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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第三章 七曜神社の伝説

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20 猫かぶりモードの本領(前)

「さあさあ、食べてくださいな! 秀治さん、夕刊はいいからこっちに来て」


 母が張り切って作った夕ご飯は、大人六人だって食べきれるかどうかわからないくらいの量と品数だった。いなりそば、天ぷら、川エビの唐揚げ、鶏肉の卵とじ。山菜おこわ、おくらとナスの煮浸し。唐突にポテトサラダ。


「お、ご馳走だなあ」


 新聞をソファに置いてダイニングに来た父が相好を崩す。半分以上が父の好物だ。


「築井さんが好きなもの、わからなかったからね。ついつい作りすぎちゃった。なんの変哲もない家庭料理ですけど、召し上がれ」


「こういうご飯、嬉しいです。ご馳走になってしまって、すみません」


 山装備からそこそこ普通の服装に戻ったツクモは神妙に答えた。年長者向けの猫かぶりモードだ。


 ツクモは汗と山の土埃でドロドロだったので、半ば強制的に、母によってシャワーに送り込まれていた。ツクモ、また着替えがないんじゃ、と思っていたら、先日の一件で懲りたらしく、車に一式積んでいると言って持ってきた。備えよ、さらば報われん。


 わたしもツクモの後でシャワーを浴びて、ようやく人間らしい気分に復帰しての夕ご飯だ。一日中歩き回った上に、お昼ご飯が軽かったので、おなかはペコペコだった。


 ツクモはこの後運転して帰るので、父だけがビールを開けて、食事が始まった。


「裏山はどうですかな。そんなに珍しいものはいないでしょう。どこにでもいるような、セミやなんかばっかりで。夜行くとカブトムシやクワガタも出ますがね」


 川エビの唐揚げをつまみに早速グラスを傾けながら、父が尋ねる。ツクモもわたし同様相当おなかがすいていただろうと思うが、ポテトサラダをとった皿を一旦置いて律儀に答えた。


「その、どこにでもいるようなものを、ちゃんと見つけて記録するのが目的なんです。下草の手入れも時々されるんですよね? 里山に典型的な生物相がきちんとあるので、とても興味深いです」


 父も気づいて、さすがにすまなそうに食事をするよう促した。うなずいて、ツクモも食べ始める。母がなぜこの和食だらけのテーブルに唐突にポテトサラダを出そうと思ったかは、娘のわたしにはなんとなくわかる。父の好物で、クリスマスや親せきが集まるときなどのハレの食卓に、メニューのバランスは度外視して母が必ず添えているのだ。色々な料理が並んでいる中で、なぜかツクモも、一番に皿にのせていた。どうやら、こちらにも当たりだったみたい。


「下草は、ある程度は刈りますね。この少し下に、御神前に奉納するための米を育てる田んぼと、神事に使う茶を作るための茶畑があるんですな。そこにたい肥や敷き草で入れるので、その分を氏子さんに協力してもらって。使う分を刈る程度ですから、このすぐ裏手の一部分だけですけども」


「神社の年中行事と結びついているんですね。面白いなあ。その田んぼや茶畑も、日を改めて見せていただいていいですか?」


「もちろんですよ」


「どこにでもいるような虫を記録するって、どういうことですか。新種とかを探すんじゃないんですか?」


 母が、夏仕様に冷やしてあった茶碗蒸しを運んできて、全員の前に一つずつ配りながら尋ねた。まだ料理があったのか。これは相当気合が入っている。


 ツクモは礼を言って茶碗蒸しを受け取り、それをそのまますくいながら答えた。


「どんな昆虫がいつどこにいたのか、という記録は、あるようでいて案外きちんとしたものがないんです。環境は年々変化しますから、今ここにどんなものがいるのか、という記録はそれだけで貴重なんですよ。例えば、今日ここで見つけた昆虫に、アオドウガネというのがいるんですが――」


 ツクモは一口食べた茶碗蒸しを一旦置くと、デジタルカメラをもって戻ってきた。

「これです。よくご覧になるんじゃないですか」


「ああ、家にも時々入ってくるやつ。もっと、てかてかしたのも来るけど」


「それはまた違う種のものですね。カナブンかな。このアオドウガネは艶消しの緑色なんですけど、よく似た別種の昆虫で、茶色のドウガネブイブイというのもいるんです。従来、アオドウガネは日本でも南のほうの地域、ドウガネブイブイは北寄りの地域に分布していたんですが、この頃、年間平均気温が上がってきたせいか、アオドウガネの生息域がどんどん北に広がってきていて、その結果、餌や生息場所が近いドウガネブイブイが減少しているのではないかと言われています。でも、そういう話も、その地域で以前はどのくらいアオドウガネとドウガネブイブイが見られていたのか、その比率が今はどうなっているのか、というデータがないと、結局はっきりしたことはいえません。今回の調査が最終的に目標にしている基礎的なデータというのは、それ自体では華やかな成果にならないんですが、色々な研究のもとになるんですよ」


