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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
終章 祭りのあと
129/129

129 アキアカネ

 唇を離すと、照れたように笑ってツクモは言った。


「集落中で言われてもオレは構わないけど、それでふみちゃんパパが怒って出入り禁止になると困るから」


「それはありうる」


 今度はわたしがうめく番だった。こっちは笑えない。本当にありうる。


「デートの場所はちゃんと考えないとだ。お父さんにはしばらく黙っていないと」


「そうなんだ」


「絶対、いらないことわーわー言う。心配性だから」


「でも、そのうち言うだろ」


「うん、まあ、多少落ち着いてからね。少なくとも足が治ってから」


 わたしの足が治ってからになるか、父の足が治るまで待つか。


「でないと、オレ、ふみちゃんをギャラクティックワールドに誘えないじゃん。さすがに、関西に親御さんに黙って行くのはなしだろ」


「え? ツクモ、行きたかったの?」


 映画が苦手だと言っていたツクモにとっては、およそ縁のなさそうなテーマパークだ。そもそも、ツクモとテーマパークという組み合わせ自体、縁遠そう。


「さっきふみちゃんが行きたそうだったから。なら、どうせなら一緒に行きたいなって」


「それで行けないって言ったとき妙に嬉しそうだったのか」


「え、そうだった? 残念だねえって言ったつもりだったけど」


「言葉はね。にこにこしてたよ」


「マジで?」


 ツクモは頬を押さえた。そんなことをしていても、今もにこにこしている。すごく嬉しそう。

 自分で気がついてないのかな。


「でも、わたし、今のツクモと行くのはやだなあ」


「え、なんで?」


 笑顔がしゅんっとしぼんで、すっかりしょんぼりした様子でこちらを見るので笑ってしまった。


「だって、ツクモ、一本通して見たことある映画、この前の試写会の以外に何がある?」


「……ない」


「でしょ。ギャラクティックワールドに、『シャーク』も『ダイナソーパーク』も見ずに行くつもり? 『アクアワールド』、『ターミネーション』、『ライド・トゥ・フューチャー』。『ルナ・ウォーズ』シリーズに、『ビリー・ロッターの魔法学校』シリーズ。どれも見てないでしょ。そしたら、全然楽しくないよ」


「じゃあ、見ればいいじゃん。ふみちゃん、一緒に見てよ。映画館に行けばいいんでしょ」


 ツクモは、あっという間に満面の笑顔を取り戻して言った。


 ……待てよ。映画館? 試写会の悪夢がよみがえってきて、わたしはこめかみを押さえた。


「世間知らずか! そういうのは、今、映画館では上映してないよ。往年の名作なんだから。借りてくるか、オンデマンドサービスで観るの。それに、世間一般の映画館であんなに全部解説してたら他のお客さんの迷惑で、あっという間に係員さんにつまみだされちゃうからね。ツクモに映画館はまだ早い。レベル高すぎ」


「じゃあ、お家デート」


 ツクモの笑顔は崩れない。世間知らずのくせに、順応性が高すぎる。


 あんなに映画苦手だって言ってたのに。わたしと一緒にいたいから、見ようって思ってくれてるのかな、とちらっと考えて、頬から火が出そうな気がした。


「本気? 今ここに、たまたま借りてあった『シャーク』と『エイリアン・ゴー・ホーム』と『ダイナソーパーク』あるけど。あと、魔法学校シリーズはディスクを買っちゃったからいつでも見られる。どれか一つくらい、見ていく?」


 そうすれば、あと二時間は一緒にいられる。


「リビングで並んで映画を観てるなら、ご近所さんに窓から襲撃かけられても、羽音木のレーティングでは健全判定?」


「多分ね」


「じゃあ観る」


 ツクモは破顔した。


   ◇


 結局、わたしたちはサメの出てくるパニック映画をソファに並んで観た。まだ食べ終わっていなかったプリンと、わたしの用意していたお菓子、コーヒーと炭酸ジュースがお供だ。サメの扱いがかわいそうすぎる、主人公は海洋生物学者の風上にも置けない、と、ツクモはちょっと不満げだったけれど、最後まで面白がって画面に集中していた。


 やっぱりまだ不安なのか、それとも別の気分が原因なのか、最初にプリンを食べ終わった後、ツクモはわたしの手とつないだ手をほとんどずっと放そうとしなかった。これはもし羽音木ゴシップ緊急連絡網のメンバーに見つかっていたら、健全判定してもらえるかどうか、微妙なところだ。スエヨさんの後には誰も訪ねてこなかったのは幸いだった。


 名残惜しいけど、ツクモが帰る段になって、わたしは外までサンダルをつっかけて見送りに出た。足が痛いんだから無理しない、とツクモにはいさめられたけれど、そんな簡単に言うことを聞く宮森郁子ではない。


「じゃあ、また。来週も会えるといいな」


「うん。相談ね。ねえ。ツクモ」


 わたしはまっすぐにツクモの目を見上げた。


「わたしの好きなもの、知ろうとしてくれてありがとう。それでね。お願いがあるんだけど」


「何?」


 本当は、これを言うのはちょっと怖い。でも、ここ数日、ずっと考えて、ツクモと次に会ったら言おうと思っていたことだった。

 ツクモはわたしより一足先に、勇気を出してくれた。だから、わたしも、きちんと言わなくちゃ。


「貸してほしい本があるんだ」


「本?」


「ガルシア=マルケスの、『百年の孤独』」


 ツクモは息をのんだ。


「……何で、それを持ってるって」


「調べてたどり着いた。結果的に、見つけるのはそんなに難しくなかったよ。南米、小説、シーツにくるまれた若い娘が天に召される。これだけのヒントでちゃんとたどり着けた。ビッグネームだからだろうけど」


