25 とことん
「ふみちゃん、これ。見て」
ツクモがわたしを呼んだ。読みかけだった資料を自分の作業机に置いてそちらに近寄ると、ツクモは少しずれてわたしが座るスペースを空け、今見ていた資料をわたしのほうに示した。
「読める? 昨日、お母さんが話してくれたのと同じような内容が、ここに書いてある。どうやらこれは江戸時代の後期にまとめられたもので、当時この神社に伝承されていたことを改めて書きつけた、ということらしいんだけど」
比較的、読みやすい部類の筆跡だ。わたしもざっと目を通した。源平の争いのこと、落人のことなどが書かれているのが読み取れる。ページをめくると、挿絵が目に飛び込んできた。
「これが、そのチョウ?」
羽に七つの星を持つチョウ、というのが、母の話を聞いていてもよくわからなかったのだ。アメリカ国旗みたいな模様ではないだろうし、と、ツクモが聞いたらおなかを抱えて笑いだしそうなおバカな連想をしてしまったので、聞きそびれていた。その答えらしきものが、目の前に示されていた。
羽を閉じて蝶の羽の裏側を描いた図と、羽を広げて表側を描いた図が描かれている。
裏側には、昨日、神社の裏の森でツクモがとって見せてくれたジャノメチョウとよく似た、目玉のような模様がある。だがこれはその模様の数が多い。上羽に四つ、下羽に三つ。模様は羽の端のほうに、行儀よく整列している。表側は、何色かに色分けされているようだった。もっとも、書付けには墨一色しか使われていない。横に小さい字で注釈のように書き込まれている。
「この表側の色って、上から、群青、白、茜色?」
わたしが尋ねると、ツクモはうなずいた。
「うん。そう読み取れる。かなり色鮮やかなチョウだったらしいね」
「裏側は? ああ、茶色っぽい色か。鳶の羽色のごとくって、そういうことだよね」
ますます、裏側はジャノメチョウ似だ。ぱたぱたと飛ぶところを想像した。羽の裏側は周囲に溶け込む色だ。羽ばたくのに合わせて、羽の表側だけがちらちらと見えたり隠れたりして、薄暗がりの中ではネオンサインが短く点滅するように見えたのではないか。
わたしがそういうと、ツクモはぐりぐりとわたしの頭を撫でた。
「ふみちゃんは読解力と想像力があるね。オレがイメージしたのもそんな様子だ。モルフォチョウって、知ってる?」
「知らない」
ふいに撫でられて、あらためて肩が触れ合うほどの距離の近さに急に緊張してしまったわたしはぶっきらぼうに答えたが、ツクモは気にも留めていないようだった。
「中南米に生息しているチョウなんだ。ちょうどこんな感じで、裏側が褐色の模様で、羽の内側だけが鮮やかな色だ。有名なのは青い種のいくつかだけど、オレンジや白のものもいる。オレもまだ映像でしか見たことがないけど、そいつらが森の中で飛ぶと、ちょうどふみちゃんが今言ったみたいな様子になる。遠目には光の玉が点滅しているみたいに見えるんだ。種に特有の色で、自分の存在を同種のチョウ仲間にアピールしつつ、天敵からの追尾をかわして捕まえられにくくする絶妙なカラーリングだ」
「へえ。じゃあ、このチョウって実在するの?」
「そこなんだよ。日本に生息する、あるいは生息していたチョウで、こんな模様のものは見たことがないんだよなあ」
「なら伝説の中で作り出された、想像上のチョウなんじゃないの?」
「そうかもしれない。でも、こいつが、例えばご神域のどこかにひっそり生息しているとしたら?」
夢中になって書付けを読みつつ、熱っぽく語るツクモの横顔は、わたしをからかっているときとも、目の前の昆虫に目の色をかえてむきになっているときとも違った。今ここにないものを見ようとして、わくわくして遠くに目をはせる表情。
がつんと何かで頭を殴られたような衝撃だった。
やられた、と思った。
こんなしょうもないやつだけど。虫のことばっかり夢中になって、非常識で、おしゃべりで、ちょっと意地悪で、猫かぶりが上手いからどこまで本心かぜんぜんわかんなくて、わたしの理想とは到底かけ離れたやつだけど。この、あこがれたものをまっすぐに追いかける顔は、本物だ。
この顔をされたら、もうしょうがない。認めざるを得ない。
心の底から、わたしもこいつが見たいものを見たい、と思った。そのためならわたしも、古文書調査でも昆虫採集でもなんでも、付き合えるところまで、とことん付き合おう。というか、そうせざるを得なくなるだろう。わたしも、それが見たいのだから。
「ふみちゃん、聞いてる?」
怪訝そうに顔を覗き込まれて、わたしは慌てて書付けに目の焦点を合わせた。少し、ぼうっとしていたらしい。
「ちょっと、一瞬古語の意味が思い出せなくなって注意集中がそっちに飛んでた。どこの話だっけ?」
言い訳しながら、目で文章をたどる。もう、チョウの図版は見当たらなかった。ページが進んでいる。
「お母さんの話。江戸時代にはもう、周りの集落と付き合いができたみたいだった、というところで終わってただろ」
「そうだったね」
「ここには、その後の話が載ってる。江戸時代の出来事と、ふみちゃんが持っているお守りのこと。これも、当時を直接知っている人が書いたんじゃなくて、しばらくたってからの聞き書きらしいけど」
「え?」
俄然、好奇心が沸いて、わたしは資料を引き寄せた。
「読んでみていい?」
「うん。オレもざっと目を通しただけだから、横からもう一回読むけど。お互い、自分の読みたいように読んでしまっていないか、後で答え合わせしてみよう」
「わかった」
うなずいて、わたしは文章に目を通し始めた。














