異世界からの死者 2
「とりあえず、ここまで来れば、大丈夫、だな」
肩で息をしながら、『あじさい公園』と書かれたプレートのある小さな公園の入り口で立ち止まった。
あれからがむしゃらに走り、人のいない方へいない方へと走り続けたヒロ。途中、数人の主婦やサラリーマン、それから学生にも好奇の視線を浴びたが、そんなことは気にしていられなかった。
そうしてたどり着いたのが、住宅街の隅に佇む、ぐるりを木に囲まれた公園。狭い敷地内には、ブランコとジャングルジム、そして小さなトイレがぽつんと建っている。
朝の清々しさに似合わず薄暗い雰囲気の公園には、子どもはおろか猫や鳩といった定番の動物もいない。ただただ、風に揺らされこすれ合う葉音だけが静寂な空間に響き渡っている。
「説明、しなさい、よ!」
片手を膝につき、息を切らしながらとぎれとぎれに言葉を紡ぐ。
握ったままの線の細い手はじっとりと汗ばんでいて――――
「わっ!」
なんてことをしてしまったんだろう・・・・・・と、自分でも意外なほど大胆な行動をとってしまったことに少し後悔していると、
「なんで動けてるの!?なんで生きてるの!?なんで!?ねえ!」
すっかり息を整えた涼葉は、今にも泣き出しそうな顔のまま矢継ぎ早にまくし立ててきた。
「なんで・・・・・・って言われても――――」
「あんなの・・・・・・生きてるわけないでしょ!顔もつぶれて、おなかだってへこんでたし、腕とか変だったし――――」
「俺そんな凄惨なことになってたのか!?」
「そうよ!自転車に引かれたカエルみたいだった・・・・・・」
「カエルって・・・・・・」
臓物が外に飛び出て、ぐぇと最後の言葉を発する俯瞰図が、一瞬にしてヒロの脳内に形成された。
生々しいその絵面は、形容しがたいほどの恐怖と気持ちの悪さでいっぱいで、気を抜けば、胃からこみあげてくる何かをぶちまけそうだ。
「でも・・・・・・」
消え入りそうなか細い声で、
「本当に良かった・・・・・・もうだめだと思ったから・・・・・・」
必死に言葉をつないだ。
きめ細かい頬は桃色に染まり、きりっとした目元には大粒の涙を湛えている。次々に溢れるその涙をブレザーの袖でごしごしと拭うさまは、小さな子どもが泣きだしたときにも似た仕草だった。透明な鼻水をたらし、小刻みに震える細い肩を見ていると思わず抱きしめたくなる。もちろんヒロにそんな勇気はないのだが。
「ごめんな。心配かけて」
どうすればいいかと悩んだ挙句困惑したヒロは、血が乾いたせいで髪同士が引っ付いている後頭部をさすりながらなるべく優しい声でそう言った。
目元を袖で覆ったままの涼葉は、ヒロの方を見ることなく、うん、うんと、うつむいたまま頷く。
「・・・・・・これじゃあもう学校は行けそうにないな」
なんとか涼葉を元気づけようと、無惨にもボロ布となり果てた学ランをつまみ、にししっと歯を見せて冗談ぽく笑ってみせる。
ようやく涙の止まった涼葉は、ブレザーのポケットからティッシュを取り出し、チーンと豪快に鼻をかんだ。それを数回繰り返し、落ち着きを取り戻した彼女は上ずった声で、
「・・・・・・しょうがないから今は私の体操服でも着ておきなさい。ついでにタオルも貸してあげるから、そこのトイレで髪とか身体とか、汚れたとこ拭いてきて」
カバンから藍色の体操服とフワフワした黄色のタオルを取り出し、ヒロに差し出した。
「お、おう。悪いな」
こんな優しい面もあるのだと、外見や言動とのギャップにちょっとドキドキしながらも手を伸ばす。
だが、涼葉は差し出したものを引っ込めて、
「そういう時はありがとうでいいのよ」
眉をしかめ、試すような瞳でヒロを見つめる。
その大きな瞳にじっとのぞかれていると、今の自分の心の中まで見透かされそうで、
「あ、ありがとう」
少しひきつった笑顔で言った。
すると涼葉は満足げな笑みを浮かべ、
「うん」
と一言。
誰だこいつ、と思うほど今の涼葉に毒気は無かった。このままいたら妙な気分になってくる。その場から逃げるように、ヒロはトイレへと駆け込んだ。
誰かが掃除でもしてくれているのだろう。外部からは想像もできないが、思った以上に清潔に保たれている。仄暗い室内。手洗い場にはワンカップ酒の空瓶に、その辺に自生しているであろう名前も知らない花が生けられている。
水垢一つないピカピカの鏡。そこに映っていたのは――――
「ぎぃゃぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!!」
無惨にもズタボロの学生服とその下に見える青白い肌。
顔面は血色一色。伸びるに任せた無精な前髪が額にべたっと張り付いているさまは、お化け屋敷の住人とは比べ物にならないほど不気味で、圧倒的なまでの恐怖を演出している。さらに、張り付いた前髪の隙間からは、漆黒の瞳が呪い殺さんとばかりギロリと光る。
それは全身を赤々と染め上げた、学ラン姿の幽霊だった。
「だ、大丈夫!?」
静寂を打ち消す大音量の悲鳴を聞きつけ、息を切らしながら男子用トイレに駆け寄ってきた涼葉。
ヒロはというと・・・・・・腰が抜けたのだろう。ここがトイレだということも忘れ、情けなくしりもちをついている。
「でででででで、出た!ゆ、幽霊!助けて!呪い殺される!」
「幽霊・・・・・・ね・・・・・・」
ヒロの心境とは裏腹に、涼葉は妙に落ち着き払っている。
「なんでそんなに落ち着いてられるんだよ!幽霊だぞ!幽霊!と、とにかくここはやばいんだって!俺はいいからはやく逃げろ!」
「・・・・・・一応聞いておくけど、それってどんな幽霊だったの?」
「顔中血だらけで、切り刻まれたみたいにズタズタの学ラン着た奴だ!肌も病的に白くて――――」
涼葉は深くため息をつき、
「それ、あんたよ」
「な・・・・・・」
「いいからほら、もう一回ちゃんと見てみなさいよ。その幽霊を」
手を差し伸べ、鏡の前にヒロを立たせた後、背中をグイっと押して近づける。
「ま、まじかよ・・・・・・」
そこに映っていたのは、先ほど見た学ラン姿の幽霊だった。
後ろには涼葉の姿もある。口をあんぐり開けただらしない自分の顔。特徴的なパーツはないごくごく平凡な顔。学園ラブコメでいうと、前の方の席に座っている物静かな平凡男子のそれだ。
ただ一点、異なる点を挙げるとすれば、そいつは血まみれだった。
「生きてんだよな・・・・・・」
顔をペタペタと触り、鏡の中のそれが自分であることを再確認する。
どうやら涼葉の言っていたことは嘘ではなかったようだ。彼女はトラックを指さし、『はねられた』と言っていたが、想像以上に大きな事故だったのだろう。
こうして改めてまじまじと見ていると、自分でもどうしてこれが生命活動を続けていられるのか分からない。無論、死んだという実感が無いので、生き返ったという感覚もないのだが。
「ほんと、なんで生きてるのかしら・・・・・・いいから早く顔洗いなさいよ!服も着替えて!全く、心配かけないでよね!」
ポニーテールを翻し、颯爽と男子トイレから出ていった。
一人取り残されたヒロ。
心配してくれたことがうれしかったのか、鏡に映る彼の顔はだらしなくにやけていた。
そのにやけ顔を戒めるべく、手洗い場の蛇口を目一杯開き、バシャバシャと血まみれの頭と顔を乱暴に洗う。
透明な水が濁った薄い赤色に染まって排水溝へと流れていく。冷たい水が気持ちよく、混沌としていた頭の中まで洗い流されていくような気分だ。
「ふぅ・・・・・・」
タオルで水気をふき取ろうとした時、甘い香りが鼻孔に流れ込んできた。柔軟剤の優しい香り。このままずっと鼻先を押し付けていたいと思うほど、優しい香りだった。
「・・・・・・これが女子高生の香りなのか!?犯罪的すぎるだろ!」
花に群がる羽虫のように誘惑されながらもなんとか現実へと生還。顔もすっかりと綺麗になったところで、制服を脱ぎパンツ一枚の格好に。
「ここも血まみれか・・・・・・」
パンツにもしっかりと血液が染み込んでいた。トランクスの腿辺りは特にひどいありさまだ。流石に替えは無いし、涼葉に頼むこともできない。仕方が無いのでこのまま体操服を着るしかない。
タオルを流しっぱなしの流水にくぐらせ、たっぷりと水分を含ませた後硬く絞り、体中にまとわりついた血をぬぐっていく。
「・・・・・・」
それにしても、見れば見るほどおかしな身体だ。血はついているというのに傷が無い。制服の上からでも分かる事故の凄惨さは計り知れないものがあったが、それが傷一つないとはどういうことだろう。
冷静になった頭で何度も考えるが、これといった答えは出てこない。これ以上考えても仕方ないので、とりあえず体操服に着替えることに。
「これが月島の・・・・・・」
