26 江戸時代の伝説
二人の読み取りを総合すると、次のような話だった。
◇
享保年間のことらしいが、書き手にもはっきりとはわからない。
そのころ、この近辺でイナゴが大発生して、田畑が壊滅的な被害を受けた。不作を補おうと年貢の取り立ても苛烈を極め、農民たちは食べるものもなくなって、多くの死者が出たという。宮守(なぜか、宮森ではなく宮守、と表記されていた。当時はどちらの表記も使っていたのかもしれない、とツクモは言う)の後継者であった女神主、芳は、荒ぶるイナゴを鎮め、亡くなった村人たちの魂をなぐさめるべく、村に呼ばれて祈祷をしたという。当時すでに、遺体を放置すれば疫病の原因になることがわかっていた。多くの死者が出たこの時に、村の埋葬地では場所が足りないことから、入りきらなかった遺体を、藩主・築井氏の指示で羽音木山の谷に運ぶことになった。芳が谷で魂送りの祈祷をしたとき、七つ星のチョウが大量にあらわれ、三日三晩死者を弔うように寄り添った後、消えた。
この時、チョウが、古い時代の姫君の姿で芳の夢に現れ、神託を授けたという。
谷に生えるいくつもの植物を乾燥させ、お告げ通りに調合し、火にくべて焚けばたちどころにイナゴは去るであろう。その後も、調合した香を守り袋に入れて虫の害を避けたいところに置けば、虫は必ず去るであろう。だが、虫を直ちに散らす香の秘伝は、虫を直ちに集める香の秘伝とともに使わねばならぬ。
そして姫君は、二つの香の製法を示した。
目を覚ました芳は、早速、チョウの姫神の託宣通りに香を調合した。虫を散らす香、すなわち散虫香を氏子の集落で焚火にくべると、たちどころに田畑よりイナゴが去り、その年、集落の田畑の収穫は例年通りに近い量まで回復した。ところが、氏子集落から逃げ出したイナゴの群れは、近隣の集落の田畑で、さらに猛烈な被害をもたらしたのである。近隣の集落は、七曜神社の氏子集落だけが害を逃れたのを見て決起し、集団を組織して神社を取り囲んで怒りの声を挙げた。芳はこの時初めて、自らの失敗に気が付いたという。虫の害に目がいったばかりに、虫の行き先を考えず、ただ散虫香のみを焚いてしまった。チョウの姫神が夢枕に告げたのは、集虫香とともに使わねばならない、ということだった。
芳は近隣の村人たちに深く詫び、集虫香を調合して、川が大きく曲がって渦巻く蛇の目が淵のほとりの崖でそれを焚いた。すると無数のイナゴが集まって、水におぼれて死に、川に流されていったという。三日三晩、煙は天に立ち上り続け、そして、近隣の里から、大量に発生したイナゴはきれいさっぱり姿を消した。
ところが、三日目の夜、祈祷中の芳は斬られた。藩主の築井氏の縁者の侍が、芳の護衛と見張りという名目でその場に付きしたがっていたが、その侍が芳を斬ったという。
そのとき、七曜のチョウがまた現れた。芳はチョウに全身を包まれ、不思議なことに、そのまま姿を消したという。淵に転落したというものもいたが、見つからなかった。
乱心した侍は村人に取り押さえられた。辺りを埋め尽くすほど飛び交ったチョウは、翌朝にはすべて消え失せていた。
数年ののち、しばしば山を歩き回るのをならいとしていた、物狂いの寺男が、ほとんど誰も入るもののいないはずの羽音木山山中にて、ひとりの幼い少女を保護して里に下りてくる。羽音木山周辺の集落では、イナゴの害から村を救い、姿を消した芳が、胡蝶の神の化身とされ、信仰の対象となっていた。そこに、山中で保護された少女が現れたことで、少女は芳の生まれ変わりとされ、村人の尊敬を集めた。ちか、と名付けられた少女は、しばらくは藩主築井氏の預かりで育てられたが、守り人のいなくなった七曜神社に入り、宮守の神職を継いだという。
◇
「不思議な話だねえ」
わたしはため息をついた。
「うん。何が不思議かっていうと、荒唐無稽なようでいて、妙に、リアリティがあるんだよなあ。ふみちゃんが持ってるお守りの名前、散虫香だろ?」
「うん」
「調合は一子相伝だってお父さんが言ってたよね。それに、材料は羽音木山で全部とれるとも」
「そうだよ。他所からのものは使わない。そのせいで量産できないから、大々的に宣伝もしないけど」
「ここに書いてあることと一致するんだよなあ。やっぱり、このお守りの中身、気になる」
「お授けしましょうか?」
わたしは社務所の鍵束をポケットから出した。時々、参拝客の対応をするので、お守りをツクモに渡すことくらいわたしにもできる。ちなみに、お守りやお札は、売る・買うとは言わない、と父から厳しくしつけられている。神様からの預かりものなので、お授けする・お受けする、である。
「うん、じゃあ、二つ」
「二つ?」
「分析用と、本当のお守り」
「ツクモにはいらないでしょ。昆虫、捕れなくなっちゃうよ」
わたしは笑った。
「必要な時があるかもしれないからね」
ツクモは神妙な顔で言った。わたしが保管ケースのカギを開けて二つお守りを出すと、ツクモはきちんと尋ねて、既定の初穂料を払った。わたしもいらないとは言わなかった。神社の仕事は、神様からのお預かりものであると同時に、わたしをこの歳まで育ててくれた、家族を支えるファミリービジネスでもあるのだ。
「この話が本当だとすると、お父さんの言ったとおりになるね」
「何が?」
わたしの言葉に、ツクモは首をかしげた。
「宮森の一族は平家の末裔だという話だけど、八百年の間には途中で養子をとったりして、本当に平家の血筋は引いていないんじゃないかって言ってたじゃん。平家の血筋は芳という神主の代で絶えて、ちかという山中で保護された女の子が跡を継いだわけでしょ。お父さんが言ったとおりじゃないか、って得意になるか、平家の末裔じゃなかったんだ、ってがっかりするか、どっちだろうなあ」
「ああ、その部分か。それは、どうだろうね」
ツクモはあいまいにお茶を濁して、資料を手に取った。
「とりあえず、今日はこの資料をデータ化しよう。ふみちゃん、やり方覚えて。機材を置いて行くから、一人でも、ふみちゃんの都合のいいときに、ここにある古文書をデータにしてほしいんだ。ページ数に応じて報酬が出るようにしてもらうから」
「合点承知」
バイトはたくさんできるに越したことはない。わたしは、メモ帳とペンを持ってくると、さっきセッティングした機械の前に陣取ったツクモの横で、メモを取りながら説明を聞き始めた。














