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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第四章 ツクボウの研究所

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40 友達の定義

 沈黙を破って、ツクモはぽつりと言った。


「オレ自身は仲良く付き合えると思ったことはないけど、一応、感謝はしているんだ」


「なんで?」


「母は、とにかく華やかな場所でにぎやかに過ごすのが好きな人間だ。オレとは全く性格が違う。オレは必要にかられて、そういう場所で人当たりよく話をしたり、聞いたりする技術は身につけたけれど、母が期待するほどには、場を盛り上げたり、人と人を紹介して縁を結んだり、というふるまいをすることはできなかった。金山はそういうのが得意なんだ。とにかく如才なくよくしゃべる。場がにぎやかになって、時間が持つ。学校の友人の中ではそんなに目立つ方ではなかったけれど、母が連れまわすような、年上の人ばかりの席では、ちょっと生意気でよくしゃべる若者を面白がる大人も多いから」


「そうなんだ。人当たりよくすることもできるんだね、あの人」


 いつでもどこでもあの調子では、大変に付き合いにくい人として要注意扱いにされてしまうだろう。まともな社会生活が送れない。あれはやはり、特にツクモにターゲットを合わせてつっかかってきていた、絡んでいたということなのだろう。


「オレが嫌がってそういう場面を避けて逃げ回るようになって、母は腹を立てているけれど、まさか首に縄をつけて引っ張っていくわけにもいかないからね。兄も会社の方で忙しいから、あまり母の社交にはつきあわなくなった。息子が二人ともそっけないものだから、母はよく、親戚や知り合いの年の若い女の子のエスコートなんかの役回りを金山に頼んで来てもらっているようだ。オレよりよほどちゃんと女の子と普通の話もできるから、先方にもいいだろうし、オレもありがたい。そうやって、感謝すべきなんだなってわかってきたのは、大学に進んで、すこし距離が遠くなってからではあったけれど」


 中学、高校で毎日のようにすれ違う機会があるときには、直接的に嫌な思いをする機会が多かったということだろうか。さもありなん、だ。

 カフェテリアでの彼のとことんツクモを挑発していた態度と、それでも、感謝、という単語でなんとか彼との距離を取り直そうとしているツクモの様子を思い合わせて、わたしはどことなく苦しい気持ちになった。


 ふと思いついて、聞いてみた。


「ツクモ、中高のころも、すごい勉強できたでしょ。学年で何番くらい?」


「そんな、飛びぬけてできたわけじゃないよ。三番くらいに落ちることもあったし」


 要するに、普段はほぼ一番か二番だったということだ。


「金山さんは?」


「別に普通かな。真ん中くらい」


 やっぱりね。

 わたしはやけに研究や学歴にこだわっていた金山さんの様子を思い返していた。仲良くなれなかったのは、金山さんのほうにもきっとわだかまりがあったからだ。たとえば、親同士、家同士の付き合いがありながら、勉強ではツクモに全く追いつけないという。受験勉強も経た私立の中学生なら、同じ授業を受けていて、定期テストを二回も受ければ、実力の差なんて痛切にわかってしまっただろう。超難関大学に同時に受かって、何とか追いついたと思ったら、学部生時代にはまた水をあけられてしまった。飯田さんも、金山さんがツクモが学問の業績をあげていたのに苛立ちや嫉妬を感じている、と見ているようだった。そんなわだかまりにはもしかしたら、少年だった金山さんの、そこそこ大きくなってからお母さんと一緒にお祖父さんの家に引き取られた、という複雑な事情も関係していたかもしれない。


 二人の不仲はけっして、ツクモの、本質的には人づきあいが苦手な性格のせいだけじゃない。でも、そのことも、この人はきっと腑に落ちて理解はしていないだろう。


「ツクモ、中学高校では友達できたの?」


「どうなんだろう。あいつ以外は、いちいち連絡をとったりはしていない。まあ、会えば楽しく話すよ。同窓会があるときは、声を掛けてくれるし」


「じゃあ、いたじゃん」


「そういうものかな」


「同窓会に呼んでくれるのは十分友達だよ。呼びたくない相手は絶対呼ばないよ、あんなの。義務があるわけじゃないんだもの。別に一緒にお出かけしたり、家を行き来したり、しょっちゅうメッセージのやり取りしたりするのだけが友達じゃないでしょ」


「そういうの、よくわからないから。定義がちゃんとあるわけじゃないだろ」


「友達の定義かあ」


 わたしはヘッドレストに頭をもたせかけた。


「たとえば、飯田さんは?」


「先輩」


 ツクモは即答した。わたしも即座に問い返す。


「先輩だけど、友達じゃない?」


「両方でいいの?」


「いいよ」


 わたしは笑った。いいにきまってるじゃん。上下関係がめちゃくちゃ厳しい、中学生の部活じゃあるまいし。飯田さんはきっと、ツクモのことが大好きだ。男の人にそんな言い方をしたら、本人たちは気持ち悪いって言うかもしれないけど、ちょっかいの出し方が、かわいくてしょうがない年の離れた弟を構う過保護なお兄ちゃん、という感じだった。


「十歳も離れてても?」


「羽音木集落のグラウンドゴルフクラブは六十五歳から入れて、現役最高齢は九十五歳。歳の差三十歳あっても、自分の娘や息子より年下だったり、親より年上だったりしても、みんな友達だよ」


