47 ツクモからの電話(前)
ツクモからは、割と毎日、メッセージや電話で連絡が来ていた。産業スパイの件が気になっているのか、だいたい『今日は大丈夫だった? 変わったことはない?』から始まるやりとりだ。
羽音木集落は、基本的に用事がなければわざわざ訪れるような土地ではない。幹線道路がふもとを通る関係上、カーナビでルートを見つけたのか、抜け道のように通過する地元のものではない車は近年になって多少増えていた。そのマナーの悪さが話題に上ることはあったが、裏を返せば、それは知らない車を住民が見かける機会が少ないことの証明でもあった。
そんな集落で、見慣れない車がわざわざ止まっていれば、どこの家の客だ、何の用事で来た人間だ、とお年寄りたちが噂話に余念がないため、すぐわかる。わたしは自信を持って、『不審な車も人間も目撃されていない』と答えていた。
不審といえば、お年寄りたちにしてみれば突然頻繁に神社に来るようになったツクモがそもそも不審だったのである。母が早々に職場で調査のことを話題にしたのも、考えれば無理からぬことであった。公式情報を出さずに放置しておけば、噂の尾鰭だけが成長して、どんな奇妙な話になっていたか、想像するだけで恐ろしい。
由奈ちゃんと買い物をした日の夜も、ツクモは電話をかけてきた。
『どう、ふみちゃん。変わったことはない?』
「ないよ。平和。集落にマツムシが大量発生したことくらい」
『なんで、マツムシ?』
秋の鳴く虫である。高いトーンで、チンチロリン、と奏でるかわいらしい鳴き方が特徴的で、唱歌にも歌われている。
長く氏子会の中枢メンバーをつとめてくれていた、森崎量吉おじいちゃんが育てていた群れが今年の大量発生のもとである、というのが集落の人たちの共通見解だった。
量吉さんが年明けに亡くなって、庭先に壺を埋めて育てていたマツムシを世話する人がいなくなった。マツムシは、土を半分程度入れた素焼きの大きな壺を、やはり半分くらい土中に埋めて、その中で育てる。先代のマツムシたちが、壺の中に量吉さんが入れてやったススキの茎などに卵を産みつけているのだが、それが、時期が来ると次第に孵化してくる。彼が生きていれば、餌をやって育てたはずなのだが、世話をせずにそのままにしておくと、餌のない壺の中は、共食いの地獄絵図になってしまう。それを不憫に思って、量吉さんの友達だった近所の人たちが、葬儀の後で壺の上部を割って、半分土中に埋まっていた壺の中身はそのままにして、マツムシが孵化してきた折には外に出られるようにしておいてやったのだという。
その結果なのか、この頃になって、集落には例年にない数のマツムシが出没し、気の早いものが早速鳴き始めて、その数の多さがちょっとした話題になったのだ。
わたしがそんな説明をすると、電話の向こうで、ツクモは悔しそうな声をあげた。
『ええー。いいなあ。マツムシ見たい。捕まえたい』
「来週、池の調査に来るんでしょ。いくらでもいるよ」
『それなんだけどさ、ごめん。来週、無理になった』
「え、そうなんだ」
喜んでいいのか悲しんでいいのか。バイトはしたいけど、池の調査はツクモの話を聞く限りかなり重労働になりそうだった。
『ほら、例のチャリティ・ガラの件。行くことになったものだから、母の手伝いもしなきゃいけなくなって。それもやって、研究所の他の研究の手伝いも入れると、どうにも時間がとれない。池は、胴長着たりして装備が厄介だから、丸一日でみっちりやって終わらせたいんだよね』
「胴長って?」
『長靴がそのまま防水のオーバーオールにつながってる服』
「あ、テレビで見たことあるかも。レンコン農家の人が胸近くまで水に浸かってレンコンを掘り上げる映像で着てたやつ」
耳元にツクモの笑い声が響いた。少し低くて、よく響く声だ。しゃべる内容はいつも完全に昆虫オタクなのに、見た目に釣り合うレベルで、声もやっぱりいいときてる。毎度のこととはいえ、しゃくにさわる。
『そうそう、それ。漁師さんが着てたりとかね。水の中でも、ヘビとかヒルとか出ると厄介だから、きちんと防御できる装備じゃないと』
「げ、そんなん出るの? わたしは入らなくていいよね?」
『うん、入るほうはオレがやるから、ふみちゃんはいつもの装備で記録』
池に入らなくていいというのを聞いて、少しほっとした。ヘビが出るかもと聞いた後では特に。
「お母さんの手伝い? って、大変なの?」
『花の手配や料理の確認したり、会場の担当の人と話をしたり。人と会話して確認する仕事ばかりだから辛い』
「あー、そういうの苦手そうだもんね」
あまり考えずに思ったことをそのまま言ってしまった。言ってから、失礼だったかな、と思ったけれど、ツクモは、そうなんだよね、と軽くため息をついただけだった。
『だから、池の調査はガラの後まで延期。八月のうちにはやりたいけどなあ。それまで、そっちには行けないと思う。気になることはあるんだけど』
ずいぶんとがっかりした調子で言うので、あの塗り壁みたいな肩をしょんぼりさせている姿を思わず想像してしまった。かわいそうだけど、ちょっとおかしい。
「気になることって?」
『散虫香のこと。飯田さん、本業は、大雑把に言うと植物由来の香料とかを研究しているんだ。その関係で、散虫香もすごく気になったみたいで、香り成分を調べてくれてたんだよ。で、何気なく家に持ち帰って検討していた時に、たまたま片付けようとしてそれを触ったミユキさんが、かなり強い目のかゆみとのどの痛みが出たんだって』
目のかゆみとのどの痛み?
「うちに来るご参拝の方は、そんなこと言ってた人いないけど」
わたしは眉をひそめた。














