38 宮森郁子の心意気
「えーと、ツクモは、わたしを連れていって困るというわけではないけど、わたしが金山さんに絡まれて面倒なことに巻き込まれるのがかわいそうだから、連れて行かないって言ってるんだね?」
わたしは確認した。ツクモは非常識で、場合によっては猫かぶりだけど、嘘やその場しのぎのごまかしは言わない。それはこれまでの短い付き合いでもなんとなくわかってきていた。
うんうんと、ツクモは笑顔でうなずいた。わたしがツクモの言い分を理解したのが嬉しいのだろう。
「そういうことが言いたかった」
「もう、あったまきた。どうしてどいつもこいつもみんな、わたしが何にもできないって決めつけてるの? 金山さんだけじゃないよ、ツクモも飯田さんもだよ」
わたしはいい加減、堪忍袋の緒が切れて、ソファのひじ掛けを平手でたたいた。
「わたしだって、生まれたときから七曜神社の総領娘だよ。なめんな。小さな神社とは言え、ご依頼だって色々あるんだ。初宮参りから七五三、地鎮祭に棟上げ式、お祓いに結婚式、たまにはお葬式。お父さんを手伝って神社の運営をするのに、必要とあれば表に出る仕事もしたし、そういうときに神社の恥にならないようにって、立ち居振る舞いは普段からみっちり、さんざんお稽古させられてきた。実家が民宿だったお母さんに一通りのお作法教わった後は、氏子さんでお免状持ってる先生にお茶とお花と書道、習いに行って。しかも、神社の娘なんて、ただお上品そうに大人しくしてればいいってもんでもないんだからね。うちの神社では下は小学生から上は八十、九十代まで、毎年集落の氏子さんをまとめて三日間お祭りをするの。あらゆる世代の、好き勝手なこと言ったり喧嘩したり暴れたりするやんちゃなお祭り好きをおだてたり、甘えたり、場合によってはご家族にこそっと耳打ちして行儀が悪いのをなんとかしてもらったり、あらゆる手段でまとめ上げて、あちらを立て、こちらをなだめして、毎年祭りの準備、運営をしてきてるんだよ。暴れたい盛りの子ども・青年部のお囃子連、集まれば酒を飲み、酒飲めばケンカするかセクハラ発言してくる祭り壮年部、人の話を聞かないでマイペースな老人会、団結させて味方につければ心強いけどひとたび噂話に花が咲くと手が付けられない婦人会。ランドセル背負う前から両親を手伝って、日々予想外の方向から飛んでくるトラブルを潜り抜けてやってきたんだからね。そこらの二十歳と比べても、人間関係の場数だけは踏んできてる自負があるっての。ほんの数時間、あおられたって笑顔をキープしてお行儀よくしてることくらい、三百六十二日準備して三日祭りを運営することに比べたら何だっていうのよ」
ツクモはあっけにとられた顔をして、ぽかんとわたしを見返した。飯田さんは声を殺して爆笑しつつ、指先だけで拍手した。
「宮森さん、最高。腹が据わってるわけだ」
「大体、金山さんが好き勝手言っている間、わたしが黙っていたのは、ツクモの面子を立てたからだよ。黙ってろってサイン送ったでしょうが。それでツクモがわたしをかばって金山さんにいいようにされて、わたしが引き下がる道理がどこにあるの。わたしのせいでツクモをそんな目に遭わせたとあっちゃ、それこそ、七曜神社の名折れだよ。わたしがお父さんに絶縁される」
父は人が良くて義理を重んじる人間だ。親ばかではあるが、一度言い出したら譲らない頑固者でもある。一人娘が人様に恥をかかせたとあれば、絶縁という名目で、二、三週間口をきいてもらえず、雨の日に車でふもとの駅まで送り迎えしてもらえないくらいの危険は大いにある。
「モンシロ、どうすんの」
飯田さんはもう完全に笑い交じりだ。まあ、一番気楽な立場ではあるけど、そんなに笑うところあったかな。
「うう。ふみちゃんパパが怒るのは困る。調査にも差し支える」
「じゃあ、しょうがねえなあ。モンシロも腹くくるしかねえなあ。宮森さん、強いぜ。これ以上なく適任だ。連れてったら絶対あいつに勝てる」
飯田さんはにやにやしながら指を組んだ。
「飯田さん、ヤンキースイッチ入ってる。昔取った杵柄がうなりまくってる」
ツクモはぼやいた。
「ヤンキー中学生のケンカと何が違うんだよ。しょせん、マウントの取り合いだろ、お前らのやってるのは」
「オレはそんなの興味ないの」
「ああいうやつは、興味あろうとなかろうと、こっちが上手をとっていかないと引き下がんねえんだよ」
「またそういう文脈で片付けようとするー」
「じゃあ、どうすんの」
「うー」
ツクモはまた頭をひっかきまわした。
「調査できなくなるのは困る。でも、ふみちゃんに何かあれば、ふみちゃんのご両親にも顔向けできない」
「じゃあ、お前がちゃんとするしかねえよなあ。文字通り、最初から最後までちゃんとエスコートして、そばにくっついてたら何も起こらないだろ。金山が用意する場所じゃない、お前のおふくろさんが企画するイベントなんだから。何も起こらず、おふくろさんが満足してくれたらお前と宮森さんの勝ちだ。金山は当てが外れて、さぞやがっかりするだろ。それに、それでおふくろさんの安心を数か月分稼げるなら、お前にとっても悪い話じゃないんだろう」
