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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第五章 調査ふたたび

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49 量吉さんの家

 試写会までまだ数日あった。その日、わたしは朝から社務所の広間にこもって、ツクモが持ち込んだスキャナで神社の文書のデータ化をすることにした。読み込ませている間の待ち時間を使って、ノートパソコンで院長先生にもらった翻刻のデータに目を通していく。さすがに、毛筆崩し字そのままの資料からわたしが翻刻しながら読むと遅い。ツクモが三十分で読めるものに三時間以上を掛けることになってしまう。それより当面は、早く読めるものに数多く目を通して、ツクモの役に立ちそうな文書があればチェックをしておくほうが、役に立つと思ったのだ。


 その文書に出会ったのは、ざっと流し見をしていた時に、見覚えのある文字列がひっかかって目に飛び込んできたからだった。


 御谷守。宮森の墓所で見かけた名字の表記である。


 江戸時代の中期に書かれた、院長先生の先祖にあたる医師の日記らしい。


 わたしは興味を惹かれて、前後十数ページをざっと見たあと、少し遡ったあたりから読み始めた。


 色々な患者さんのことが記録されている。その中で、御谷守の文字列が出てきた部分は、どうやら、当時の藩主である築井氏当主の奥方に関する記述のようだった。


 奥方に関する記述は、飛び飛びで出てくる。おそらく、日々の覚書として、その日の診察の中で特に記録しておいたほうがよさそうな患者のことを書きつけていったのだろう。


 ◇


 藩主殿の奥方のご病気は、なかなか良くならない。なにかお心にわだかまり、気がかりがあるのであろうと推察する。だが、お武家の内向きのこととて、容易にお話しにはなれないのであろう。


 奥方が養生していらっしゃる別宅に呼ばれた。なぜ気鬱が晴れないのか、食事がとれないのか。いつよくなるのか、と聞かれた。病は気からと申し上げ、お心のわだかまりがあるうちは、なかなかすっきりとは治らないのではないでしょうか、とお答え申し上げた。奥方のご気鬱は、紋成あやなり様、御谷守様ともご関係があるようだ。あれだけのことがあったのだ、お気に病まれるのも無理はない。忘れようとなさるからお辛いのです、住職にご相談して、写経や念仏をなさるのはどうですか、と申し上げた。


 物言わぬは腹ふくるる業なりと、古くから言う。言えぬことがわだかまり、はらわたを腐らせるようなつらい心地がするのは、誰しも同じことである。


 ◇


 紋成様って、誰だろう。あれだけのことって何? 本腰を入れて前後を読まないと、わからないことだらけになりそうだった。


 やはり、ノートパソコンの画面上では読みづらい。細かいことだが、文書が横書きスタイルなのも、古文を読むうえでは少々つらかった。


 リビングの父のパソコンで、必要な部分を縦書きに直してから、プリントアウトして読もう。単語の意味や前後のつながりなど、直接書き込みをしながらであれば、それなりの精度で早く読めるだろう。


 そう思って、いったん広間の作業を片付け、リビングに戻ってきてパソコンを立ち上げたところで気が付いた。


「今度はインクだ……」


 先日、紙を切らしたときに一緒に確認すべきだった。プリンタのインクが切れている。マゼンタとブラック。これは、買ってこないと動かない。外を見ると、父の車も母の車もなかった。二人とも所用で出かけているということだ。


「自転車かー」


 ため息をつくが、確認を怠っていたのは自分である。いたしかたあるまい。


 インクは、集落からさらに下ったところにある、ふもとの駅近くのホームセンターで売っていたはずだ。


 まだ、日の高い時間だった。一番暑い時間帯だが、涼しくなるまで待っていたら夕方になってしまうし、それではツクモとの約束に反する。夕方以降は自転車で一人で行動しないように、と言われていた。今出かけて、急いで帰ってくるしかないだろう。


 自転車に乗って、神社から山道を下り、集落を通り抜けようとしたときだった。ふと、空き家になっている家の庭に、生い茂った雑草を踏み分けるようにして、東京のナンバープレートをつけた、見慣れない白の乗用車が止まっているのに気が付いた。


 年明けに亡くなった、森崎量吉(りょうきち)じいちゃんの家である。平屋建てのその家は、手入れする人がいない半年あまりの間に、あっという間に雑草にうずもれかかっていた。先週の町内会の集まりで問題になっていたはずだ。こういう家は次第に増えていくのかもしれない。一人暮らしのお年寄りは、年々、増えてきていた。


