたいな部門も幕府にはあった。こういった不祥事は監督機関に見つかれば処分が免れられないんじゃないかな。家内の監督不行き届きということになれば、最悪、家のお取りつぶしと領土取り上げという事態もありうる。内外に、厳しく処分した、と示しつつ、築井家としては、紋成は半分死んだものとしてあきらめざるを得ないような状況だったんだと思う」


「なかなか大事(おおごと)だね」


「ふみちゃんの見つけてくれた、奥方の診察記録では、奥方が何かに悩んでいるらしい様子がうかがえた。御谷守様のことで、と書いてあったね。次男のことにふれた記述もあった。ぼかしてしか書いていないけれど、この御谷守様は、芳のことらしい。医院の文書では、途中から、芳の名字の表記がかわるんだ。ともかく、築井紋成と芳、それから紋成の母親である藩主の奥方。その三人の最大の接点は例の祈祷事件だろう、とあたりをつけつつ、記述をさかのぼってみたんだ」


「じゃあ奥方は、息子さんの起こした刃傷沙汰(にんじょうざた)がショックで、具合が悪かったってことなのかな」


 『あれだけのことがあったのだから、気を病むのも当然だ』と医師は書いていた。あれだけのこと、というのは、息子の神主に対する殺人未遂事件、ということだったのか。


「このときの医師、良順という先生だけれども、この人もそう読んでいるようだった。ただ、そのへんは政治的な事情もあるのか、いまいちはっきりしたことがわからなかった。良順先生にもわからなかったのかもしれないし、わかっていたけれど、誰かの目に触れて問題になるのを恐れて、書付けの形で残すのを憚ったのかもしれない。この辺は、もっと文書を読み込んでいけば情報が得られるかもしれない。……それよりむしろオレが気になったのは、事件があったあたりの、医院文書の診察記録なんだ」


「どういうこと?」

 

「事件のころ、散虫香や集虫香を焚いていたとき、のどの痛みやかゆみを訴える患者がいつもより多く診療所を訪れていたらしい。もとから肺の弱っていた患者なんかは、危うく命を落としかけたという。いずれも祈祷の現場近くの住人だと気づいた良順先生は、濡れた手ぬぐいで口元を覆って呼吸させ、窒息を防ぐよう看護人が必ず付き添い、窓や出入り口に湿らせたムシロをかけて開け放さないように指示していた。はっきりとはわからないので、公に言い出すことはできないが、散虫香と集虫香、二つの香の影響ではないかと案じていた記述があった」


「のどのかゆみって、ミユキさんと一緒だ」


「うん。オレもそう思った。アレルギーは現代病と言われることもあって、当時より衛生環境が改善して、免疫力が下がっている現代人のほうがよほど発症しやすいと考えられているんだ。とはいえ、ウルシなんかみたいに、アレルギーを起こさせやすい物質は古くから存在していて、昔からその危険性は知られている。当時のあまり栄えているとは言えない山間の農村という、衛生状態ではけして恵まれているとは言えない環境下で、複数の人が症状を訴えたからには、散虫香だけではなく、集虫香にも、何かかなり強くアレルギーを起こさせやすい物質が入っていたのかもしれない。さらに気になるのは、例の、宮守芳が斬られた事件の当日と翌日なんだ。この日、良順先生は、芳が斬られた事件で、止めに入った村人や、おそらくは止めに入った人間とのもみ合いで怪我をしたらしい築井紋成の手当てに忙しかった。そこに輪をかけて、顔や手足が奇妙に腫れたり、息苦しいと訴えて診療所にくる村人が後を絶たず、診療所はてんてこ舞いの大騒ぎになった、と良順先生は述懐していた。先生自身は、診療所がその前から忙しかったため詰めきりで、事件の現場には行っていなかったようだね」


「顔や手足が腫れる? なんで?」


「そこなんだよ。集虫香は三日三晩焚いていた。事件が起こったのは三日目の夜。香の影響か、早くから具合のよくなかった村人は家で休んでいたから、現場には、集虫香の影響を受けにくい村人ばかりがいたはずなんだ。だけど、この三日目の夜とその翌日に診療所に押し寄せたのは、芳が行方不明になった現場に立ち会っていた村人たちだった。こうした人たちの治療をしながら、良順先生は多くの患者の口から聞いた現場の状況をすりあわせて、おおよそそこであった出来事を推測して、書き残していたわけだ」


「そこで何があったんだろう。刀傷(かたなきず)のほうはわかるとして、腫れる症状の方はなんでなのかな」


「良順先生は、最終的には祟りか何かだろうと結論せざるを得なかったようだ。芳の近くで、一緒に祈りをささげていた村人の症状が特にひどかった。一方で、現場にいたのに、何の影響も受けていない者もいた。法則性が全くわからなかったんだ。そこで、今生の日頃の行いが悪い者、そうでなければ、前世の功徳が足りない者に症状が出たとしか思えない、と書き残されていた」


「まさか、ツクモ、祟り信じてるの?」


 この世でいくらいい人になろうと頑張っても、前世がダメだったらアウト、と言われるのでは、逃れようがない。現代人としては、これはなかなか辛い。


「半分はね」


「半分って?」


「まず、ふみちゃんが聞いた祟りの話の中に、チョウに連れ去られて神隠しになるというのがあっただろ。これは、まさに、宮守芳の身に起こったことだ」


「……そういえば、確かにそうだ」


「あと、顔がただれる、というのもあった」


「一番荒唐無稽だと思ったやつだ」


「でも、それが一番史実に近かったじゃないか。直接診察した良順先生の記録があるんだから」


 わたしはあっけにとられた。確かにそうだ。ツクモの説明にしたがうなら、顔や手が腫れた患者が大勢押し寄せた、祟りだと思った、と良順先生は書き残していたことになる。


「で、どう思ってるわけ?」


「顔がただれた人が複数出たのは本当。でも、原因は、前世の行いや日頃の態度ではない」


「じゃあツクモは原因に心当たりがあるの?」


「かなり荒唐無稽な仮説だけど」


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