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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第四章 ツクボウの研究所

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35 飯田さんの心配

 飯田さんは、ツクモに三人分の飲み物を買って後から来るように指示した。飯田さんにチャイ。ツクモは好きにしろ。わたしは、さっきの紅茶が飲み切れていなかったので正直それでよかったのだが、そう言うと、飯田さんは首を横に振った。


「モンシロに三つ運ばせる。宮森さん、スパイス好き? シナモンとか」


「はい」


「じゃあ、チャイにしな。ここのはおいしいから。味覚にうるさい客が一部にいるからね」


 食品関係の研究の人たちだろうか。わたしがうなずくと、飯田さんはツクモの背中をバンと軽く叩いて、行ってこい、の合図をした。そのままわたしを促してカフェテリアを出る。歩きながら説明してくれた。


「あいつ、相当頭に血が上ってたからね。チャイは鍋で煮出すから時間がかかるし、三つのマグを中身をこぼさないように慎重に運んでたら、気分も少しは落ち着くだろう」


 その代わり、飯田さんはノートパソコンを詰めたツクモの重そうなバッグを肩から下げていた。面倒見がいい。


「あいつ――金山は、ツクボウとはライバル関係のグループの御曹司なんだ。カナヤマグループ、知ってる?」


「はい、名前ぐらいは」


 来るときの車中でも話題になった、キラービー・ミントの製造元だ。そうか、金山さん、カナヤマ製菓の人なのか。


「ライバルといっても別にいつもケンカしているわけじゃないし、分野によっては研究協力もする。同業者として、お互いほどよい距離感でやってる間柄だ。今時よくもまあそんな言い方すると思うけど、築井も金山も両方、旧士族のいわゆる名家だから、遠い親戚関係もあるらしい。そのへんは俺はよく知らないけど。会社同士、家同士でケンカしてるわけでは全然ないのに、なぜかあいつは、やたらモンシロに絡んでくるんだ。俺はモンシロとはここに来てからの付き合いだけど、見てると、用もないのにくだらない自慢話をしにしょっちゅう顔を出しては、あいつを挑発して帰る。モンシロは同学年で中高大学と付きまとわれてるんじゃなかったかな。大学の所属学科は違ったから、そこだけは救いだと思うけど。面倒なヤツとはいえ、普段はモンシロのほうは柳に風で受け流すんだけど、今日はやけに怒ってたな」


 飯田さんは首をかしげた。


「飯田さんは、金山さんとは他の関係でもお知り合いなんですか?」


 共通の知り合いがいるようだった。先生、と言っていたような気がする。


「出身学科と指導教員が一緒なんだ。いわゆる、院の研究室ってやつが一緒ってこと。あいつは今はD一、博士課程後期一年生のはずだ。大学院では三年目。俺とは十年違うから、ゼミで一緒になったことはないけど、俺も研究畑に残ってるせいで、時々、教授に相談があったり機械を使わせてもらいたかったりして、研究室に出入りすることがある。そんな折に顔を合わせて、挨拶をしたことがあった。そのときは生意気で無礼な奴がいるな、としか思っていなかったから、ここで再会して、モンシロとあいつがこんなややこしい知り合いだったことに驚いたけど。実際、周囲の話を聞いてる限り、研究者としてはぱっとしない感じのやつだな」


「じゃあ、飯田さんも築井さんも金山さんも、出身大学は同じってことですか?」


「うん。同じ大学で理学部なんだけど、オレと金山は化学屋。モンシロは生物学科――生態学関係の専攻で、分野が違う。モンシロは卒論指導のゼミに二年生かそこらから入り浸って、かわいがられてたみたいなんだ。学部生のうちからかなりコアメンバーで関わったプロジェクトの研究発表で名前を入れてもらったり、モンシロが主導で計画した研究の論文が筆頭名義で発表されたりもして、学内ではちょっとした有名人だったらしいよ。学部生ではそんな実績を積むやつはまずいないから。みんなモンシロは院に行って研究者になると思っていたらしくて、学部で出ることが決まった時には先生方もかなり残念がっていたと聞いたことがある。金山はあんなにしつこくからんできているあたり、その辺が気に入らないとかもあるのかもな」


「ご出身の大学はどちらなんですか?」


 こういう流れになると、気になってしまう。聞いてみた。


 飯田さんがあげた大学名は、高校時代の進路指導室に置いてあった受験雑誌で見たときに、正直引くぐらい高偏差値だったことがわたしの印象に深く残っていた、東京の有名私学だった。受験で国立の最難関と併願して両方受かった場合、国立をわざわざ蹴ってそちらを選ぶ人も相当数いるが、学費もとんでもなく高いと噂の大学だ。


 しかしツクモにそんな因縁の相手がいたとは。

 それで、わたしのミントタブレットが気に入らなかったのか。ミントに罪はないけれど、妙に納得してしまった。


 会話の途切れ目に、そんなことをぼんやりと考えながら歩いているうちに、いつの間にか、さっきの紫と緑のプレートの部屋の前に戻ってきていた。飯田さんはさっきのツクモと同じように、操作盤を覗き込んでロックを外し、わたしを中に通してくれた。


「こんなこと俺が言うのもおかしな話かもしれないけど、今日のモンシロは、ちょっと大目に見てやってくれないかな。あいつはいまいち常識や協調性はないし、好奇心が暴走することはあるけどさ、普段は全然攻撃的な奴じゃないんだ。ここの研究所は曲者ぞろいなんだけど、どこの研究室でも面白がっていろいろ質問するし、聞いたことはちゃんと理解して覚えてるから、かわいがられてる。それに、指示された手伝いは、研究デザインの中でどういう役目なのか、その意図や役割まで汲んだうえで、真面目にちゃんと手伝うから重宝もされてる。俺としては、いいやつだと思ってるんだけど、今日たぶん、宮森さんはあいつの悪いほうばっかり見せられちゃって、運が悪かったなと思って」


