22 七曜神社のおこり
母が語ったのは、おおよそ、こんな話だった。
源平の戦がおおよそ決着し、平家のものたちは散り散りにあちこちの里や村に身を隠して、源氏一族の追っ手から逃れようとしていた折のできごとだったという。生きたまま逃げて身を隠すことを落ちのびる、といい、身を隠した敗残兵を『落人』というが、こうした平家の落人がこの山間のふもとの集落までたどり着いた。平地が少なく、田んぼも多く作れない貧困集落ではあったが、落人であろうと頑健な若者たちは重要な働き手となるため、村の人々は快く彼らを受け入れた。彼らもあるいは刀を捨てて鍬をとり、あるいは弓矢の技術を活かしてイノシシやシカなど田畑を荒らす害獣の駆除を兼ねた狩猟に加わり、農村の暮らしになじんできたころだった。ひょんなことから、村に平家の落人が潜んでいることが源氏の追っ手に知られてしまった。
当時、平家の残党狩りは峻烈を極めていた。源氏の中枢部は、落人の中から反乱軍を組織するだけの求心力がある武将が立ち、再び戦の世になることを恐れていたのだ。後顧の憂いを断つため、平家の落人は本人に反乱の意があるないにかかわらず、見つけ次第斬首が言い渡された。その首級をもって源氏に申し出れば、褒美や栄達が見込めたのである。こうした状況下で、近隣の集落同士の横のつながりが薄まって、お互いに監視しあい、密告する関係となっていった結果、この付近に潜んだ落人も近隣の集落の誰かによって源氏側に密告されてしまったのではないか、というが、真相はさすがにわからない。
源氏は落人を討伐する軍を組織し、集落を襲った。罪人である落人をかくまった罪を咎めて、集落のものも皆殺しにされるのが当時のならいだった。もともと、ほとんどが生まれながらの貧農ばかりの集落では、武器になるものも木製のすきや鍬程度。まともに抵抗もできないまま、ほとんどの農民が、女子どもに至るまで無差別に殺された。そのとき、狩りのため山奥に入っていた一団だけがわずかに難を逃れたという。
その一団は討伐軍に発見されないよう、山の中腹に潜んで、蹂躙の嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。討伐軍がすべての落人を狩り終えたと満足して引き上げたのち、潜んでいた一団は村人の遺体を山中に運んだ。ほどなく、一族が死に絶えた村の田畑を管理すべく、源氏軍が許可を与えて近隣の村から移住者がやってくる。この移住者がやってくる前に遺体を弔わねば、反乱に与したものの亡骸としてどんなひどい仕打ちを受けるか分かったものではなかったからだ。
山の奥谷まで遺体を運び、弔おうとしたとき、生き残りの一団は、死んだと思っていた落人の娘の一人が、実は生きていたことに気が付く。父の腕に庇われるようにして昏睡状態にあった娘は、山奥の土地でようやく息を吹き返したのだ。平家の血筋をひくこの姫君は、自分を庇って死んだ父や抵抗もできぬまま亡くなっていった村人たちのために一心に祈りをささげた。
すると、不思議なことが起こったのだという。
亡くなった人々のもとに、山中のどこからともなく、次々とチョウが集まり始めた。何千、何万と集まったチョウは、犠牲者の亡骸を覆いつくさんばかりにそこに止まった。わずかに生き延びた村人も落人も、それまで見たことのないチョウだったという。羽に七つの星を持つ美しいチョウは、三日三晩、村人たちに寄り添うようにその場にとどまり、そして一晩のうちにすべて姿を消した。このとき、ご遺体もまた消え去ったという伝説もあるが、事の真偽ははっきりしない。
生き延びた一団は山の中腹を開墾して、半農半猟の集落を作ったという。この集落に、亡くなった落人と村人たちの魂をみちびく胡蝶を祭神とし、落人の姫君とその子孫が神職を務める神社がたてられた。これが今の羽音木集落と、七曜神社の起こりということになる。平氏一門にいたときの姓を使うとまた残党狩りに遭う可能性もあったし、源平の争いからは決別するという意味も込めて、そのころから、神職の家系は宮森を、その他の落人の家系はそれぞれが『森』の字を含む姓を名乗ったという。今でも、羽音木集落に、森崎や森本など、森のつく姓が多いのはそのせいである。現在の七曜神社の主祭神は、おそらく、もっと後の時代に、神道が系統立てて中央政権に組織されていく中で便宜上設定されたもので、副祭神である奥谷の胡蝶の神の方がルーツは古いということになるのだろう、と母が読んだ郷土資料には書いてあった。
