112 魔法使いと秘密の儀式
食事の後、スエヨさんに手伝ってもらって着付けを済ませ、本殿にいた父に挨拶をして外に出た。
境内では、ツクモと飯田さんが待っていた。つい先ほど、ツクモが御鈴祓いの行列の邪魔にならないようにタイミングを見計らって飯田さんをふもとへ迎えにいき、神社まで上がってきたのだ。二人とも、がっちりしたトレッキング用のシューズで、ツクモは採集の時より小さいとはいえ、荷物も色々入っていそうなリュックサックを肩にかけていた。尋ねると、応急手当のグッズや水筒、タオルが入っていると言う。さすが、ふだんから山野を歩き回っているツクモは用意がいい。
「よろしくお願いします」
頭を下げると、飯田さんはにやっとわらって、拍手の真似をした。
「すごい。宮森さん、着物似合うね。本格的なんだ」
わたしは、壺装束という古風な着付けの白い着物を着せられていた。小袖という、長じゅばんのような着物を着てから、袿を羽織って打ち合わせ、裾を短めにとって腰ひもでくくり、整える。江戸時代よりも前の着付けの方法なので、その上から帯は締めない。足元は足袋の上に草鞋だ。この着物に、さらに<虫のたれ衣>というカーテンのような薄布がついた市女笠をかぶれば、時代祭のパレードに出てきそうな旅姿になる。だが、山中を歩くのに、市女笠ではあちこち引っ掛かって不便なためか、神事では頭には被衣をかぶることになっていた。
一番下に着た小袖、上に重ねた袿、被衣と、白い装束のなかで、被衣を押さえてずれないようにする、たすきのような紐を前から後ろに結んだ懸帯だけは赤い。神様に仕える人間の目印なのだという。もっとも、被衣と懸帯は、今は畳んで他の祭具と一緒に雑嚢の中に入れてある。出発地点から被って行ったら暑くて仕方ないので、ご神域に入るときに被ればいいと祖母に聞いた、とスエヨさんが教えてくれたのだ。母が嫁いでくる数年前に亡くなったわたしの父の母と、スエヨさんは、お互いに嫁いできて以来の親友だったのだという。
「祖母のものなので古いんですけど、急なことでこれしかなくて」
「由緒正しいって感じ。写真、撮った?」
「いいえ。もうみんな忙しくて、それどころじゃなくて」
わたしが首を横に振ると、飯田さんは、バッグに入っていたコンパクトなデジタルカメラを構えて何枚か撮ってくれた。
「先週、運動会だったんだ。ここに入れっぱなしにして忘れてた。写真見たら、マナカが後でうるさく言いそうだな。お姉さん、魔法使いの忍者みたい、マナカも着たい! ってなりそうだ」
マナカちゃんは、四歳になる飯田さんとミユキさんの娘さんだ。
「着物だから忍者、は、辛うじてわかりますけど、魔法使い? なんでですか?」
意表を突かれてわたしが尋ねると、飯田さんは私の右手を指さした。
「その杖。最近、傘を持っても、ラップの芯を持っても、とにかく振り回して呪文を唱えたがるんだ。定番の戦う魔法少女のアニメが、今年は和風ファンタジーなんだよ。あいつ運動神経だけはいいんだよなあ。運動会でもリレーの選手でさ。その体力でジャングルジムからジャンプしたり、魔法やバトルの真似事するもんだから、危なくって仕方がない」
苦笑しながら言う。現場を想像して、わたしもついつい笑ってしまった。わたしが手にしていたのは、慣れない装束で山道を歩く助けになるから持って行けと父に勧められた、修験者が持つような無骨なヒノキの棒である。四歳の女の子の空想にかかれば魔法のステッキか。小さい子の発想は自由すぎる。
「後で、写真のデータ送るね。メールアドレス教えて」
「いいって。オレにくれれば、送るから」
ツクモが不機嫌そうに割り込む。
はいはい、と飯田さんは肩をすくめた。
裏の林から、先月ツクモと調査に来たのと同じ道のりで、まずヒシの池に向かうルートだ。ツクモはすっと先に立って、わたしの手を取った。道が分からない飯田さんは、後からついてくる。
「木の根があるから、気を付けて」
ツクモはやけにぶっきらぼうな口調で言った。
「まだ大丈夫だって、坂道じゃないし。練習だってしたし」
「それでも、たどり着く前に転んだら困るだろ」
ハイヒールの時と同じだ。過保護モード。
わたしにだけ聞こえる低声でツクモはぼそっと言った。
「ふみちゃん、着物似合っててとってもきれい。って言おうと思ったら、飯田さんに先越された」
「それで機嫌悪いの?」
思わず聞き返してしまった。
