128 器の底のカラメル
ちょっと……というより大分赤くなって、顔もすこしだけ背けつつ、ツクモは一気に言った。
「あのね。オレ、友達だってふみちゃんにずっと言ってたけど、完全に本当じゃないというか。本当は、普通の友達よりもっと好き。ふみちゃんが迷惑だと思ってるのはわかってるから、言わない方がいいと思ってたんだけど、やっぱり、嘘ついてるみたいで嫌で。だから、ふみちゃんに迷惑がられないように頑張るから、もっと好き、のままでいてもいいかなって」
いやいやいや。ちょっと待って。なんだか、途中からどんどん斜めの方向に何かずれていった気がする。
「……えーと、あの、迷惑? 何の話?」
「え?」
ツクモは、空にある月を指さしたのに、それはどこ? と問い返されたみたいな怪訝な顔をしてわたしを見た。
「どこの世界で、わたしがツクモの好意を迷惑がっているって話になってるの?」
「え。待って。だって、ふみちゃんが言ったじゃん。ハグは困るって。じっと目を見るのも」
「好きだよってお互いに言わないうちは、日本文化ではそういうことはあまりしませんね」
「だからネガティブ感情実験の条件になっちゃったわけで」
「勝手に条件にしたのはツクモだよ。まあ、びっくりと困惑が大きく分けたらネガティブ感情に入るだろうから、わたしも訂正はしなかったけど。でも、この前泣いてた時にはツクモがぎゅってしてくれたよ」
「その時はいいかちゃんと聞いたから、大目に見てくれたのかと。だって、ほら。奥谷でも」
ツクモはさらに真っ赤になって言った。
「チョウを呼ぶためにって、嫌だけど、っていうか、嫌だから……キス、したんじゃないの」
「えええええーっ!」
わたしは思わず大声を上げてしまった。わたしも多分、ツクモと同じくらい赤くなってる。
「それ、そういう解釈になる!? そんなこと言ってないじゃん!」
「え? 言わなかった?」
待って、とツクモはこめかみを押さえた。目をつぶって、口の中で何か呟いている。
多分、脳内録画上映機で、記憶のハードディスクから引き出したその場面の動画を、おでこの裏辺りに投射して再生している。どうしてそんなことができるのかわからないけれど、この人は時々そういうことをする。
「今、多分これが一番ドキドキするって、あの時、ふみちゃんは言ってた。泣いてた時にハグしてもいいって言ってくれて、勝手にちょっと前進した気になってたけど、あ、やっぱり嫌だったんだとへこんでたんだけど」
「嫌だからだって解釈したのはツクモでしょ」
「……そうだ。緊張する、って言っただけだったんだ。あれ? 前の時も? でも、それって嫌だからじゃないの?」
この宇宙人め。こんな、最大限に混乱した、困った大型犬みたいな目でこっちを見ないでほしい。わたしの一世一代の勇気は、とんでもない方向にねじ曲がって飛んで、明後日の地点に着地していたことになる。
これはわたしが悪いんだろうか。説明不足のわたしが。対人関係の状況判断の基準が、人とは大幅にずれているというツクモの習性をわかっていたのに、対応を怠ったということなのか。
「……そんなことは、もちろんツクモの知ったことじゃないけどさ。あれ、わたし、ファーストキスだからね! いくら緊急事態だって、嫌いな人にそんなこと、絶対しないよ」
「……え? それって」
やっぱり、言わなきゃダメか。あの時、たった四文字言うのがちょっと恥ずかしくて、あと、言ったら緊張が切れてしまいそうで、後回しにしたばっかりに。ああもう、さくっと一言、言っておけばよかった。そしたらこの訳が分かんない状況も回避できたのに。
「……すきだよ」
やっぱり照れくさくて、ぼそっと独り言みたいな声の大きさになる。
でも、耳をそばだてた大型犬並みにわたしの一挙手一投足を見つめていたツクモの目が、信じられない、みたいに大きく見開かれて、聞こえてたんだとわかった。
そのまま、じっとわたしを見ている。
沈黙に耐えきれなくて、わたしはやけっぱちになって言った。器の底に残っているほろ苦いカラメルソースをかき集めて一息に口に放り込むくらいの勢いで。
