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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第五章 調査ふたたび

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46 由奈ちゃんのハンティング

 わたしたちの目的地は、駅から少し歩いたところにある、海外から進出してきたファストファッションの大手ブランドの路面店だった。友達と一緒によく来る店である。由奈ちゃんは獲物を探すタカの目つきで色彩の海をにらみ、おもむろにハンティングをスタートした。


 店内をぐるりと一周。由奈ちゃんは油断なく目を配って、ディスプレイされているコーディネートの雰囲気や、品ぞろえ全体の色味をチェックしているようだった。一通り見て回った結果、狙いはワンピースのラックに定まったらしい。ゆったりしていた彼女の足取りが急に早くなり、目的の通路で止まった。タカは舞い降りた、というフレーズが脳裏にちらついた。


「状況から考えて、試写会から着替えてる暇も場所もなさそうだよね。ということは、羽織もので印象を変えられて、かつシワになりにくい素材のもの。目的から言って、人目をひいたり、派手にしたりする必要はなくて、むしろ、文句のつけようがない上品さが欲しい。郁子、話し方は気を付けなよ。まあ、大丈夫だとは思うけど」


 思い付くままにぽんぽん喋りながら、彼女はわたしには理解できない基準とスピードで、ラックにかかった色とりどりのファブリックをつぎつぎと検めていった。

 普段、自転車に乗れることを服選びの第一条件にしているわたしが素通りするゾーンである。


 気になったらしいワンピースが、次々あてがわれては却下されていく。


「スパゲティストラップと、ミニレングスはなしだな。露出は控えた方がいい。シャープな感じがいいなあ。Vネックで鎖骨をだしつつ短めのフレアスリーブか、アメリカンスリーブにして襟元はつまり気味で肩を出すか。両方出すのは、なしだ」


「ねえ、由奈ちゃん、全部魔法の呪文にしか聞こえない」


 何を言っているのか本当にわからない。


「ファストファッション縛りで、午後のパーティでしょ。若い人が多そうだし。華やかな柄物で来る子が多いかなー。目立って仕事の契約につなげたい子が多そうだもんね。郁子は逆を張って、無地か、控えめな柄がいいな。デザインのほうがちょっと凝ってるヤツ」


 由奈ちゃんはスイッチが入ってしまったらしい。わたしの言うことなどお構いなし、ほぼ声大きめの独り言状態である。こうして呆然としながら付きしたがっていると、なんだか変な感じだ。由奈ちゃんと会うのはしばらくぶりなのに、どこかでこの感じを最近味わった、という感覚が拭えない。


「あー、ツクモが昆虫に夢中になってるときと一緒なんだ……」


 思い当たって、つい声に出してしまった。わたしには外国語か魔法の呪文にしか聞こえない言葉をまくし立てて、視線を獲物から離さない感じ。そっくり。などとおバカなことを考えていたら、由奈ちゃんが眼光鋭く振り返った。


「ツクモって何? 築井さんのこと、そう呼んでるの?」


「え? ああ、うん。最初に、タメ口と愛称呼びを向こうから強要してきた。意味わかんないと思って無視して、ふつうにさん付け敬語にしてたんだけど、ナナフシのあたりでわたしも堪忍袋の緒が切れて、タメ口とあだ名になっちゃった。つくい、もんしろう、だからツクモね。バイト始めたけど直すタイミング逸しちゃったし、本人は気にしてなさそうと言うか、敬語に戻すと却って面倒そうだからそのまま」


「……はいはい。郁子が築井さんのこと、すっごく気に入ってるのはよーくわかった」


「いや、この文脈でどうしてそうなるかな。腹立ち紛れだって説明したよ? たった今」


 由奈ちゃんはアメリカ映画の俳優みたいに、瞳をくるんと回して手のひらを上に向け、肩をすくめたけど、それ以上は何も言わなかった。


「うん、これのどっちかかな」


 数十分後。やっと、候補が絞れたらしい由奈ちゃんは、わたしに二着のワンピースを渡した。ベージュがかったような落ち着いた濃いめのピンクのものと、黒っぽいものだ。


「郁子、靴持ってきたでしょ。合わせて試着してみて」


 このためだったのか。当日履く靴を持ってこい、と厳命されていたのだ。


 わたしは、肩に掛けていたキャンバストートからベージュのハイヒールを出して、試着ブースの前に揃えて置いた。ふうん、と由奈ちゃんがうなる。


「これは、かわいい。形が絶妙」


 シンプルで飾り気はあまりなく、ヒールも細いけれど華奢すぎない。つま先が丸っこくて、ほんの少し内側を向いているところがキュートな印象だ。ふだん、スニーカーかフラットシューズばかり履いていると白状したら、ミユキさんが勧めてくれたものだ。これがかかとのある靴の一足目で、ドレスもまだ決まってないなら、歩きやすくて癖がなくて、足の形にあったしっかりしたものを、と言っていた。


「ピンクの方からね」


 由奈ちゃんはわたしの手にピンクのワンピースを残して黒い方を取り上げると、ひらひらと手を振った。


 ピンクのワンピースは、肩先まで覆うようなごく短い袖があり、カシュクールというのか、前身頃が左右から打ち合わせたように見えるデザインが特徴的なものだった。スカートは裾に行くにつれて広がるフレアで、膝下丈。