「しかもちゃっかりメールアドレス聞いてるし」
「いや、他意はないでしょ」
あるわけがない。ついさっきまで饒舌に活発な娘を自慢していて、わたしの写真もそのマナカちゃんに見せる気満々なのだから。
「わかってるけど嫌なの」
ツクモはそっぽを向いてちょっとふくれた。過保護モードの延長なのか、心配性のシスコン兄貴みたいな面倒くさいことを言う。兄なんていたことないからわからないけど。
「変なの。それに、飯田さん、似合ってるとは言ってくれたけど、きれいって言ったのはツクモだけだよ」
そんなこと、自分で言うのは小恥ずかしいけれど、ツクモがふてくされたままなのも困る。
「あ、そうか」
ツクモは、くしゃっと笑顔になった。わたしの捨て身のレシーブが功を奏して、シスコン兄貴のご機嫌は何とか立て直せたらしい。やれやれ。
これって、いわゆるやきもちってやつなんだろうか。ちょっとは特別な意味があったりするのかな、と、邪念が頭をもたげかけて、わたしは慌ててそれを打ち消した。そんなことを考えている場合ではない。
「神事って、どのくらい時間がかかるの?」
「うーん。一時間くらいかなあ。そんなに難しくはないと思うけど、繰り返しが多くて」
わたしは頭の中で手順を反復した。
まず、岩室の祠に参拝する。父に教わった祝詞を唱える。チョウの神様が心安らかに、今年亡くなった氏子の魂を導いてくださいますように、とお願いする内容だ。この、チョウの神様というのが、主祭神とは違う、うちの神社独自の祭神だ。
それから、岩室の中に作ってある槽で、父が半年かけて醸していた『蝶酒』という液体を手桶に汲んで、岩室から出てさらに奥に進んだ、山の中腹にある『酒舟石』に運ぶ。大きくて平らなテーブル状の石に、くぼみが刻みつけてあるのだという。そして、柄杓で酒舟石に蝶酒を注ぐ。蝶酒は、昨年収穫されて奉納された米と茶、それから、ご神域の中で採れるいくつかの植物を加えて発酵させた、濁り酒のようなものだと父は言っていた。もちろん、人間は飲まない。繰り返し運んで、醸した蝶酒の全てを三日間かけて酒舟石に奉納する。それから、来年一年の豊作と、氏子衆の幸運を神様にお願いする祝詞を唱えて、一連の儀式は終了する。
こう言ってしまえばさほど複雑なところのなさそうな手順だが、実際にやるとなると覚えることはとにかく多かった。祝詞の暗唱はもとより、祝詞を唱える前の踏切という足のステップや礼の仕方、手桶から蝶酒をすくい出す所作や、酒舟石に蝶酒を持っていくときの足の運び、といったものの習得に、父の厳しい指導がかかったのである。
父は祖父の直接の指導が受けられなかったので、書かれたものからすべて知識と想像で補って再現せざるをえなかった。儀式の手順はただでさえ読みにくい祖父の字で記されている上に、身体動作を言葉で書き記すという手続きのやっかいさから、わかりにくいことこの上ない状態だったようだ。それを、実地で儀式を行いながら何年も掛けて判読し、大学で学んだり、神主仲間に聞いたりした神道の他の儀式の知識も踏まえて、試行錯誤しながら今の状態まで復元してきたのだという。
『何と言っても、この蝶酒が曲者でなあ。一度、同時並行で社殿の方でも醸そうとしてみたんだけれど、あの室の、あの槽でないと同じ状態にできないんだ。そこに生息している微生物のバランスのせいなんだろうがね。だから、一年儀式をやらないで、槽の中の蝶酒がダメになってしまうと、おそらく、来年また儀式を再開しようとしても、いい状態の蝶酒が作れないと思う』
できるだけ奥谷の神事を休みたくなかった理由を、父はそう説明していた。秋の神事で空にした槽は、祭りの後、沢から汲んだ水ですすぎ、次の年の春先から、また蝶酒を仕込み始めるのだという。そして、その蝶酒の仕込みや世話のついでに、父は、散虫香のための植物を集めてきていたのだ。
そんなこんなの手続きを、もちろん、ツクモに説明することはできない。七曜神社の宮司が、先代から次代に限って伝えてきた秘事だからだ。
ツクモと飯田さんは、ヒシの池のほとり、ご神域の境界ぎりぎりのところで待ってもらうことになっていた。そこから、ご神域である奥谷は見通せないけれど、もし何かあれば、大声をあげれば十分聞こえる距離なのだという。そして、緊急事態に限っては、ご神域だといってもためらわずに入ってすべきことをしてほしい、と、父はツクモに頼んでいた。