ふもとの集落の人間たちも、残党が山中に潜んでいることはうすうす知っていたが、戦乱の世の中、さらに戦が起こって耕作の担い手が減ることを嫌い、その後、密告するものは現れなかったという。落人だけでなく、もとから集落にいた村人まで皆殺しにされたせいで、地縁血縁があった近隣の集落の人間にも源氏軍にわだかまりが残ったのだろう。
こうして、山中の集落は、鎌倉、室町時代の間も細々と存在を続け、江戸時代のころまでには周囲の集落とも次第に関係を構築していった。イノシシやシカ、クマがふもとの村々を困らせたときには狩りの心得がある山中の集落が頼られたし、桑の栽培をして養蚕業が盛んになったことで、村の収入源も安定した。また、当時から、七曜神社の害虫よけの祈祷は霊験あらたかと評判であったという。
◇
「この伝説を真に受けるなら、宮森の一族は、平家の末裔ということになりますな。まあ、八百年以上も昔の話ですから、どこかで子孫が絶えかけて養子をとったこともあるだろうし、直接の子孫ということもないんじゃないだろうかと、僕なんかは思いますがねえ」
母の話を引き取って、父が結んだ。
「とても興味深いです。最初から昆虫に縁の深い神社だったんですね」
ツクモは母の得意料理であるナスの天ぷらを天つゆに付けながら言った。話に相づちや適切な返事をはさみながら、ツクモは実に要領よく、おいしそうに食事を進めていた。母が大量に用意した料理も、どうしようもなく残ってしまうことはなさそうだ。大量に用意しておいて、残るとちょっと機嫌が悪くなる母の性格を知っているわたしは、内心胸を撫でおろした。ツクモがあまり食べなければ、わたしが無理して多めに食べるしかないし、うら若き乙女として、大量の天ぷらと唐揚げを胃袋に詰め込んでいる姿はあまり人目に晒したいものではない。
母は、早々に自分の食事は切り上げてお茶を淹れに立った。揚げ物をすると見ているだけでおなかがいっぱいになると言って、大量に作った日ほど母自身はあまり食べないのである。熱心にダイエットをしているわけでもないが、自分が食べるより人に食べさせるのが好きなせいで、母は若い頃の写真とさほど変わらない、一見華奢な体格をしている。職業柄、筋力は結構あるのだがそうは見えない。
「あなたたちはまだまだどんどん食べてね」
母は自分のお茶を手に座りなおすと、わたしにだけわかる視線で圧を掛けてよこした。冷蔵庫に入りきらないから、もう少し食べて減らせ、という意味だ。
「そういえば、築井さん、ツクボウのご先祖が江戸時代このあたりの藩主だったことはご存じですよね?」
母の言葉に、わたしは食べかけていた山菜おこわをのどに詰まらせそうになった。
「そうなの?」
「そうだよ。お寺に、古い先祖の墓があるって言っただろ。明治以前のものなんだ」
わたしに返事をしてから、ツクモは母に向き直った。
「明治年間の早いうちにこちらを離れて、絹糸産業から身を興したと聞いています。紡績を社名に掲げているのは、ルーツが絹糸にあるからですね。私の昆虫好きは、母にはあまり理解されませんでしたが、実のところ、父は、呆れとあきらめ交じりではありますが、多少認めてくれているところがあるようです。それは、築井のルーツと関係があるんだろうと思います」
「どういうこと?」
「絹糸だよ。さあ、ふみちゃん、問題です。絹糸はどうやって作られるでしょうか」
「また子ども扱いしてる。馬鹿にしてるの? 知ってるよ。カイコガの繭からとるんでしょ」
「正解」
ツクモはにやにやして、小学生に教えるみたいな口調で教えてくれた。
「だからだよ。うちのご先祖が今の会社を興せたのは、元をたどればいわばカイコガのおかげなんだ。だから、どうも築井の人間は昆虫に恩義を感じている節がある。開発研究でも、昆虫の構造や生化学物質にヒントを得たものが多いんだ。カイコガの作るたんぱく質を医療分野に応用したり、ホタルの発光の仕組みを酵素として取り出して、重要な研究対象を追跡するマーカーとして利用したり。だから、研究所でも虫屋のオレが手伝う余地がけっこうあるし、文化地域貢献ばっかりで、業績には貢献しないオレの研究も大目に見てもらってるわけ」
「アイシャドウも、チョウの羽の色だって言ってたね」
「そうそう。あれは面白かった」
そういうことか。ツクモ自身の好きなことと、研究所で扱っているテーマももともと近かったのだ。とはいえ、専門性の高い理系の学問分野で、学部四年間を卒業しただけで、こんなにあっさり言っているけれど、手伝いと言うほどの手伝いができるほどの戦力になるものなんだろうか。やっぱり、この人はよくわからない、というのがわたしの本音だった。