長袖のジャージは上下藍色で、胸のあたりに校章が縫い付けてある。生地は割としっかりしており、増谷高校とは比べ物にならないほどお金がかけられているようだ。ジャージの間に挟まれていた半そでの体操服は見るからにサイズが合いそうにないが、生肌のまま長袖のジャージを着るわけにもいくまい。
「やっぱ小さいな・・・・・・」
身長差や体格差のせいで7分丈みたいになっているが、この際文句など言っていられない。ぴちぴちだが伸縮性のある素材なので、見た目の割には動きやすい。
そして、なんといっても、
「ああ・・・・・・」
タオルと同じ香り。甘く、優しい、いつまでも嗅いでいたい香り。全身が涼葉に包み込まれているような感覚。これがあの華奢な体を包んでいるのだと考えると、邪な想像をしてしまう。
体操服の胸のあたりに鼻先が吸い寄せられてく。
もう少しで触れ――――
「ってあほか!何やってんだ俺は!善意で貸してくれた体操服に欲情するなんて・・・・・・」
「まだ~~~~?」
それがバレたのかどうかは分からないが、トイレの外から涼葉が急かす。
待ちくたびれた子どものような、だるい感じ全開の口調。
ヒロは動揺を隠すべく、
「待たせたな」
片手をあげて、はにかみながら登場した。
「ずいぶん遅かったけれど、何してたのかしら・・・・・・まさか!あたしの体操服でいやらしいことしてたんじゃないでしょうね!?絶対そうだ!このド級変態!」
「そんなことしてねぇよ!・・・・・・ちょっときつかったから着るのに手間取っただけだ!」
もし本当のことを言ったら「きもっ!!人の善意を何だと思ってるの!?とりあえず半径5メートル以内に近づかないで!」とか言われそうだ。
実際着るのに手間取ったのは嘘ではないし。ほんとのことだし。
眉間にしわを寄せ、ぴちぴち体操服の男子高校生を品評している。目を見つめられると思わず逸らしたくなるが、そうすれば怪しまれること間違いない。今なら蛇に睨まれたカエルの気持ちが分かるかもしれない。
先に均衡を崩したのは涼葉だった。
「ほんとかしら・・・・・・」
肩をすくめて冷たい視線を送る。それから腕時計に目をやり、
「遅刻・・・・・・ね。どうせこの時間ならスクールバスのダイヤは無いし、今日は普通のバスに乗って行きましょう。この辺はあまり来ないから道が分からないけれど、バス停くらいすぐ見つかるわ」
大きなため息とともに、辺りを見渡す。
ヒロも同じように辺りを見渡していると、公園のほど近くに一軒の喫茶店を発見した。
ずいぶんと味のある店で、年季の入った看板には何となく懐かしさを覚えた。
「あのさ、どうせ遅刻ならあそこ寄ってかないか?なんか喉乾いちゃって」
「・・・・・・そうね。あたしも何か飲みたい気分だし、別にいいわよ。あんたにも聞きたいことが山ほどあるしね」
※※※
「じゃあ、アイスミルクティーと――――」
ちらっと、涼葉の方に目をやると、
「デラックスいちごパフェ下さい」
にへへ、と不気味に笑いながら1200円もする豪華なパフェを注文した。
まだ開店間もないせいか、狭い店内にはヒロと涼葉以外に客はいない。外観の通り、レトロな雰囲気の喫茶店だ。その割には清潔感に溢れており、一見を寄せ付けないような感じはしない。
店奥のテーブル席に向かい合って座った二人。ヒロは落ち着きなく、コップの水をゴクリ。
対して涼葉は、温かいおしぼりで丁寧に手を拭いている。
白髪の店主が一人で切り盛りしているらしく、他に従業員は見当たらない。そのせいで余計に静かに感じてしまう。空調のゴォォォォという機械音がやけに大きく聞こえるほどに。
――――数分後、注文の品が到着。
「おお・・・・・・」
ヒロの心の底から飛び出した驚嘆の声。これがあの小さな身体のどこに入るというのだろう。
透明なグラスに入ったアイスミルクティー。それが小さく見えるほど、やたらと大きな器に盛られたデラックスいちごパフェ。ババロアとバニラアイスクリームの層の上に大量のいちごアイスクリーム。さらにその上にいちごのショートケーキ。さらにその周りにはたっぷりの生クリームと、半分にカットされたいちごが花びらのように盛り付けてある。デラックスとはよく言ったものだ。
涼葉は目をギラギラと光らせながら、猛禽類よろしくスプーンをパフェの上でくるくると回し、どこから食べようかと悩んでいる。