「ツク……築井さんの悪いほう、ですか?」


 ツクモ、と言いかけて、慌てて言い直した。悪い面って、今日特別何かあったかな。


「さっきの実験もだいぶやりすぎだったと俺は思うし、宮森さんの前でケンカするのもね」


「ああ。わたしは知り合いになってから日が浅いですけど、実験は、あんなのいつもじゃないですか? その時は文句言いましたけど、あれが後々まで気になるならそもそもバイトはお引き受けしていません。少しお話しすれば、悪気があってしているわけではないのはすぐにわかりますし。ケンカの件は、わたしには金山さんに一方的に非があるように見えましたけど」


「あれは何が原因だったの?」


「金山さんは最初からケンカ腰というか、すごく挑発的で嫌な態度だったので。築井さん、ずいぶん、抑えて対応しようとされてたんですよ。でも、全然金山さんが引かなかったんです」


 わたしも首をひねった。何かきっかけがあって金山さんが機嫌を悪くしたという感じではなく、最初から絡みに来ていた感じだったし、ツクモも彼の顔を見た瞬間から最大限の警戒モードに入っていた。原因なんてさっぱりわからない。


 それにしても、飯田さんはずいぶん、ツクモのことを心配していたらしい。気分を落ち着けるために飲み物を運ばせる、というのは半分口実で、半分は、時間を稼いで、ツクモに聞こえないところでわたしにこの話をしたかったのだろう。


 飯田さんに安心してもらいたくて、わたしは明るく言った。


「築井さんが怖くなったからバイトを辞めるとかは絶対ありません。父がせっかく許してくれた夏休みのバイトは、わたしにもとても重要ですし、内容も、昆虫はともかく、古文書は大学での勉強にも関係していますので興味がある分野です。それに、田舎育ちなので、上から目線でちょっと失礼なことすぐ言うおじいちゃんとか、人の話もろくに聞かずやたらけんかっ早いおじさんとか、よく見てますしあまり気にしないようになってしまっていまして。わたしから見たら、築井さんはとても紳士的です」


 ツクモは好奇心のスイッチが入ってしまった時のテンションは見たことないくらい高いし、常識はずれなことを唐突にすることはある。軽くふざけてからかってきたことはもちろん何度もある。けれども、ツクモがわたしに悪意ある態度を向けたことは一度もなかった。上から目線で失礼なことを言うとか、人の話を聞いていないというならそれは圧倒的に金山さんの方で、ツクモに迷惑をかけられたとか、怖い思いをさせられたという気はしていなかった。


「おじいちゃんやおじさんに比べて、紳士的ね。やっぱり、宮森さん腹が据わってるわ」


 飯田さんは笑った。


「変なこと言って、悪かったね。宮森さんにとってはあいつはただのバイトの上司だということはわかってるけど、あいつのほうは宮森さんのことを個人的にも気に入ってるみたいだから。あいつ、気の向くままに完全にマイペースにやるか、完全にスイッチを入れて猫をかぶるかどっちかで、ちゃんとした友達があまりできないタイプなんだよ。おじさんとしては心配なんだよなあ。あいつ自身が興味を持ったことは結構何でも器用にできるし、猫をかぶっちゃえばそつのない対応はできるんだけど、立場や役割に応じたかかわりで済むレベルを超えて、普通の友人関係みたいなものを作ろうと思うと、あいつには多分、中学生男子程度のスキルしかない」


 中学生男子。なんか、すごく納得。


「あいつが対人面で変なことしてたら、そこはあまり上司だとか年上だとか思わずにびしっと注意してやってほしいし、手に負えなかったら俺か総務の北上さんに教えて。たぶん、バイト期間中、まだまだ迷惑をかけると思うけれども、あいつ素直だから、言えばわりとちゃんと聞くから」


「総務の北上さんですか?」


「研究所の良心にして正義。新入社員のマナー研修の講師もずっとやっていて、ここにいる人は誰も頭が上がらない。あらゆる事務手続きと社内規定のエキスパート。情報収集も怠りがなくて、最新のコンプライアンス関係の知識ももれなく押さえている。所員全員のお姉さんみたいな人」


 その表現と似たような評判を聞いたな、と思い出した。ツクモがおびえてた人だ、きっと。さっき、実験の時もちらっと名前が挙がっていたような。


 ピンときた。色々つながったような気がする。


「ハラスメント相談の窓口をされてる方ですか?」


「うん。どうして知ってるの?」


「バイトでも相談できるのか、最初に確認したんです。ネガティブ感情実験の時の()()、初めてじゃないんですよね。一回目のときに、世間的に見てこれはアウトです、とお伝えした上で、悪いことをされたらしかるべき窓口に訴えられるのか築井さんに聞いたんですよ。そんなつもりじゃなかったから悪かった、と謝ってくださいましたし、相談はちゃんとできる、と言われたので、バイトをお引き受けすることにしたんです」


 飯田さんは吹き出した。


()()をやられて、そのリアクションができるの。マジで宮森さん腹据わってる。じゃあ、大丈夫だ。何かあったらちゃんと言ってね」


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― 新着の感想 ―
[一言] 飯田さん、凄く面倒見がいい人ですね。
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