表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第十一章 祭り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

117/129

117 父親の形見

 わたしの問いかけに、彼はチョウから目を離さないまま、やはり独り言のように応えた。


「あの時見たのは、夢みたいな光景だった。誰に言っても信じてもらえるとは思えなかったし、ずっと、自分でも信じられなかったんだ。この前、七月に浄雲寺に行って、森崎の先祖の位牌を引き取ってきたのが、すべてのきっかけだった。僕は、持ち帰った位牌を母が大事なものをしまっている箪笥にしまおうとした。そのときにたまたま、父の研究記録を見つけた。兄たちから、形見として譲り受けた母がそこに保管していたんだ」


「お父さんの記録?」


「羽音木山の調査をまとめたものだ。ワープロで清書されたもので、プリントアウトと、データの入ったUSBメモリだった。羽音木が母の実家だったから、兄たちが気をまわしたんじゃないかと思う。兄たちの母上は僕と母が引き取られる少し前に亡くなっているが、父が母上を裏切ってうちの母と関係を持ったことには当然いい気持ちをしていなかったようだから、父が亡くなった前後の記録類は十年ほどまったく手をつけずにしまい込まれていたそうだ。母上が亡くなってから、あらためて二人の遺品を整理した兄たちが、何も父の形見がなくては申し訳ない、と、母に手渡したもののひとつだったらしい。兄たちも母も、中身には興味がないから、研究記録としての重大性にはついては知らなかったんだ」


「重大性って?」


「いわゆる、新種発見にかかわるかもしれない調査研究ということだ。父は、交際していた母が何気なく故郷の話をしたことがきっかけで、羽根木のことを知ったらしい。最初は、東京からそう遠くなく、調査のしがいがありそうな開発の進んでいない山、ということで目を付けたようだ。そういう偶然が重なって、父は二十六年前にここで、一斉に羽化する未知のチョウを初めて見てしまった。父はチョウについて調査を進めるうちに、この地域に、未記載とおぼしい植物種が複数あることにも気がついた。父はチョウの羽化について再調査するつもりだと書き残していたが、記録はそこで途絶えていた。父の死んだ日付と場所を知っていたから、この再調査に絡んだ事故で亡くなったのだろうと、僕にも想像がついた」


「それが七月? でも、うちに調査依頼にはすぐに来なかったじゃない」


「森崎の位牌をひきとりに来た時が、すべてのきっかけだった、と言っただろう。僕が知ったのはそのことだけじゃなかった。浄雲寺に来たあの日、僕は、文史朗が採集支度でその辺をうろうろしているのを、たまたま目撃してしまったんだ。築井家の法事がその前の週に浄雲寺で営まれたことは聞いていたから、その時は、周囲の昆虫にごく当たり前の興味を持って採集に来たんだろう、と思った。でも、僕は金山に引き取られる前の出自については極力隠していたから、その時は文史朗に見つからないように急いで離れたんだ」


 築井家の法事があった次の週。ツクモとわたしがはじめて出会って、わたしが網をかけられて、ツクモに水をかけてしまった日のことだろう。


「その後で、父の調査記録を読んだ時、その発見の重大さに僕は震えあがるほど興奮した。だが、その次の瞬間に気がついたんだ。このままでは、文史朗に先を越される。あいつがここに来た理由自体は、不思議でも何でもないんだが、あいつは勘がいい。再訪して採集まで始めてしまって、好奇心と興味が導くままに調査を続ければ、奥谷の秘密にまですぐにたどり着いてしまうのではないかと焦った。一方で僕は、例の置き去りの一件もあって、秀治さんにどの面を下げて調査の依頼をしたらいいのか迷っていた。森崎令生としての出自を明かして依頼するのか、それともそのことは一切隠して、全く無関係の金山令生として訪問すべきか、とためらっていたうちに、気づけばあいつはさっさとおまえに目をつけてバイトに巻き込み、本格的に調査を始めたようだった。それで、さらに焦ったんだ」


「研究所に忍び込んだのはその頃だよね。なぜなの?」


「文史朗がどこまで調査を進めているのか、知りたかった。僕にも余裕はなかった。この発見だけはゆずれなかったんだ。データを盗み出して、父が記録していたものとそっくりのチョウの絵が描かれている古文書まで、あいつが見つけている、と知って、驚愕したよ。あいつを足止めしてでも、自分が取りに行かなければと焦った。字は読めなかったけれど、挿絵を見れば一目瞭然だったからな。その過程で、おまえに奇妙な特性があるらしいことにも気がついたけれど」


「……知ってたんだ」


「文史朗のパソコンから目をつけて抜き出したデータのうち、ガスクロの結果を見て、なんだこれは、と思った。おまえに関連することは何も書いていなかったが、奇妙なデータだと思って印象に残っていた。そのデータの日付がカフェテリアでばったり会った日と符合するし、あの日、文史朗がおまえをやけに庇うのを見て、何かあるのか、と疑った。それを踏まえて、ガラでオオミズアオの騒ぎを起こして、文史朗がどうするのか観察しようと思ったんだ」


「ツクモがどうするのか、って、どういうこと?」


「おまえがどういう性質でアイツに重要なのかはともかく、重要度そのものを探ることがまず必要だった。おまえを放りだして、オオミズアオに躍起になるなら、おまえの重要度はその程度ということになる。脅迫があったうえでオオミズアオの騒ぎが起これば、普通はその騒ぎに乗じてトラブルが起こるのを警戒するはずだから、あいつがオオミズアオが死にそうなのを捨てて、おまえをかばうなら、おまえはとんでもなくあいつにとって重要だということになる」