ここだっ!と言わんばかりに素早い動作で周りの生クリームをこそぎ取ると、
「~~~~~~っ!」
眉をだらしなく下げ、目もとろんとさせ、にへへと気持ち悪く笑っている。それはもう歓喜に満ち溢れた表情で、もぐもぐと味わっている。こうしていれば本当に可愛らしい女の子だ。
しばらくそうして味わい、パフェの三分の一ほどを食べた辺りで、
「で、あれはなんなの?なんで生きてんの?どういうことかちゃんと説明して」
キリっとした目つきに変わり、問い詰めるように言った。口に付いた生クリームが無ければ、だいぶシリアスな雰囲気になっていただろう。
「あれとか言われても、自分でも覚えてないんだって!・・・・・・月島がトラックにひかれそうだったから、必死で手をつかんで、歩道に引き寄せて―――」
言いかけて黙り込むヒロ。目を閉じて何かを必死に思い出そうとしているらしい。
――――しばらくして、カッと目を見開き、
「そうだ!誰かに突き飛ばされたんだよ!あの瞬間に!それからトラックが目の前まできて――――」
「突き飛ばされたって・・・・・・あたしが聞きたいのはそこからよ!あの状態からどうやって――――」
涼葉はクリームの付いた柄の長いスプーンを持ったまま、ガバっとテーブルに身を乗り出す。
ビビりなヒロは、こうしたちょっとした衝撃に弱い。脊髄反射的に体をびくつかせながらも何かを思い出したようで、
「小学生・・・・・・」
「はぁ!?こんな時に自分の性癖を暴露するなんて・・・・・・きもっ!最低!」
ヒロの空気を読まない発言に、掬いあげたアイスの部分をテーブルの上に落としてしまった涼葉。
「あぁーもう最悪!ほんときもい!」と、儚くも散ってしまったアイスの残骸を眺めている。
「ち、ちげぇよ!なんか、夢・・・・・・みたいなの見たんだ。そんな記憶全然ないのに、なんでか懐かしくて、あったかくて・・・・・・」
「夢ってどんな?」
「年は小学生くらいだったかな。子ども用プールが干してある外壁が白い家があったんだ。そこのリビングにあった丸いテーブルを囲んで小学生が5人座ってた。その内の二人が男の子だったな。一人は短髪のスポーツ系。もう一人はアホそうな丸坊主。山行こうぜとか海行こうぜとか話してた」
「ふーん・・・・・・」
ヒロに聞こえるか聞こえないか分からない小さな声で呟いた後、スプーンを口に入れたまま硬直してしまった。
だがヒロはそんな涼葉に構うことなく続ける。
「女の子は・・・・・・ショートカットの元気そうな子と、ぽっちゃりした子と、ポニテのまじめな子だった。あーだこーだ言いながら結局みんなで海に行くことになってたな」
「それって・・・・・・」
途端に涼葉の表情が曇り始めた。いちごを掬い、食べるわけでもなく眺めている。
「みんなが家から出ていったあと、どっかから誰かの声が聞こえて、ゆっくり目を開けたら・・・・・・くしゃくしゃの顔した月島がいた」
「くしゃ――――忘れなさい!・・・・・・あんたのせいで昔のこと思い出しただけ!さっき会ったばかりの人間に感情移入できるわけないでしょ!あんたが事故に遭ったから泣いたわけじゃないの!分かった!?」
急速に紅潮していく白い肌。と同時に限界まで吊り上がるまなじり。
いちごを口に放り込んだ後、スプーンの先をヒロに向けてながらすごい勢いでマシンガンを乱射。
ヒロはその迫力に耐えきれず、
「は、はい!」
そう答えるしかなかった。
すべての弾丸を放ち切った涼葉は、パフェの容器を虚ろな目でじっと見つめ、くるくるとスプーンを回している。
それからまた一つため息をつき、
「ていうかそれ説明になってないし!あたしが聞きたいのは、どうやったらぐちゃぐちゃの身体が元通りになるのかってことよ!」
「そんなの俺が知りてぇよ!」
無意識のうちに身体がトラックに蹂躙され即死レベルの重傷を負い、無意識のうちにそれが完全回復したらしい。自分の身体のはずが、そうではないと感じてしまうほど、ヒロにとって今回の出来事は不可解な点が多い。
涼葉は何かを思い出したらしく、
「・・・・・・まさか、異世界から来たっていうのは本当だったの!?」
そう言いながらもパフェを一口。
「え?」
「死した肉体をも修復する不死身の力。それがあんたに宿った能力だというの!?」
また一口。
「はい?」