 量吉さんは寡黙な性質ではあったが、わたしは、一人暮らしをしていた彼によく自分から話しかけてはおしゃべりしていた。変にからかったり意地悪を言ったりしないでダメなことはダメとはっきり言ってくれる量吉さんが、六十歳以上年齢が違う相手に対しておかしな言い方かもしれないけれど、付き合いやすかったのだ。


 子どものころから何度となく前を通り、時には上がりこんで麦茶を飲ませてもらったり、投げゴマの回し方を教えてもらったり、おすそわけのキュウリや白菜を取りにおいで、と声をかけてもらったりした思い出の場所だが、住む人のなくなった家は途端に生気を失って見えて、ここを通るたびに寂しい気持ちになる。


 そういえば、この辺のしきたりに沿って集落で出した葬式にも、量吉さんの娘であるジュンコさんと、孫であるセミ事件のれおくんは来ていなかった。もう社会人になっていておかしくない年齢のはずなのだが。お寺で預かった遺骨を、ジュンコさんに頼まれたという人が後日取りに来て、葬式をだしてもらった集落へのお礼としてそこそこの額の寄付を寺に預けていったと聞いた。


 羽音木集落では昔から、月々決まった額をそれぞれの家が出し合い、共同の口座に積み立てている。誰かが亡くなったときにはそこから費用を出して葬儀の手配をし、近所の人たちが集まって協力して受付や進行を手伝うのだ。身寄りのない人や、量吉さんのように親族がいてもまともに連絡のつかない人であっても確実に弔いをして見送れるし、葬儀費用が急な家計の負担になることもない。家族が亡くなって動揺している喪主が、葬儀特有の慣れないしきたりに戸惑っていれば、経験者がよりそってあれこれ教えたり、支えたりできる。もっとみんなが貧しかった時代からの互助システムである。

 その代わり、集落で誰かが亡くなれば、親族でなくてもできる限り仕事にやりくりをつけて駆けつけなければならない、という煩わしさや、遠方から来た親族がこの地区の風習に戸惑って、葬儀のやり方についてもめたりするようなちょっとしたトラブルはついて回る。以前よりずっと、近所の葬式だからと仕事を休むのが難しくなった、職場や取引先の理解を得にくくなった、とこぼす人も多いし、今後はすたれていく風習なのかもしれない。

 ジュンコさんからの寄付は、結局その葬儀費用の積み立て口座で受けとることにしたようだった。


 量吉さんとジュンコさんたちは、あまり折り合いがよくなかったらしい。れおくんたちが引っ越した後は一人暮らしだった量吉さんも、連絡は全く来ない、と、ときどき悲しそうに話していた。葬式の時、唯一連絡先を知っていたお寺の住職がジュンコさんに連絡を取ったが、どうしても来られないのでよろしく頼む、と言われたらしい。どうにも来づらかったのかもしれない。来れば、集落の人たちにあれこれ詮索されたり、量吉さんの友人たちから手厳しい文句の一つや二つ言われて嫌な思いをするだろう、という想像は容易についたはずだ。


 もしかして、あの車は、ひっそりと遺品を取りに来たジュンコさんか、れおくんなのだろうか。


 挨拶ぐらいしようかと思ったが、外からのぞいても人影は見えなかった。玄関を開けてまで声を掛けたところで、挨拶以上の用はない。折り合いがよくなかったとはいえ、というべきか、折り合いがよくなかったであろうからこそ、というべきか、故人の家を訪ねている遺族に気軽に声を掛けるのは憚られて、わたしはそこを素通りした。


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フッタ

― 新着の感想 ―
[一言] 陽炎が立つ夏。 そしてミステリ……新世紀ロボの序盤のように怪し気な雰囲気を醸し出すにはピッタリな組み合わせ(ぇ 正直に言えば、人が集まる行事が嫌いな私には理解できぬ風習の世界ですがなんとか…
[一言] 今回は何かの伏線のように感じられます。
[良い点] 伝承では往々にして女性に纏わる描写が散見されるものです。 それが神秘性を高める事になるのですが、郁子さんの体質と言うか謎と言うか……その辺りの部分と伝承がマッチしていて、推理小説ファンとし…
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