110 御鈴祓い(前)
あの対決の日以来、金山さんの行方がまったくわからないのが気がかりではあった。
量吉さんの家を金山さんが飛び出して行ってしまった後で、戸締りに困ったツクモと島木さんは、島木さんが車に積んでいた予備のチェーンと錠前で簡易的に玄関を施錠し、鍵は神社で預かることにした。それをツクモが金山さんにメールで伝えたのだが、返事はなかったという。
飯田さんがそれとなく大学院の研究室に聞いた限りでは、そちらにも姿を見せていないらしかった。
インターネットで羽音木山に関する怪情報が出回っていないかは、島木さんのチームのIT部門の人が、他の巡回項目と合わせてチェックしてくれていたけれど、こちらも動きはない。
何も動きがないのが、不気味ではある。
だがこればかりは、いくら気をもんでも、どうにもできない問題だった。
島木さんは島木さんで、毎日ツクモに報告をあげていたようだが、ツクモからわたしにも、変わったことがないか尋ねる電話がかかってくるのが再び日課のようになっていた。といっても、この間、全く動きはなく、わたしもトレーニングをしていることくらいしか話題はなかったわけだけれど。
島木さんが羽音木を離れ、代わりの女性が来てくれた夜にもツクモは電話を掛けてきた。
『島木さんの件、ごめんね』
「いや、ツクモが謝る筋合いじゃないでしょう。ツクボウの人なんだから、会社の業務を優先させてくれないと」
『研究所から正式に調査をお願いしているんだから、七曜神社の件もちゃんと会社の業務だよ。でも、島木さん、とにかく引っ張りだこなんだよね。いつも色々無理が回ってきて気の毒だとは思ってるんだけど』
ツクモも、島木さんに無理難題を言っている張本人の一人のはずなのだが、他人事のように言う。島木さん、どれだけ頼られているのか。
「大丈夫。代わりの人、園部さんも来てくれたよ。祭りの当日も、境内のあたりに詰めててくれるって。あと、当日は子どもたちにもしものことがないように、御鈴祓いの行列にも一人ついてくれるって言ってた」
園部さんは、島木さんより一回りくらい若い、三十代に差し掛かったくらいの女性だった。島木さん同様、当たりはやわらかいけれど身のこなしに隙が無い。共通の話題なんて島木さんのことくらいしかなかったけれど、少し話してみて、彼女にとっての島木さんが、尊敬すべき理想の上司なのはすぐに分かった。
『うん。こちらでも、当日の件についてふみちゃんパパに話をした。ふみちゃんパパもふみちゃんのことが心配だったけど、人手が足りなくて集落の人には付き添いを頼めないから、困ってたって。氏子会の皆さんには、学術調査が入るから、とふみちゃんパパから説明してもらって、ご神域の手前まで付き添わせてもらうことになったから。オレと、後もしかしたら飯田さん』
「飯田さん? なんで?」
『それはオレも聞いたけど、飯田さん自身がとにかく行くって言ってるんだ。行かなくてもよくなったら行かないけど、まだわからない、話せるようになったら話す、の一点張りで』
「どういうことなのかなあ」
『飯田さん、言う気がないときはてこでも動かないから、全然わからないけど、頼りになるのは確かだから』
その点に関しては全く異論がないのだが、飯田さんがなぜそこまでこだわるのか、不思議ではあった。
◇
やっと、というべきか、あっという間に、というべきか、迎えた祭りの初日は、抜けるような晴天だった。神社の境内には、御鈴祓いに出発するお囃子連が集まっている。九月の陽ざしは澄んだ空からきらきらと強く照りつけていた。
氏子代表の大人寿々役は昭さんと善三さんの同級生コンビだ。御年七十五歳。シニアクラブでは中堅の世代である。手には、大きなブドウの房をひっくり返したような形にたくさんの鈴をつらねた伝統の祓い鈴をもち、白装束を身にまとって赤いタスキを首からだらりと下げている。