「友達よりももっと好きだし、なんならハグだって途中からはだんだん嬉しかったりもしたし、でもどうせ五学年も下だからお子さま扱いしかされてないかなって思ってたけど! 強引に奪い取ったみたいになったのは反省してるけど、それでもファーストキスはツクモからもらったんだなって思ったら、すっごく嬉しかったですけど! 毎晩電話くれるのも今日来てくれたのもすごく嬉しくてツクモのこと大好きだけど、なんか文句ある?」
文字通り鳩が豆鉄砲を食らったような顔の人を目の前で見るのは人生で二回目だ。一回目もツクモで、場所はこのリビングだった。デジャヴュみたい。
それから、ツクモは本当に嬉しそうに、素直ににこっと笑った。これもデジャヴュみたいに前と同じ。
「ううん。信じられないくらい嬉しい」
ぎゅっとしていい? と聞かれてうなずいた。しばらくはイエスかノーで答えられることだけにしてほしい。頭が真っ白だ。
ツクモはわたしの伸ばした足の横にひざを突くと、肩のあたりに両腕を回してぎゅっとハグした。そのままわたしの肩におでこをつける。
「絶対二回は言わないからね」
わたしがうなずくと、ため息くらいの小さい声で言う。
「ふみちゃんのくれたアレ、オレも初めてだから。すごく特別でどきどきして嬉しかったけど、嫌でしてるのかなって気がついたらすごく寂しくなった。だから、ちゃんと言って、まだ少しでもチャンスがあるなら、ふみちゃんの好きな人になれるように頑張りたいって思ってた」
あーもう、年上だけどこの素直なところは本当にこの人の美徳だ。背中に手を回してぎゅっとしがみつきかけて、わたしはがばっと身をひきはがした。
「……ん? ちょっと待って。えええっ!?」
わたしの処理容量をこえてフリーズしかかっていた認知機能がやっと情報に追いついてきたのだ。
「あれ? なんか変なこと言った?」
不安そうな顔でツクモがのぞき込む。
「嘘でしょ。初めて? だったの? ホントに?」
「二回は言わないって言っただろっ! ついでに、オレはそんなことで嘘はつかない!」
首筋まで赤くなって怒られても、もちろん怖くはない。怖くはないけど。
「マジでその見た目であり得るのそれって」
「見た目で人を差別しないでよ! 何のこと言ってるかわかんないけど。むしろ逆に聞くけど、オレのどこをどう見たらありそうって思うわけ? その性格は絶対モテないって言ったのふみちゃんだから」
「言ったっけ。あーでも、そうか。中高は男子校で大学は勉強一筋か」
普通に女の子と知り合ってだんだん仲良くなる環境なんてなさそうな人生コースで、この宇宙人みたいにわけわからない状況判断をする性格だし。そもそもあんまり女の子に興味なさそうだったし。
そうか。それは悪いことをした。
わたしもつられてさらに真っ赤になった自分の頬をごまかしたくて、自分から目の前の広い胸にぎゅっと抱きついた。
「……本当にごめんね。わたしが言ったのにね」
「何を?」
「そういうことはお互いに好きですって言ってからするんだよって」
「言ったね、確かに」
ツクモはわたしの髪をなでてくすくす笑った。
「じゃあ、オレが聞かないでハグした何回か分と、相殺でいい?」
わたしはツクモの胸に頬をくっつけたままうなずいた。ツクモの近くでいつもなんとなく感じる、甘いバニラの匂いに優しく包み込まれる様な感覚。
「じゃあ、お互いに好きだよって言ったから、二回目のキスは?」
冗談めかして尋ねられた。でも、ツクモの心臓の音が急に早くなったのはごまかせない。彼がこの一言を、冗談で言ってるわけでも、平然と言ってるわけでもないってことだ。
「三秒」
わたしは姿勢を変えないままで言った。少しくぐもったような声になる。
「三秒?」
不思議そうな声で聞き返される。
「それより長いと、誰かがまた庭先から襲撃を掛けてきて目撃される危険がある。そんなことになれば、もう、明日には集落中で言われちゃうから」
「うわ、それはありうる! っていうか、それは今この状態を押さえられてもダメなんじゃない?」
ツクモは大笑いした。わたしもおかしくなって、抱きついていた腕を離して一緒に笑った。散々笑って、目の横に少し涙がにじんだ。わたしの頬に優しくてのひらで触れたツクモは、その涙を親指でそっとぬぐってから、〇・三秒、キスしてくれた。一瞬重なるだけの本当に短いキス。
人生で一番長い〇・三秒だったと思う。