 ツクモはちょっと考え込んでからうなずいた。


「じゃあ、いいのか」


「わたしは?」


「ふみちゃんは――」


「バイトの調査助手だけど、仕事を離れたら、友達じゃないの?」


「そうかな」


「まさか違う?」


 わたしは大げさにショックを受けた表情を作ってみせた。


「ツクモがさっき、パーティーに一緒に行くのは友達でいいって言ったじゃん」


「あれは――恋人とか婚約者とかじゃなくてもいい、という」


「じゃあ、いいんじゃないの? 友達で。わたし、ツクモと付き合うって言った覚えはないよ。ツクモもそんな提案をした覚えはないでしょ」


「ない」


 ツクモは口を少しへの字に歪めた。


「しかも、パーティに行くとしたら、それって絶対仕事じゃないでしょ」


「もちろん違う」


「ツクモは、こういう事情じゃなかったら誘ってたと思う、って言ってたし、わたしはこういう事情でも行ってもいいって言ったじゃない。仕事じゃなくても、一緒に行ってもいいってお互いに思っているってことでしょ。じゃあ、相互に友達だと思っているっていう認識でいいんじゃない?」


「そうか」


 ツクモはあやふやにうなずいた。


「友達になりましょうって宣言して友達になることって、大人になればなるほど少ないでしょ。で、絶交だ! とかって友達をやめることもないわけじゃない。友達だよね? って確認したりもわざわざしないよね。だから、仕事とかなんか他の関わりで生じる義務以上に何かしてあげたいなって思ったり、してもらったなって思ったりしたら、自分からは、この人は友達だなって思っておけばいいんじゃないのかな。向こうがどう思っていてもそれは相手の問題だし、自分からだってわざわざ言葉にして言う必要はないわけだし。したい親切をして、してもらった親切に感謝すればいいってことは結局同じなんだから、今までと何も変わらないでしょ」


「そうか」


「だから、ツクモには自分で思っている以上に友達いるんじゃないかな」


「うん。ありがとう、ふみちゃん」


 ツクモは、ようやくリラックスした笑顔になった。


「友達と言えばさ」


 一つ、気になったことがあった。


「何?」


「映画の試写会、友達と行きなって言ってくれたでしょ。あれ、まだ有効? 試写会だけは、友達にも一緒に来てもらっていいかなあ。それとも、パーティーの件があるから、ツクモと二人で行くのがいいの?」


「いや、試写会は余裕があるし、一般のお客さんもそれなりに入るから大丈夫。それならオレはオレでもう一枚もらってくるから。誰か誘いたい人がいるの?」


 怪訝そうにこちらを見てくるので、笑ってしまった。


「うん。学部の友達。映画やドラマすごく好きなの。凉音ちゃんの大ファンで、新作の映画も公開をすごく楽しみに待ってたから、チケットをもらったとき、誘ってあげたいなって思ってたんだよね。ついでに言うと、すごくファッションセンスのいい()()()だから、パーティー用の服選びも相談にのってもらうつもり」


 女の子、を強調したら、ツクモはあからさまに安堵した様子になった。なんだかなあ。もうちょっと信頼してもらってもよさそうなものだけど。

 いくらわたしだって、このタイミングで男の子を誘ったらツクモの面子が丸潰れだってことくらいわかる。

 友達、と一言で言っても、その距離感はもちろんいろいろだ。ツクモがわたしのことを面白い研究対象でお気に入りのいとこくらいの距離感にしか思っていないにしても、世間的に言って、飯田さんが言う通り、パーティに一緒に行くのはそれなりの意味があるとみられても仕方がない。意味がなきゃいけないってわけでもないけど、少なくとも、決まった相手がいる人は、別の人のエスコートで出かけたりはしない場だろう。そんなとき、男友達なんて出てきたら話がややこしくなるだけだ。そもそも、声をかけるような男子の知り合いなんていないけど。


 わたしは単に、人間観察の達人でもある由奈ちゃんに、わたしが今まで知り合った中ではとびきり変わった人間であるツクモを、彼女の目から見てどう思うか、聞いてみるチャンスかもしれない、と思っただけなのだ。


「そうだ、ねえツクモ、羽音木の方に上がる前に、ちょっとドラッグストア一軒寄ってもらえる?」


「いいよ。ふみちゃんナビしてくれる?」


「うん。高速下りたら言うね」


「何か入り用なの? 少し遠回りでもいいから、遠慮しないで」


「ミントタブレット買うの。ツクボウの一番辛いの、なんていうやつ?」


「アイシクル・タブレット、ストロングミント。後は中ぐらいのオリジナルと、辛さ控えめのシトラスミント、三種類しかないから、たぶんどこのドラッグストアでも置いてる」


「そうか。じゃあ、しばらく摂取量が増えるのは覚悟しないといけないな。多めに買わなきゃ」


 わたしは肩をすくめ、あえて大げさにため息をついてみせた。ツクモは不思議そうにちらっとこちらに視線をよこした。


「あれ? キラービー・ミントの買い置きは?」


「服選び手伝ってもらう友達に、お礼にあげちゃうつもり。お菓子に罪がないのはわかってるけど、わたしだって今日の一件であれをバッグに入れておくの嫌になっちゃった」


 ツクモは声を上げて笑った。


「フーズのアイシクル担当の人に、もう一段階強いの試作できないかちゃんと頼んでみる」


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