「それは本当にそう。でも、ふみちゃんを利用しているみたいで嫌だ」
わたしは口をはさんだ。
「だから。わたしはいいって言ってるんだから、利用してることにはならないでしょ。それとも、わたしには想像できないレベルで、これってもっと大変な話なの? 一緒にパーティに出ただけで付き合ってるとか婚約するとか言われちゃうやつ? となるとお父さん逆に慌てるかもしれないけど」
ツクモも、わたしに対してはそんなつもりはないだろうし。一ミリでもあれば、これまでにしてきた数々の暴挙をしているはずがない。デリカシーがないにもほどがある。さっきはほめてくれたけど、それは観察の結果を客観的に述べただけ、というごく淡々とした口調で、照れもしていなければ私の反応を気にしているふうでもなかった。面白い観察・研究対象プラス、例えて言うなら怖い親戚のおじさんから預かってるお気に入りの年下のいとこ。そんなくらいの扱いだと思っておけば間違いなさそう。
「違う。さすがにそういうやつじゃない。友達で、もちろん大丈夫」
「あれ、宮森さんはそういえば彼氏いるの? いたら、やっぱりやめといたほうがいいかもよ。男は結構気にするから」
「いませんって、そんなん」
「あー! 飯田さん何さらっと聞いてんだよー。上司のオレが聞いたらセクハラのやつ」
「あれ? そういうことはちゃんと知ってるんだ、ツクモ」
「北上さんに、セクハラにかぎらずハラスメント関連全般の事例資料集、読まされたの! 初めてバイトさんに来てもらうのに、万が一のことがあったらいけないからって」
それでいて、あの実験をやるか。つくづく、変わった人間だと思う。
「じゃあ、宮森さんを利用しているんじゃないかっていうモンシロの気が済めば、それで問題はクリアだろ」
「飯田さん強引にまとめすぎ」
「俺は宮森さんの心意気を買ってんの。そのパーティ、ドレスコードはどうなってる?」
ドレスコード?
わたしは瞬時に現実に引き戻されて青ざめた。そっちの方向の心配は全然頭をよぎりもしなかった。言われてみれば、そんなフォーマルそうな席に着て行けるような服の持ち合わせはない。おととし、遠縁のお姉さんの結婚式に招かれたときは高校の制服で出席してしまった。成人式の振り袖だって、どうせ何回も着ないんだし、とレンタルで済ませる予定なのだ。
ツクモはしぶしぶスマホを出して、画面をみた瞬間うめいた。
「もう、おふくろからとんでもない回数の着信入ってるよ。マジか。待って、メッセージ聞くから」
渋面のまま、しばらくスマホを耳に当てていたが、大きくため息をついた。
「予想通りの話が金山から行ったみたいで、伝言が入ってた。折り返し連絡しろってさ。もちろん、しばらくほっとくけど。……ドレスコードだよね」
そのままスマホを操作して何かを確認した。お母さんから以前届いた連絡を見直しているらしかった。
「ファストファッションで、って。チャリティだから、ドレスに掛ける予定だった予算を寄付しましょうね、という趣旨みたい。今回のお客さんに多く入ってる、若いモデルさんや俳優さんは、そもそもそんなに予算を掛けられない人も多いから、その辺へこっそり配慮しているのもあるんだと思うけど」
「相変わらず上流階級の考えることはわかんねえな。まあいいか。じゃあ、靴とバッグぐらい、ちゃんとしたの、宮森さんに買ってやれ。それで迷惑料になるだろ。帰りに梅嶋屋デパートに寄ってけよ」
梅嶋屋は、県下にしか店を出していないが、明治の初期に創業した老舗のデパートである。昨今のデパート不況でも、安定した地元の顧客をつかんで、高品質な品ぞろえと行き届いた提案力・サービスを誇っている。太い固定ファンだけではなくその娘・孫世代の需要もしっかり掘り起こしている県内有数の優良企業だ。
「ファストファッションじゃないんですか?」
わたしはきょとんとした。それならよかった、と安堵していたところだったのだ。梅嶋屋で扱う商品は、ファストファッションの対極である。
「わかってねえなあ、宮森さん。コードと校則は破るためにあるんだよ。ドレスをファストファッションにするなら、女子たちはぜったい、靴とバッグは派手じゃないけどちゃんとしたやつで来る。そういうところでマウント合戦するんだ」
「飯田さんのヤンキー理論、でたよ」
ツクモが首を縮める。
「俺のはプロの知見に基づいてんだ。伊達や酔狂で言ってるんじゃない。うちの奥さんの商売、忘れたか。梅嶋屋のシューズ売り場で、売上テッペンとってんだぞ。専門誌を幾つも読んで、最新の文献を押さえてる。研究は欠かさないんだ」
「最新の文献?」
わたしが聞き返すと、飯田さんはにやりと笑った。
「各年代別のファッション誌と、映画雑誌と、海外セレブのゴシップ誌。隣接領域の動向チェックを欠かさないのが、うちの奥さんの業績の秘密だよ。今回必要なバッグと靴をアドバイスする人間としては、それこそ、これ以上なく適任。連絡していいやつ探しといてもらうから、まかせとけ」
ツクモは、うー、とうなってしばらく頭を抱えていたが、大きく息を吐きだして言った。
「わかった。その方向でおねがいします」