 わたしは微笑んだ。試写会に向かう車の中でツクモが言及していた小説だ。繰り返し読んだと言っていた。普段、映画も小説も手に取らず、これだけ対人関係に苦手意識のあるツクモが、繰り返し読んだ小説。それなのに、試写会の後でタイトルを聞いたら教えてもらえなかった。


 挑戦は受けて立つのが、宮森郁子の流儀である。


「それで、読んだけど、内容はめちゃくちゃ難しかった」


「しかももう読んだの? 早くない?」


「たまたま、母の蔵書にあったんだ。今週は、ちょこっと出てた宿題終わらせたらもう暇で暇で」


「読んだんならどうして、貸して、になるの?」


 ツクモは首を傾げた。


「難しかったって言ったでしょ。読み終わって、本を閉じた次の瞬間、もう、何でツクモはよりによって、こんなややこしい小説読んだの、って思ったんだよね。そのとき、わたしはガルシア=マルケスの文章(テクスト)が読みたかったんじゃなかったんだって気がついたの。ツクモが読んだ『百年の孤独』が読みたかったんだ。どんなところに共感して、どこに衝撃を覚えたのか。わたしは『百年の孤独』の中で、わたしがまだ出会っていないツクモに会いたいと思った。それから、他にもどんな本を読んで、どんなことを考えたのか」


「……ふみちゃん」


 緊張して早口になっているわたしをなだめるみたいに、ツクモはわたしの髪にそっと触れた。


「わたしも、ツクモのことをもっと知りたい。たとえば、ツクモが読んで、傍線を引いたり付箋を貼ったり、書き込みもしたりした本が読みたいの。そういうことするでしょ。研究室の本は付箋だらけだったし、飯田さんにもらった実験データにはすぐ書き込みしながら考えてたじゃない」


「よく見てるなあ」


「個人的なことだっていうのはわかってる。ダメだったらいい。でも、読んで思ったこととかを共有できたらいいなって思ったの。わたしとツクモは違う人だし、ツクモはすごく頭がいいから、わたしは、ツクモが何を考えているか、すぐにわかるのは難しいかもしれない。だけど、一緒のものを見て、隣で話すことはできるんじゃないかなって」


「……わかった。すごく恥ずかしい気もするけど、でも、そういう風に言ってくれて、すごく嬉しい。今度はうちに来てよ。本棚、見せるから」


 ツクモは、嘘もごまかしも言わない。わたしは少しほっとして、冗談めかして切り返した。


「座れるところは作っておいてね。研究室みたいに、わたしが入る余地はもう残ってないみたいな部屋には遊びに行けないよ」


「……もちろん」


 たじろいだように一瞬視線を泳がせたけれど、次の瞬間、ツクモはにっこり笑った。それからちらっと神社に通じる私道の方を見て、誰も来ていないのを確認してから、今度はわたしの頬に右手、背中の低いあたりに左手を添えて、三秒間ギリギリまでキスしてくれた。


 あの試写会で見た映画のキスシーンみたい。わたしは少しだけ背伸びしてかかとを浮かせて応じながら思った。それはちっとも変な気分じゃなくて、ものすごくどきどきするのに、なぜか、やっと来るべき場所に来たような、不思議な安心感だった。


「あ」


 ツクモが頬から手を離して、わたしの耳の後ろあたりでさっと動かした。


「今度は何!?」


 とっさに身構える。ツクモの手の中では、羽の大きな何かがもがいていた。

 暴れて体を傷めないようにだろう、ツクモは素早く羽を揃えて指で優しく挟んだ。


「ほら、アキアカネ。もう、本当に秋だね」


 腹に鮮やかなオレンジ色の模様がある赤トンボが、大きな緑色の目でこちらを見た。


 ツクモが手を離すと、すいっと空に上がっていく。


 飛行機雲が長く伸びた午後の空に消えていくトンボを目で追いながら、わたしは早くも、次に会えた時には何をしよう、と考えていた。







ここまで、長いお話にお付き合い下さってありがとうございました。

続編、番外編なども、思いつけたら書ければいいな、と思いつつも、一旦ここで完結とさせていただきます。


本編連載前に公開していた番外編、『のうぜんかずら、泳げ』も合わせて読んでいただければ、楽しんでいただけるかもしれません。

ヒロインふみちゃんの両親、秀治さんと蒔ちゃんのお話です。


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ヘッダ
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フッタ

― 新着の感想 ―
[良い点] 読了しました。とても面白かったです。 もう一度。とてもとても、面白かったです。 9章以降の怒涛の伏線回収(アレルギーの話がつながったときの快感ときたら!)。クライマックスでの息詰まるやり…
[良い点] 完結おめでとうございます(∩ˊᵕˋ∩)・* ようやく最後まで拝読することができました。 最終章はどきどき甘酸っぱくて胸がそわそわするような、見守ってきたふたりが甘いから一気に読めなくて少し…
[良い点] お疲れ様でした。最後は何が来るかなと思っていましたが、期待通りのアキアカネでした。私も大好きです。私にとってこの作品はストーリーの面白さより、どこでどんな昆虫が出てくるかを楽しみにしており…
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