111 御鈴祓い(後)
去年までは毎年、自分もついて歩いた行列が、今年はわたし抜きで鳥居をくぐって出ていくのを、わたしは社殿の横で見守っていた。Tシャツにデニム姿の、島木さんの部下の男性が、行列から少し離れて目立たないようについて行くのが見えた。数日前からうちに詰めてくれていた園部さんは、境内全体が目に入る位置で、社殿の周囲を警戒してくれている。
「ふみちゃんは、去年は何をやったの? 笛とか?」
わたしの隣で、物珍しそうにじっと行列を見ていたツクモが、小声で尋ねた。
「まさか。あれ、音を出すだけでも難しいんだよ。わたしはお世話係。転んだ子の手当をしたり、全員ちゃんと水分を取っているか確認したり、疲れちゃった子をおんぶしたり、休憩地点に先回りしてお茶を用意してもらったり、最後の蛇の目が淵で神社が提供するごほうびのお菓子袋の数が足りてるか最終確認したり」
「ああ、やっぱり大変なんだ。裏方の、一番走り回る役だね」
「氏子さんの行事だからね。わたしは以前からずっと後方支援。今年は少しずつ仕事を分けて、氏子会の祭り役員さんにお願いしたの。お父さんの怪我のこともあるから、みんな気持ちよく引き受けてくれたよ。でも、子どもの時からお囃子は一通り練習して、篠笛以外は抜けた子がいたらすぐ代わりに入れるようにしてたし、寿々役だけは記念にやらせてもらった」
「あれは、どういう子がやるの?」
「今はその年の小学校高学年の子どもたち。前は六年生だったけど、最近はそうも言っていられないからね。子ども、減ってきちゃって」
「そうなんだ」
ツクモは、次第に離れていく行列を、目を細めて見守った。
「六年生のふみちゃん、見てみたかったなあ。かわいかっただろうね」
「お父さんが撮った写真がどこかにあったと思うよ。お父さんってば、すごく忙しい日のくせに、神事の合間に無理して出てきて撮ったんだ。おじいちゃんとおばあちゃんに見せたかったって何回も言ってた」
「そういう行事なんだね。みんな、大きくなる節目として、楽しみにしてるんだ。記念写真も沢山撮って。こういうの、いいな。オレはなかったから」
「いいでしょ。田舎の特権だよ」
わたしは胸を張った。
「そのために、三百六十二日、準備するんだろ」
「えー、言ったっけ。そうなんだけど」
「言ってた、言ってた。飯田さんと一緒の時。ほら、金山と最初に会った後で」
「あ、言ったね! そういえば。……そうなんだよ。たいして大きい祭りでもないけど、やるとなると大変なんだよ」
「わかるよ。ふみちゃんの役目はふみちゃんじゃないとできないと思う。そういうところも、すごいなあ。ふみちゃん、ずっと頑張ってきたんだ」
あんなバタバタしていた時の会話の一部分をちゃんと覚えていてくれて、今この状況を見て、裏方の大変さまで想像してくれてるんだ、と思うと、ちょっと面映ゆいような気がしてしまって、わたしは早口で言った。
「そんな、手放しにほめてもらうほどのことじゃなくて、わたしにとっては、生まれたときから放り込まれてきた環境に、そのまま順応して大きくなってきただけなんだけどね」
「オレが小さいころから放り込まれてきた環境は、あのおふくろが嬉々として次から次に見つけてくるチャリティや趣味のよくわからない集まりだったからね」
そういえば、準備や裏方が大変だったのは、チャリティ・ガラのときのツクモも同じなのだ。まるで違う世界の話のように見えて、意外に、共通点も多いのかもしれない。
「わたしはツクモが、得意じゃないって言いながらも、ああいう華やかな席で堂々としていられるの、本当にすごいと思ってるよ。みんな、自分の置かれたところで頑張るしかないじゃない。だから、今年も、いい加減なことはしたくないんだよ。やれることはちゃんとやらないとね」
わたしは腰に手を当てて、口を結んだ。
「ご神域に行く準備は?」
「今から早めにお昼食べて、着付けしてもらう。出発は正午。ツクモもちゃんとお昼食べてね。お弁当屋さんが持ってきてくれてるから」
「じゃあ、食べるのはふみちゃんと一緒がいい。それで、着付けが終わるまで、この辺で待ってればいいでしょ」
ツクモはにこにこして言った。
「いいけど、見つけたからって、昆虫は捕まえないでね。お盆と同じで、この辺では、お祭り期間中は神様が宿ってるかもしれないから殺生しないんだよ」
「殺生するつもりは最初からないけど」
「それでも、万が一のことがあったら困るでしょ。捕獲から控えてください」
わたしはあえてしかつめらしい顔をした。
「……はい」
ツクモの視線が、ばつが悪そうにすっと横にずらされる。
さては本当に捕る気だったな。油断も隙もあったもんじゃない。
「よろしい」
わたしは腕を組んでうなずいた。
「ともかく、お弁当食べて支度しよう。葵屋さんの助六、おいしいよ」
毎年お願いしている仕出し屋さんのお弁当は、もう社務所に届いていたはずだ。
思い出や感傷に浸っている暇はない。わたしの仕事は、ここからが本番だ。
鬼コーチと化した父の元に通いつめて、必要な事柄をたたき込まれた。同じく鬼コーチの島木さんも、体力づくりを手伝ってくれた。こうして周りに助けてもらっているのに、今この仕事をわたしがやりとげなければ、祭りの伝統が途絶えてしまう。
そうこうしている間に、お囃子は次第に遠くなり、もうほとんど聞こえなくなっていた。すでに、行列は山道にさしかかったころだろう。
「飯田さんは?」
わたしが尋ねると、ツクモは少し顔を曇らせた。
「やっぱり、行かなきゃいけないみたいだ、ってさっき連絡があった。できれば今日の祭りの前に片をつけたい、って、ぎりぎりまで粘ってたみたいなんだけど。オレにわかってるのは、飯田さんもツテを駆使して金山と連絡を取ろうとしているってことくらい。あと三十分くらい、って言ってたから、連絡があったらオレがふもとまで迎えに行くよ」