「……なんちゅう実験よ」


 場違いなのは承知で、わたしは頬が上気するのを止められなかった。あの場面をこの人はそんな風に観察していたのか。わたしはツクモにとってオオミズアオよりも大事かそうでないか、試されていたということらしい。


 そんな比較ってあるか。頭が切れる、というより、常識の線が一本か二本切れている人たちはこれだから腹立たしい。ツクモもだけれど、金山さんも、発想が宇宙人だ。


 わたしの様子は気にも留めず、彼は淡々と続けた。


「だが結果は、どちらも外れ。文史朗はおまえを抱えてまでオオミズアオの近くに連れて行った。すると、明かりにひかれて飛んでいたはずのオオミズアオが、なぜか向きを変えて降りてきた。ありえない行動だ。そのときあのガスクロのデータはおまえの分析結果だと確信できた」


「それだけでわかっちゃったのか」


「僕だって、昆虫の研究者のはしくれだ。目の前にデータを与えられれば何が起こっているのかは読める」


 彼は自虐的に肩をすくめた。


「事態はどんどん、僕ではなく文史朗の流れになっていた。その流れに棹をさして変えようと、僕が焦れば焦るほど、上手くいかなくなっていた。オオミズアオの計画を立てるのと並行して、お守りの中身が問題になっていると気がついて、こちらでも分析にかけようと、量吉じいさんが昨年使ったものをあの家にとりに来させたんだ。虫除守を夏中持ち歩いた後はタンスに入れるのが量吉じいさんの毎年の習慣だったから、人を遣って神社に買いに行かせるより、それを手に入れる方が目立たないと思った。あまり行儀のよくない付き合いがあった二人の知人に、そのおつかいと、その後でここの見張りを頼んだ時、彼らがいらない気を利かせて、おまえを脅かすような運転をしたり、自転車への小細工をしたりと、やりすぎの行動に出た。そこまで手荒なことをさせるつもりは僕にはなかったんだ。だが、大元のところを頼んだのは僕だし、スズムシの一件は僕が彼らにやらせたことだ。言い訳の余地はない」


「パーティの時、デザインナイフをわたしのワンピースのスカートに刺したのは?」


「デザインナイフ?」


「カッターの刃を一つだけ折ったようなの。少しそれよりは長いけど。ペンの軸みたいなのに差し込んで使うんだって。その替え刃のところだけ、わたしのワンピースの裾を机の脚に留めるみたいに、刺してあった。オオミズアオが飛び始める少し前。れおくん、関係ないの?」


 彼は怪訝そうに眉をひそめ、親指と人差し指で目の間をつまむようにしてしばらく考えていた。


「……リカさんだ。あの日、僕と一緒にいた子。うちとも築井家とも付き合いのある家の子で、昔から文史朗に憧れてた。あの時の僕の話を真に受けたんだな。僕がお前を悪しざまに罵ったから、いてもたってもいられなくなったんだろう。デザートのテーブルに行こうとして、何かを落とした、と一回戻っていた」


「ナイフの刃なんて、そんなもの、都合よく持ってるんだ……」


「彼女は高校生だけど、最近、評判の切り紙アーティストだ。動画サイトにも自分の制作過程を発表して人気が出始めてる。ああいう場面では余興として桐江さんがいきなりパフォーマンスを頼むこともあるから、小さい紙と、愛用のハサミ、おまえがさっき言ってたみたいなナイフはバッグに入れて常に持ち歩いていると思う。あの日は、チャリティ・オークションに彼女の作品も出品されていたし。むしろ、たまたま手もとにそれがあったから魔が差したんじゃないか。普段は引っ込み思案のおとなしい子なんだ」


「ツクモは知らなかったの?」


「リカさんが才能を発揮し始めたのは、ここ二、三年だ。文史朗は大学を卒業する少し前から、社交の場をすっかり避けるようになっていたから。それに、リカさんのほうはずっとあいつにご執心だったけど、あいつは気がついてもいなかったから、動機に心当たりがないだろう。切り紙のことを知っていたとしても、それを確証もないのにおまえのスカートに刺された刃と結びつけるようなことを口に出したかどうか。無数にありうる可能性の一つとしか思っていなかったに違いない」


 彼はため息をついて、木立ちの彼方にぼうっと視線をはせた。


「すまなかった。僕がおまえに言わなくてもいい悪口雑言を投げたことで、リカさんにまでそんなことをさせてしまったんだな。おまえには、じいさんがおまえのほうを可愛がっていたという子どもっぽい嫉妬以外、個人的に何の恨みがあったわけでもないのに、何度も繰り返し迷惑をかけて、秀治さんには大けがをさせてしまった。全て、僕の責任だ」


「なんでそんなに焦っていたの。悪いことをすれば、金山家のおじいさんが嫌な顔をするのはわかっていたんでしょう?」


「今となってはもう、どうでもいいことだ」


 投げ出すように言った彼の目の前を、チョウがまた一羽、横切っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


色々なジャンルの作品を書いています。
よろしかったら、他の作品もお手に取ってみてください!
ヘッダ
新着順 総合評価順 レビュー順 ブクマ順 異世界 現実 長編 短編
フッタ

― 新着の感想 ―
[一言] ここへ来て、金山さんが心を開いてきたのは、死を意識しているのでしょうか。
[良い点] 自分の思惑から外れた処で起きた事象について、自分の責任だと言い切れるあたり、金山さんも捨てたもんじゃありませんでしたね。 知識欲と名声欲の狭間で、我慢しなければならない一線を越えてしまった…
[一言] あの子も関わってきたか(゜Д゜;) いやあのまま一発屋で終わる子とは思わなかったけどね。 というかあのまま再登場とかないのは逆に可哀想だべ(ぇ 個人的には全ての黒幕としての登場とか期待して…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