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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第三章 七曜神社の伝説

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21 猫かぶりモードの本領(後)

「古文書の調査もされるんですよね? それも研究所の方で?」


 ぬか漬けをつまんだ母が首をかしげると、ツクモは大きくうなずいた。


「そうなんです。これは、ジャンルとしては文科系の研究になるので、化学関係を扱ううちの会社ではもうまさに文化活動、悪く言うとごくつぶしなんですけど、個人的にすごく興味がありまして」


 ツクモが本来したかったのはこっちの話のはずだ。にこにこしながら、ツクモは母を転がしにかかった。


「こちらの神社の縁起にも、すごく興味があるんです。郁子さんにうかがったら、お母さまがお詳しいと」


 縁起というのは神社のおこり、成り立ちのことなので、うちの家族にとっては普通の語彙なのだけれど、どちらかと言えば専攻は理系の研究ジャンルのはずのツクモがさらっと口にしたのには少し驚いた。日本史や古典文学に興味がないと、覚えていない単語だろう。古文書研究にも伊達やふりだけで関わっているわけではなさそうだ。忘れかけていたけれど、崩し字をすらすら読めるのだから、それも当然なのかもしれない。


「どうして、古文書の研究に興味を持たれたんですか?」


「昆虫そのものにももちろん興味があるんですが、昆虫と人間がどうかかわってきたのか、ということも、私にとっては重要なテーマなんです。親しまれたり、かわいがられたりするものもあれば、害をなすとして疎まれ、避けられるものもある。ときには、神様のお使いのように敬われるものまである。昆虫ではありませんが、クモなんかは、生き物を食らう妖怪としても、害虫を退治する守り神のような存在としても描かれる場合がありますね。そういう、多様なかかわりのかたちにも興味があって。現代にも通じる面があると思うんです。害虫駆除の発想にしても、根絶やしにするほどやっつけるのではなく、ほどほどで共存できないか、とか、近寄らせないようにできないか、とか。発想の方向なんかは、過去の知恵に学ぶものも多いのではないかな、と」


「本当に、お好きなんですねえ」


 母はにっこりした。好きなものの話を熱心にする人間は母のお気に入りのタイプである。母に言わせると、こういうタイプの人の話は時間さえ許せばいつまででも聞いていられるらしい。来院するたびにテレビのヒーローシリーズの怪獣の話を延々とする幼稚園児の患者さんとすっかり意気投合して、すべての怪獣の名前を憶えてみせ、彼の尊敬をがっちり捕まえたところで『ヒーローになるためにはちゃんとお薬飲んで、身体を丈夫にしなくちゃね』などと持ち上げて、嫌がっていた苦い薬を飲んでもらえるようになった、とか、母に旧日本軍の戦闘機の話をするために隔週の来院を忘れなくなったおじいちゃんがいるらしい、とか、その手の妙なエピソードには事欠かない。


 勤めている医院の院長先生に言わせれば、凄腕の看護師なのだそうだ。注射や採血が人一倍上手いとか、包帯を巻くのが早いとか、そういうことではない。その辺はどうも十人並みなのだが、母は、話の要領を得ない患者さんから病気の症状や生活状況、遠くに住んでいる親戚などの家族関係の情報を引き出すことに関してとにかく長けているということらしい。それに、そうして関係ができたところで、医師せんせいの治療方針をかみ砕いて説明して、薬を飲まなかったり手術を嫌がったりそもそも来院が途絶えがちだったりする患者さんを繋ぎとめて納得してもらうのが上手いのだという。


「神社のことは、私は嫁に来た身ですから、本来は夫がお話しすべきなんですけどね。私は仕事柄、ご高齢の方と接する機会が多いものですから、いろんな方がいろんな風に、嫁に来た他所の人間に教えてやろうとお話ししてくださって、正直混乱してしまったもので、改めて市の図書館の郷土資料やなんかで勉強したんですよ」


