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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第三章 七曜神社の伝説

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27 ツクモの仮説(前)

 昼下がりの高速道路はそれなりに空いていて、ツクモは周囲の車にあわせたペースで自動車を走らせていた。乗り慣れているようで、姿勢もリラックスしているし周囲への目配りも自然だ。S市には思ったより早く着けそうだった。


 時々運転はするし、山道や縦列駐車は割と得意だけれど、市街地や高速は苦手なわたしは、大人しく助手席に座ってあたりの景色やツクモの運転を眺めていた。


 古文書のデータ化作業を一段落させて、研究所へと向かう途中だった。


 機器の調整にやや手間取り、二人で読んだ数ページの古文書を読み込んで処理するだけで午前中いっぱいかかった。だが、それを実地の教材にして、どんなトラブルの時どこを確認したり調整したりすればいいかを、ツクモは要領よく説明してくれた。この調子なら、一人でもそれなりに作業が進められるだろう。


 途中で食べてきたラーメンと、安定した自動車の振動とエンジン音のせいで、つい睡魔に襲われそうになる。バッグから大学生の必需品、ミントタブレットを出して口に放り込んでいると、ツクモが視線は前方に向けたまま、左手を出してきた。


「オレにもちょうだい」


 黙ってその手のひらに容器を傾け、三粒くらい振り出してやった。


 そのまま様子を見ていると、口に入れた次の瞬間、ぎょっとしたようにこちらを振り返った。


「かっら! 何これ、ふみちゃん普段こんなん食べてんの」


「前見てねー」


 わたしはにやにやしながらツクモのよそ見をたしなめる。


「これ、何? すっごいすーすーする。マジで辛いんですけど」


 口直しにだろうか、ドリンクホルダーに入れていた紙コップのコーヒーを口に含んでさらに顔をしかめる。


「コーヒーまですーすーする」


「カナヤマ製菓のキラービー・ミント、エクストリームスーパーストロング。オンラインショップ限定のやつ」


 渋面になったツクモに、昨日カナブンの話を両親から聞き出した件のささやかなお返しができた気がして、すこし溜飲が下がった。最初からいたずらをするつもりではなかったのだが、手を出されたとき、つい出来心がはたらいて、多めに出してしまったのだ。


「……名前からしてヤバそう。そんなんよく買うなー」


「中途半端なミントじゃ効かないんだもん」


「いつ使うわけ?」


「たとえば、金曜日五限に取ってる、宇宙科学入門。星座や銀河のロマンチックな話が聞けるかと思いきや、話し下手の非常勤講師の先生が数式を交えてブラックホールとか連星の話をぼそぼそするだけで、しかもスライドのめくりが異常に早いの。ちょっとでもぼーっとしてたらノート取り逃すし、そうすると月イチのレポートが書けない」


「ノートは得意な子にもらったり、答え合わせしたりできないの?」


 ツクモは少々不真面目なことを言う。変なヤツだけど、そこそこふつうの大学生活は送ったんだな。


「去年まではぶっ通しで、感想文程度のレポートさえ出せば、単位は参加賞、みたいな科目だったから、理系の本気の子はつまんなさそうだって取らなかったらしいんだよね。なのに、今年から先生が急に替わって、すっごい厳しくなったもんだから、わたしの友達の文科系の子たちはほとんどドロップアウトしちゃった」


 ぶっ通し、というのは学生スラングで、単位認定が甘い科目、というような意味だ。文学部の卒業に必要な科目として、一般教養は、特に興味がなかったとしても自然科学分野からも数十単位取得しなくてはいけない。楽して単位を稼ぎたい学生が大挙して登録していたのに、当てが外れた、というわけだ。今では、大教室講義なのに、ゼミか、とつっこみたくなるような人数しか残っていない。わたしと由奈ちゃんはそのうちの二人だ。


「じゃあふみちゃんは何で残ってんの?」


「んー。友達のよしみ?」


 由奈ちゃんが、なぜか講師のぼそぼそ先生の大ファンになってしまったのだ。

 当然、前の方に座りたがるし、うっかり居眠りでもしようものなら、一緒にいる由奈ちゃんの印象まで悪くなってはたまらないと怒られる。

 ペンケースにこのミントをいれておいて、こっそり口に入れては何とか乗り切っている授業なのだ。


 そのほかにも、ギリギリまで書けなかった課題を徹夜で仕上げるときや、後もう少しで電車を降りなきゃいけないのに急に睡魔におそわれたとき。ちょくちょくお世話になるので、まとめ買いして、バッグには常に予備も入れてある。


「カナヤマ製菓ねえ」


 ツクモは顔をしかめた。そういえば、カナヤマグループも、製菓だけではなく、漢方薬系の製薬や酒造などを扱う一大メーカーである。


「ツクボウフーズにも、強いミント作ってもらおうかな。今の話を聞く限り、マーケットはあるよね、きっと。試作品できたら、ふみちゃん試食してよ」


「喜んで。なになに、ライバル意識?」


 茶化してやると、ツクモは口をへの字に曲げた。


「カナヤマは気に入らない。カナヤマの製品をふみちゃんが毎日バッグに入れてるのも」


 どういう意味だ。


「ただのミントだよ」


「それでも」


 ツクモは前を向いたまま、むすっとした顔で言った。


 変なの。


 そのまま、沈黙が落ちた。おしゃべりなツクモにしては珍しい間だった。何か適当な世間話でも振った方がいいかな、と思い始めたところで、ツクモがそれまでのトーンとは全く違う、少し緊張した声で不意に言った。


「考えてたことがあるんだ」


「何?」


「違和感のこと。羽音木山の昆虫の動き。妙に近いって話したよね?」


「そうだっけ」


 少し考えて、思い出した。セミが落ちてくる前だ。


「それで、実験してみたいって言ったんだったよね、ツクモが。あれは何だったの? 最初、相当に趣味の悪いいたずらかと思ったんだけど」


「それ」


 ツクモはのろのろと言った。


「自分でも、相当突拍子もない思いつきだとは思ってる。でも、否定する材料が見つからないんだ」


「あのとき、変なこと言ったでしょう? わたしとお守りが何かだって。何のこと?」


「トリガー」


「鳥がどうしたって?」


「違う。鳥じゃなくて、トリガー。引き金。オレが考えてたのは、ふみちゃん自身が、昆虫を引き寄せる強力な要因を持っているんじゃないかってことなんだ。そして、遠ざける強力な要因はお守り袋。この二つの要因が拮抗していれば、ふみちゃんは普通の暮らしができる。でも、ふみちゃん側の要因が強くなると、昆虫たちが引き寄せられてくる、というのがオレの考えた仮説だった」


「まさか、そんな」


 わたしは笑い飛ばそうとした。でも、笑い声は喉に引っ掛かったようになって、うまく笑えなかった。


「オレもそう思った。だから、あの時は説明できなかった。自分でもばかばかしいと思っていたから。お守り袋を密封しただけで、あんなに劇的にセミの行動が変化するなんて」


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― 新着の感想 ―
[良い点] キラービーにエクストリーム・スーパーストロングって……カナヤマ製菓の開発担当者、恐るべしッ! 『殺人蜂』命名のミントタブレット……。 怖いもの見たさで、却って売れるかも? [一言] ツクモ…
[一言] ツクモもふみちゃんが気になりだしている? 学術的なこともありそうだけど……
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