12 甲虫のブローチ
ツクモは枯葉を踏んで、どんどん先に進んでいた。この辺は雑木林で、下草が多くないので歩きやすい。わたしは急いで追いかけた。
「ほら、見て見て!」
わたしが追いつくか追いつかないうちに、ツクモは早速何かを見つけると、さっと手でつまんで、手のひらに乗せた。その手をわたしのほうに向けて、見せてくれる。
「うぎゃあ」
ほんの数瞬前の決意はどこへやら。わたしは思わず情けない声をあげてしまった。
「知ってる? ゴマダラカミキリ」
長い触角をのぞいても、頭からおしりまでだけで三センチは優に超えそうな、大きな昆虫だった。
つやつやした固そうな、甲羅のような羽を持っているけれど、コガネムシにしては胴が長い。固い羽根は真っ黒の地に、白い模様がペンキを跳ね飛ばしたように細かく散っていた。なにより、白と黒のボーダー柄の長い触角が印象的で、迫力のある昆虫だ。名前もふるっている。カミキリ。何を噛み切るんだろう。
そいつは角を左右に振ると、きちきちと奇妙な音を立てた。
「怖くないの、ツクモ。噛むんじゃないの」
思わず聞いてしまった。
「噛まないって。カミキリは、髪を切る虫でカミキリ。昔は髪をかじりに来る虫だと思われていたんだ。本当は草食性の昆虫だけどね。そもそも、昆虫が怖かったらこんなところに来ないよ。山でオレが怖いムシは、マムシくらい?」
「ダジャレかよ」
わたしの切り返しもどこ吹く風だ。ツクモは、あれは噛まれるとやばい、と言いながら、嬉しそうにゴマダラカミキリを目の高さに持ち上げてあちこち眺めている。
「写真撮らなきゃ。ふみちゃん、この子持ってて」
「無理! 触らなくていいって言ったじゃん!」
えー、とツクモは口をとがらせた。
「ちょっとだけでいいからー」
「話が違う!」
いくら『指示を聞くように』という念を押されていたからって、こうもあっさり当初の約束を反故にされたのではこちらも困る。バイトの話を持ち掛けたときに、捕らなくていい、触らなくていい、と言ったのはツクモなのだ。
「じゃあ、持たなくていいから」
ツクモは、あろうことか、わたしが着ていた長袖シャツの二の腕あたりに、凶悪な面相の甲虫を止まらせた。大きさの参考にするためだろう、ポケットから付箋を取り出して、カミキリムシの横に貼る。
「動かないでね」
「ひっ」
わたしは息をのんだ。だが、ここでわたしが変に暴れて、こいつが顔のほうに飛んで来たらもっと怖い。言われるまでもなく、石のように固まってしまった。
ツクモはご機嫌で、一眼レフを構える。サンドベージュの無地のコットンは、撮影の背景としてはまずまず機能しそうだった。わたしの意向をまるっと完全に無視すれば、だが。
「バッジかブローチみたい」
「んなわけあるかい! 羽が生えて飛んで行っちゃうバッジ、困るでしょ」
「でも、きれいだよ」
「それは主観の問題だからっ! それで言えば、わたしとしては今すぐこいつにはわたしの見えない方向に飛んでいってほしいけど。直ちに。可及的速やかに」
「オレは写真撮るまでは待ってほしいなあ」
なんだかんだ言いながらも、ツクモは手際よく撮影を終えた。カミキリムシを外して、元いた葉っぱの上に戻してやる。
「ふみちゃん、怒ってる?」
わたしは心の中で三回、これは仕事だ、と唱えた。
今さらもう、由奈ちゃんに居酒屋バイトの紹介は頼めない。由奈ちゃんや他の友達と、夏休みの終わりに遊びに行きたいんだったら、ここで頑張るしかない。
「……怒ってません!」
「ならよかった。ふみちゃん、昆虫のほうからは好かれてるよ。ほら見て」
ツクモはわたしの頭の後ろに手を伸ばし、後ろに垂れた三角布を軽く引っ張って私の顔に近づけた。
至近距離すぎて、そこに目のピントを合わせるのが一瞬遅れた。
それが何であるかを認識した瞬間、わたしは悲鳴をあげた。
「きゃあああああっ! カナブンっ! とって、ツクモそれとって!」
わたしの悲鳴がよほどおかしかったのか、ツクモはくすくす笑いながら緑色のカナブンをつまんで布からはがしてくれた。
「ここにも」
わたしの視界に入っていなかった同じ布の別の部分から、もう一つ、何かをつまみ上げる。
手のひらの上にのせて、わたしのほうに見せた。
「ふみちゃんほら。カナブンじゃないよ」
艶消しみたいな緑色と、ちょっと汚れた感じの茶色の、親指の先くらいの大きさの甲虫だ。
「カナブンでしょ」
「違うって。こっちの緑がアオドウガネ、茶色に白い斑があるのがシロテンハナムグリ」
「すいませんちょっと何をおっしゃっているかわかりません」
「ふみちゃん、さてはこの大きさでこの形の昆虫、全部カナブンって言ってるだろ。みんな、ちゃんと見分けポイントがあって、名前があるんだってば。種が違うんだ。このアオドウガネの、緑色のボディを金茶色の細かい毛が縁取っているところ、最高にかっこいいなあ。ちょっとアールヌーボーのジュエリーみたいじゃない? シロテンちゃんは、つやっつやのボディにこの無造作に散ったドット模様が特徴なんだ。最高級の七宝細工だって、このカラーリングのコントラストは出せない」
ツクモはうっとりと手のひらの昆虫を木洩れ日にかざす。よく見るためだろう、かぶっていたひも付きの帽子を背中に落として、ちらちらと踊る日の光の中で、掌中の宝物を食い入るように見つめるツクモの姿はなかなか様になっていた。宝探しものの冒険映画の一場面みたいだ。
掌中のきらきら光る宝物に、六本の足と触角がついていて、よちよちと歩き回っていることに目をつぶれば、という条件付きではあるが。
「かわいいよ、ほら」
「ツクモ、お願いだから近づけないでっ! ついでに同意は求めないでっ」
差し出された手を避けようと、わたしは一歩大きく下がって、間合いをとった。
「なんでだよう、もともとふみちゃんの帽子に止まってたのに」
ツクモは不服そうに口をへの字にする。
「その信じがたい不都合な真実には言及してほしくない……」
全く気が付かなかった。そのこと自体が不安だ。いつまたとまられても、わからないということじゃないか。
「まあ落ち着いて。急に後ずさると危ないよ」
自分のしたことを棚に上げて、思い出したようにもっともらしい注意をしないでほしい。
ツクモはさっきの付箋と同じものを大きめの葉っぱの上に置くと、二匹の『カナブン』を並べて、素早くシャッターを切った。
ツクモが二、三枚撮ったところで、甲虫たちは羽を広げて次々に飛び立った。なぜかご丁寧にわたしの周囲をぐるっと一周回ってから、枝葉の向こうに消えていく。
「やっぱり、気に入られてるねえ」
硬直しているわたしを見て、ツクモはまた笑った。