二人を先頭に立て、その後ろで、お囃子連のリーダー、十八歳の春樹くんが、大太鼓をたたいて出発の合図をした。小学五年生の二人組、桂子ちゃんと陽平くんが、今年の子ども寿々役だ。白い水干姿で、手に持った鈴の房を掲げて揺らす。子ども寿々役は、絵本の牛若丸みたいに、水干――平安貴族の男の子が着ていたような丸い襟の衣を、腰のあたりでたるませるように着付け、その下に赤い袴を履くのだ。男の子でも女の子でも、おしろいと紅を付け、小さな役者さんのようになる。集落の子どもたちがみんなあこがれ、大人たちは我が子や孫がその役をつとめる年度を楽しみにしている、御鈴祓いの花形だ。
お囃子の中でも、篠笛は熟練が必要なので、大人のパートになる。今年は俊太さんと咲月さんの若夫婦が担当だ。ふたりと春樹くんは、鯉口という和洋折衷の襟無しシャツのような上着に腹掛け、ももひきで、きりっとした祭り支度だ。
小太鼓は、法被を着て黒のももひきをはいた、小学三年生の理央ちゃんと、一年生の泰央くんのきょうだいが担当する。小刻みなリズムが難しい鉦は、中学一年生の和也君。
小学校に上がっていない子どもたちと、祭りに合わせて集落内の縁者の家に遊びに来た地域外の子どもたちは、動きやすい普段着の上から法被を着て帯を締め、紫と白の糸をより合わせた組みひもで、手のひらにころんと乗るくらいの大きな鈴を一つたすき掛けにして、行列に同行する。この一年の内に冠婚葬祭のあった家では、平年より丁寧にお祓いをしてもらうお礼として、行列の子どもたちにちょっとしたおやつとおひねりを用意してもてなすのだ。こういう、用意されたお菓子や小銭をもらって歩くのも、子どもたちの祭りの楽しみである。
「むしはらえ、ふくはいれ。やくはらえ、ふくはいれ」
春樹君が、謡うような調子で言うと、子どもたちが声を揃えてその後に続いた。何度も繰り返し唱える。詞の意味も分かっていない小さな子たちが、大きい子たちの真似をして一生懸命唱えるたどたどしさもまた、かわいらしい。
大人寿々役の役員、昭さんと善三さんが、詞に加わり、鈴を鳴らした。それに続くようにして、しゃりん、と、また寿々役のふたりが鈴を鳴らす。篠笛と太鼓が続いて、鉦のリズムが絡み、お囃子がにぎやかに流れ始める。子どもたちの澄んだ声の詞が、規則正しく鳴らされる鈴の音、お囃子の音色と絡み合うように、空に上がっていく。
行列の先頭に立った大人寿々役の二人と春樹くんが、ゆるゆると歩き始めた。その次にお囃子連の面々が続く。その後ろに一つ鈴をさげた子どもたち。しんがりを世話役の祭り壮年部の役員と、まだ小学校に上がっていない子どもたちの保護者が守る。一行は境内を出て、集落の家々をめぐるために、山道へと下っていった。
祭りのために、県警にも協力を取りつけて、羽音木集落に上がる道は三日間封鎖され、外部の車両は原則通行止めとなる。訪問者は、行列が始まる前の朝早めの時間に集落まで上がってしまうか、ふもとの駐車スペースに乗ってきた車を止めてもらい、招いた住人がタイミングを見計らって集落の中から車で迎えに行くのだ。
行列がこれから下っていく道は、二か月前、わたしがびしょぬれのツクモを連れて小一時間かけて歩いて上がってきた道だ。お囃子を演奏しながら、小さい子たちにあわせてゆっくり歩いて、集落まで三十分くらいだろうか。
年々人数は少なくなっている気がして、少し寂しいけれど、これがこの神社の祭りの一番華やかな行事だ。神事として重要な儀式は、実は父が中で執り行っているものだけれど、少なくとも集落で育った子どもたちにとっては、祭りと言えば、この行列なのだ。