 とにかく会話する――というか、相手に話をさせる――のが武器の、母のスタイルで仕事をするうちに、気に入られた患者さんから『なんだおまえさん神社の嫁か』ということで、神社や地域の伝承について話を聞く機会も多かったのだという。


「僕は不真面目な方でして。そういうことも、僕の父、郁子の祖父が話してくれていたんですが、いい加減にしか聞かないうちに肝心の父が急逝してしまったんです。見よう見まねで継ぐことになったもんですから、父の残した書付を読んで儀式関係や運営上の知識を頭に入れるので手いっぱいだったんですよ。それで、その辺は妻にまかせっきりで」


 父は頭をかいた。


 この神社の神事は、ほかの神社で行われているのとは異なる、独自のものもかなり多いらしい。父は大学の神道系の学科を卒業し、なんとか祖父の跡を継ぐための資格だけはとっていたのだが、祖父が存命しているうちは、まだもう少しやりたいことが、と、弟子入りするのを先延ばし先延ばしにして逃げ回っていたらしく、いざ継ぐとなった時には右も左もわからなくて途方に暮れてしまった。金釘流の悪筆で書き遺してくれていた祖父の書付を読み解いて、わからないところは氏子会の皆さんに教えてもらって、なんとか軌道にのせたのだという。なので父は今でも、先代からの氏子会の重鎮たちには頭が上がらない。


 父本人は大学在学中に写真家にあこがれて、学業もそこそこに、写真館にアルバイトとして入り浸っていた。卒業後は正式に採用されて、しばらくカメラマンとして働いていたのだという。その頃知り合って結婚したのが母だ。母は、宮司の嫁がこんなに大変だとは聞いていなかった、人生であんなだまし討ちはなかった、とよく笑いぐさにする。だが、父自身が、継ぐまで宮司の嫁どころか宮司本人の仕事についても何もわかっていなかったのだから、こればかりは致し方ないだろう。わからないことに手を取り合って立ち向かって解決してきたせいなのか、両親は今でもとても仲が良い。


 ツクモは、これおいしいです、と母特製の枝豆入り冷やし茶碗蒸しを最後の一口まで丁寧にすくい切って、べた褒めしてから、母に水を向けた。


「郷土資料もあるんですか。それは、今度ぜひ図書館にも寄らなくちゃいけませんね。その資料をちゃんと読むためにも、よかったらぜひ、お母さまからも縁起のお話をお聞かせいただけませんか」


「そうですねえ」


 母はどこから話したもんか、というように、ちょっと天井の方を眺めた。


「この神社は、もとをたどると、平安時代の末期、源平の戦が盛んだったころにその基礎が出来上がったようなんです――」


「平安時代末期?!」


 ツクモに向けたはずの話題だったのに、びっくりしてわたしが思わずおうむ返しにしてしまった。


 八百年以上も前の話ということになる。


 母の口から飛び出してきたのは、わたしも実はちゃんと聞くのが初めての話だった。いつまでも家のことをほったらかして逃げ回っていた、若いころの父のことを笑えない。



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フッタ

― 新着の感想 ―
[一言] 朝に見かけた蜘蛛は神の遣いとか言うしねぇ。 でもってほどほどの共存。 そもそも完全な駆逐なんてほとんど無いケースですよね。駆逐したと思っても目に見えない場所に巣とかがある可能性もあるし。と…
[良い点] ツクモさんの常識的な部分や理系文系問わず学識が広いことに、ふみちゃんは驚きつつ惹かれてしまっている感じがしますね。 そして、蒔ちゃんと秀治さんのお話もいろいろ出てきて「のうぜんかずら、泳げ…
[良い点] お母さん、凄いです。 個人医院で開業したばかりとか、後を継いだばかりのところだったら、喉から手が出るほど欲しい人材ですよ。 [一言] すみません。今頃気づきました。 のうぜんかずら、泳げ…
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