 着替えて、鏡の中を見る。くすみカラーと直線的なかっちりしたデザインで、古い雑誌から抜け出してきたみたいな七十年代風のレトロ感がかわいい。ショートヘアにもあう。


「どうかな」


 カーテンを開けてみた。


「靴はいて、くるっと回って」


 革の靴はデパートで試着した時と同様、足を入れた瞬間、室温に戻したバターみたいにやわらかくなじんだ。ミユキさんの目利きは確かだった。ついでにいうと、主に価格面が恐ろしくて詳しくは聞いてはいないけど、かなり、『ちゃんとしたいいもの』なんだろう。


 言われたとおり回ってみた。動きに少し遅れて、ふわりとスカートがついてくる。


 うん。自分がかわいくなった錯覚をくれる服だ。ひとりだったら絶対選ばないし、試着しなければ似合うなんて思わなかったにちがいない。


 由奈ちゃんは満足そうににっこりすると、もう一枚のワンピースを差し出した。


「念のため、こっちも着てみて」


 結論から言うと、わたしが選んだのはそちらの、黒のワンピースの方だった。


 もうこれは、袖を通した瞬間の一目惚れとしか言いようがない。


 きゅっと詰まった丸首の襟布から、全体に細いプリーツがかかった身頃がまっすぐすとんと落ちる。襟元の鎖骨のあたりから、ほぼまっすぐ斜め下にわきの下までカットされたそでぐりからは思い切りよく肩がのぞく。共布の細目のリボンベルトを結ぶと身頃に入ったプリーツがたるんで、痩せ気味の上半身は少しふっくらして見え、自転車生活のせいで少々がっちりしてしまっている下半身はまっすぐのプリーツがゆれるせいですんなりと細く見えた。ベルトをしたときの丈が膝の真ん中くらい。裾に直径二センチくらいの小さなオレンジ色のドットと、同じくらいの大きさの正方形スクエアの模様が、お行儀よく一周ずつぐるっと並んでいるのが愛らしい。


「ねえ由奈ちゃん、わたしこっちがいいな」


 カーテンから、まず顔だけ出して訴えてみた。由奈ちゃんは顔全体で笑った。


「やっぱり! ほら、靴履いてみせて」


 かかとの高い靴に足を滑り込ませる小さな仕草にも敏感に反応してゆらっと揺れる生地の感覚が楽しい。普段だったら目も止めないデザインなのに、着てみると不思議にしっくりと身になじんだ。


 わたしは、中学、高校、大学と、けっして周囲から『かわいい子』とか、『美人』とか、『モテる子』に分類されたことはない。ちょっと高めの身長と、男子にも先生にも口でも気合でも負けないふてぶてしさのせいで、さばさばしてて付き合いやすい、しっかりしてて頼りになるとはよく言われるけど、しっとりやわらかい女の子らしさみたいなものとは無縁なままだった。由奈ちゃんがいくら『郁子は絶対似合うから、もっとスカートもはいたほうがいい』と言ってくれても、絶対似合うとは思えなくて、デニムスカートぐらいしか選択肢には入れてこなかった。


 ひらひらしたスカートと、ヒールの靴ってこんな感じなんだ。服に気分を上げてもらう、って、こういうことなんだな。自分自身とTPOにちゃんと合っている装いというのは、戦闘に望むにあたって自分を前に向かせて守ってくれる鎧なんだ、と言っていたおしゃれ大好きな人たちの気持ちが、やっと少しわかった気がする。


「郁子、手足の骨格がしっかりしてるのに全体の雰囲気が細いから、ちょっと懐かしい雰囲気のモデル風のファッションが似合うんだって。戦前の欧米の女の子が大事に着せ替えて遊んでたおしゃれなお人形さんみたいな、レトロキュートな感じ」


 わかるようなわからないようなたとえだ。でも、由奈ちゃんは自分でうんうんとうなずいて、前後左右からわたしの姿をチェックした。


「いいじゃん。これで」


 確かにこのワンピースは、これ以上のものはもうないだろうとすんなり思えるくらい、わたしの気持ちにも今回の目的にもぴったりな気がした。派手ではないけれどエレガントで、これなら、気後れしそうな場でも頑張って背筋を伸ばせそうな気がする。自信なく肩を丸めてしまっては服に申し訳ない。


「映画の間は冷房対策に白っぽいジャケットかカーディガン羽織って、パーティになったら、ちょっと華やかなストールを肩に掛ければ。ジャケットはあるでしょ、前着てたやつ。ストールは、裾模様がオレンジだし、ゴールド系かな。予算が許せば、アクセサリーもちょっと足したい」


 ストール? アクセサリー?


 由奈ちゃんの発想は常にわたしの一歩先にいる。そして、お買い物という名前のハンティングはまだ終わらないらしい。見通しが甘かった。ワンピースを決められたら終わりかと思っていた。


 ……思い出せ、郁子。

 これは由奈ちゃんの、友達としての、敵陣に乗り込むわたしへの心づくしの応援だ。


 うっかり忘れかけていた事実をもう一度心の中央に引っ張り出して、わたしは、こぼれかけていたため息を理性の力で引っ込めると、由奈ちゃんの後を追った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 由奈ちゃん、生き生きしてますね。 親友の役に立てるのと好きなことが出来るのと。
[良い点] 由奈さんの鷹の目ハンティング圧巻でした。 [一言] 『全部、魔法の呪文にしか聞こえない』という郁子さんに激しく同意します。 一秒後に炎の槍に貫かれるか、氷刃に切り刻まれるか……そう思って…
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