107 空き家の縁側で(後)
「お前の要求はなんだ」
「神社とふみちゃん一家から手を引け。この問題にもう一切関わるな。君のしたことのせいで、宮森さんは入院している。ふみちゃんは下手をすれば事故を起こして、二人とも、命にかかわる事態になっていてもおかしくなかったんだぞ。恥を知れ。君がこれ以上何もしないと約束すれば、こちらも、証拠をカナヤマグループや警察に突き出してお前の処分を求めることはしない。飯田さんの昆虫麻酔薬と、不正に手に入れた研究データを返してくれればいい」
ツクモは金山さんをまっすぐに見つめていた。金山さんはそんなツクモを見返した。
「また偽善者ぶって。それで、お前のメリットはなんだ」
「メリット? ふみちゃんの安心安全だ。他に何がある」
「ぬかせ。お前が横取りする気なんだ。チョウも、植物も。お前はいつもそうだ。みんながお前をちやほやして、なんでもお前の思い通りになる。宮森郁子。お前もだ」
金山さんは暗い目でわたしを睨みすえた。
「お前はこのちっぽけな集落で、お姫様扱いだ。ジジイどももババアどももみんなそろって、ふみこちゃん、ふみこちゃんとちやほやする。お前が勝手についてきて山で帰れなくなった時だって、怒られたのは僕だ。量吉は出来が悪くて父親知らずの僕なんかよりよほど、『神社のふみこちゃん』のほうをかわいがって、家でもいつもお前の話ばかりだった」
「そんな」
わたしは息をのんだ。
「神社の神域がなんだ。ただの山じゃないか。なのに、そこに入ったというだけで、偏屈な量吉は、僕と母を家から追い出したんだ。母は金山家を頼るしかなかった。その結果、僕も母も、名前まで変えさせられて、金山の強欲ジジイに田舎の卑しい生まれだとひたすら見下されながら、競争して自分を証明し続けることを課されてきたんだ」
うかされたように、金山さんは語った。ずっとせき止めてきた何かが堤防を破ってあふれだすように、激しい言葉が流れ出た。
「あのジジイは、この田舎を精神的にも捨てさせて関係を切るためだけに、母の呼び名をジュンコからヨリコに変えさせた。僕の名前は、生まれたときから呼ばれていた『れお』ではなく、父がつけた『りょうき』に戻すように強要された。この神社さえなければ、量吉が迷信に凝り固まってさえいなければ、僕は金山に行くことなく、森崎令生として、ごく普通の人生を送れた。あるいは、父があんなところで死なず、約束通り離婚して、母と再婚していたら、僕は最初から金山として人生をスタートできたはずなんだ。育ちが悪いとさげすまれることもなく」
彼はあえぐように息を継いだ。そんな自分に苛立ったように一瞬奥歯を噛み締めて顔を歪め、言葉をつないだ。
「お前らが生まれたときから与えられているものを当たり前のように傲慢に振りかざして、僕が手に入れるはずだったものを横取りするのは許さない。あのチョウは僕のものだ。父が僕に唯一残したものだ」
「わたしのほうをかわいがってたなんて、嘘だよ。量吉おじいちゃんは、れおくんのこと、とってもかわいがってた。面と向かって言わなかっただけだよ。わたしが山から帰れなくなった時、嫌がるれおくんに無理やりついていったわたしが悪かったってことは、大人はみんな知ってた。わたしはお父さんに散々叱られた」
「量吉はそうは思っていなかったさ」
「量吉おじいちゃんが、ふみこちゃんを怖い目に遭わせて申し訳なかったけれど、子どものしたことだからどうか許してくれ、と頭を下げに来たのは、おじいちゃんが、れおくんのことがかわいかったからだよ。うちの両親もそんなことわかってたし、郁子の迷子は郁子本人が悪いんだから、量吉さんは謝らないでくれって何度も言ったもの。それでも量吉さんは、どうか、れおのことを許してやってくれってずっと頭を下げてた。れおくんのことを目に入れても痛くないほどかわいいと思ってなきゃ、そんなことしないよ」
「うるさい。そんなもの、後からなら何とでも言える」
「金山。森崎量吉さんが、君をここにいさせたくなかった理由は、おそらく君を生かしたかったからだ。死なせたくなかったんだ。彼自身には理由はわからなかったが、目撃したんだ――」
「黙れ! お前に何を言われても、僕は信用しない。お前さえいなければ、中学高校大学、僕の十年間はもっと過ごしやすかったはずだ。お前に成績で負けるたび、どれだけあのジジイに罵られてきたことか。お前らさえいなければよかったんだ」
金山さんはわたしたちを指さすと、憎々しげな言葉を吐きちらした。
「君の身に降りかかったよくないことを全部誰かのせいにするのはやめろ。ふみちゃんが、集落のおじいさんおばあさんみんなにかわいがられたのは、ふみちゃんが、神社の娘に生まれた責任を果たして、神社と集落にきちんと貢献してきたからだ。量吉さんだって、この集落に生まれ育った責任と、君とお母さんへの肉親の情の両方を果たそうとして苦しんだんじゃないのか。君が誰に何をしてもらったか、もらわなかったか、じゃなく、誰に何をしてあげられるか考えてくれ。ふみちゃんと神社を苦しめるのはやめてくれないか」
「わかったふうな口をきくな。僕はあきらめない。あのチョウを見つけたのは父だ。父の名をチョウと一緒に発表すれば、金山のジジイだって、やっと納得するだろう。永遠に科学史に残るんだから。そうしたら、もう、母を追い出すなんて言わないはずだ。あの人にとってやっと、安心して暮らせる家になるんだ。何をしてでも、あのチョウはもらう」
「やめろ、金山。落ち着くんだ。調査は来年以降だっていいじゃないか。強引に進めさえしなければ道はあるはずだ。神社に配慮した形で進めるのであれば、令正さんに敬意を払う形で結果を発表するのだってオレはかまわない。きちんと準備せずに今年無茶をすれば、量吉さんが守った君の命がかかっているかもしれないんだぞ」
「何を言っているのかわからない。お前まで、祟りなんて迷信を信じているのか。そんなに、この集落とこの娘にたぶらかされたのか。僕を脅しても無駄だ。今年じゃなきゃダメなんだ」
金山さんは、玄関に駆け戻ると、靴を履いて外に出た。乗ってきた車に駆け寄る。
「お前らの思う通りになどさせるものか。他の何がダメでも、あのチョウさえ押さえれば、僕の人生はまだ逆転できる。金山の名前が表に出るように今年発表すれば、まだ間に合う。最後に笑うのはお前らじゃない、僕だ」
その金山さんにすっと近寄ったのが、島木さんだった。
「今日、私の予定を話したら、飯田さんがこれをあなたにと」
折りたたんだ紙を渡す。虚をつかれて、金山さんはその紙を受け取った。中を見た瞬間、彼の顔色は紙のように白くなり、眉間にしわが寄った。だが、彼はその紙を乱暴にポケットにねじ込むと、何も言わず、車に乗り込んで、乱暴にエンジンをスタートさせた。島木さんが彼の車から飛びすさって離れるのと、その車が強引にバックするのがほぼ同時だった。あっという間に、金山さんの車は見えなくなった。