「地道なお仕事なんですねえ」


 母は感心したように言う。


「もちろん、新種や、これまでこの地域には生息されていないとされていた種が発見できれば、それは目覚ましい成果としてニュースにはなるんでしょうし、そうなったらいいなあ、という希望というか、ロマンというか、そういうのは常に持っているんですけどね。でも、新種が見つかって、いっとき話題になったところで、企業活動には結局あまり関係ないので、私の研究分野はどちらかというと、会社のごくつぶしなんです」


 あはは、と人懐っこく笑ってツクモは言った。猫かぶりモードになると、一人称まで社会人っぽく「私」に変わる。


「では、会社としては、文化貢献、地域貢献ということでやっておられるんですかな」


 シイタケのてんぷらをつまみながら父が尋ねた。


「そうですね。もちろん、研究員は商品開発に直接つながる研究や、主力の分野の基礎研究をやって将来につなげているので、私も本来の業務はそちらのお手伝いで、ごくつぶしのほうは空き時間を何とか作ってやっている状況です。でも、そういう横道みたいな研究も、人脈作りの側面もあって。誰かの基礎研究から、実際に企業活動に使えそうな内容が出てきた、とか、新しいジャンルに挑戦したいとき誰にアドバイスを求めたらいいか、とか、何かと横のつながりがあったほうが、情報が手に入れやすくて都合がいいものですから」


「そういうこともあるんですか」


 母のあいづちに、ツクモはすすめられた天ぷらをとりながら照れくさそうにちょっと首を傾げた。


「もともとそんな大局観があって、就職したんでもないんですけどね。私の場合は、どうしても昆虫の研究が続けたくて、本当は大学院に残りたかったんですけど、説得しきれず、両親が許してくれなかったという情けない事情でして。折衷案でなんとか研究所に入れてもらって、他の研究者の方の迷惑にならないように、肩書だけ、部門を新設してもらったので、便利屋みたいなものです。使い走りの丁稚奉公をしながら、自分の研究もぼちぼち、こそこそ進めているというか」


「ご両親は進学に反対されてたんですか。会社はお兄さんが継がれるんですよね?」


「ええ。でもまあ、会社全体となれば大所帯ですから、本来は一族総出でちゃんと手伝わないといけないんです。でも、私はどうにも向いていなくて。兄は出来がいいんで、安心なんですが」


 ツクモは苦笑した。


 わたしは会話にはあまり口を挟まず、成り行きを見守るつもりで、いなりそばを皿にとった。いなりずし用の油揚げにゆでそばを詰めて、ねぎと紅ショウガと天かすをトッピングした母の得意料理だ。かじりながら、そういえば凉音ちゃんブルーのアイシャドウは、ツクモも開発に関わったと言っていたな、と思い出した。


 この人、どのくらい本当のことを言っていて、どのくらい話を盛ってて、どのくらい謙遜しているんだろう。どんな研究分野でも頼まれればきちんと手伝いをこなしつつ、自分の研究も地道に進められるほどの器用さや能力を持ち合わせているのか、それとも今どうやらわたしの両親に信じさせようとしているような、立派なお兄さんと比べて出来の悪い、趣味人で一族のお荷物の次男坊なのか。両親相手の、相手が興味を示した話題に合わせて折り目正しく知的な会話ができるほうが本当なのか、わたし相手の失礼でまったく遠慮がないけれど実に自分は楽しそうな態度のほうが本当なのか。全く見当がつかない。いろんな側面が見えたり隠れたりして、あまりにとらえどころがないのだ。


 とりあえず、わたしに己の身分を説明した時の『怪しくないよ、普通の会社員だよ』よりはよほど怪しくない発言を、しようと思えばできる人間なのだ、ということだけはわかった。ずいぶんとナメられたものである。

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― 新着の感想 ―
[一言] そういえば『わっか』なホラー小説のりゅうじくんは、いろんな顔を作らなきゃ生きていけないような人生を送ってたっぽいなぁと思い出す。 あと余談ですが。 植物というのは、昼間に酸素を出す以上に夜…
[一言] うーん。ツクモは大人の対応が出来る。 でも、郁子の前では、素の自分も見せる。 それに郁子が心乱されているという感じがします。
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