「で、この世界を救いに来たって?そんなの二次元の、空想の出来事だとばかり・・・・・・でもおかしいわね。おあいにく様だけど、ここは平和そのものよ。魔王どころか魔物もいない。倒すべき相手がいないんじゃ、あんたが来た意味もないわね。どういうことなのかしら・・・・・・」
完全に自分の世界に入っているようだ。それもパフェを食べながらとは。器用なことができるもんだ、と感心してはいられない。このままでは異世界からやってきた勇者的な何かという設定で生きていかなければならないかもしれない。
早くこの中二病患者を治療してやらなければ。もしこれが拡散でもしようものなら、明るい道を歩いてはいられない。
「待て待て!いったん帰ってこい!おーい!聞こえてるか?って聞けよ!」
どこを見ているのか分からないその眼先に、手のひらをひらひらと振ってみるが、効果は無いらしい。ポーっとしていて、今ならおっぱいでも揉めそうだ。制服の上からでは正確には分からないが、手のひらに収まる、ちょうどいいサイズのおっぱいだ。
だが小心者のヒロにそんな度胸は無い。なので、仕方なくパフェを取り上げる作戦に変更。
「俺が食っちまうぞ。いいのか?」
ヒロがパフェに手を伸ばそうすると、
「・・・・・・いいわけないでしょ!」
途端に目の色が変わった。自分の獲物を横取りされないように守る肉食獣の目だ。
「お帰り。中二病さん」
「は、はぁ!?中二病とか意味わかんないんですけど!心も体も健全な高校一年生なんですけど!」
食べかけのパフェも忘れ、両手でテーブルを叩く。必死の抗議だ。
ああ、もう。どんどんイメージが崩れていくなこいつは。ただの美少女→おっかない美少女→中二病の美少女。まあ美少女ってところは変わらないか。中身は相当残念だけど。
「あんたが異世界人だなんて産毛ほども信じてなかったけれど、あんなもの見ちゃったらそうも言ってられないわね」
「産毛って・・・・・・」
「その癖に何も知らないなんて・・・・・・おかしな話ね。本当に何も聞かされないままここに来たの?」
「だから、最初からそう言ってるだろ?ほんとに何も知らないんだって!」
容器の底に溜まった溶けかけのアイスを掬い取り、
「つまんないの」
ぱくり。ふくれっ面でパフェの最後の一口を味わっている。
しばらく沈黙が続き、涼葉は空になったパフェを名残惜しそうに見つめている。
ヒロはまだ半分以上残っているアイスミルクティーの氷をストローでつつきながら、
「俺からも一ついいか?」
静かに、まっすぐに涼葉の目を見つめる。
「なによ」
「あいつらの反応、あれは異常だった。何か知ってるなら教えてほしい」
瞬間、涼葉の眉がピクッと動く。
最初に同じようなことを聞こうとした時、『知らない』と彼女は言った。それもはっきりと。けれど、涼葉の反応は知らない者のそれではない。明らかに動揺し、そして悲しい顔をしていたのだ。あれからずっとヒロの喉の奥に張り付いていた小さな疑問。今聞いておかなければ、きっと後悔してしまう。
「別に言いたくないならこれ以上聞かない。でも気になってさ」
涼葉は水滴のついたコップを手に取り、水を一口飲んだ。
「そうね。私ばっかり聞いても不公平だし。さっきははぐらかしたけど、よく考えたら隠すほどのことでもないしね。あの時はどうかしてたみたい」
ふぅ、と一呼吸おいてから、
「あたしは呪われてるの」
「え・・・・・・」
あまりに唐突な非現実的発言に、反射的に驚きの声が出てしまった。
しかし、涼葉はいたって真剣な眼差しを向けたまま、
「呪われてるっていうか憑かれてるていうか・・・・・・」
「もっと具体的に教えてくれないか?その、呪われてるって言われても、全然そんなふうには見えないんだけど」
涼葉は半ば躊躇いながら、
「・・・・・・入学式の次の日。一つ上の先輩から告白されたの」
「自慢かよ!まさか、モテすぎる呪いとか言わねぇよな?」
「これだから童貞は・・・・・・人の話は最後まで聞きなさい。告白はもちろん断った。顔はまあまあかっこよかったけれど、あたしの好みじゃななかったの。これはあとから聞いた話なんだけど、サッカー部のエースだったそうよ」
「ど、童貞、じゃ、ねぇし!やっぱただの自慢じゃねぇか!」
顔をおもしろく歪め、動揺するヒロ。
もちろん、童貞ではないというのは真っ赤な嘘である。だが知識だけはそこらの学生の何倍も有しているという自負があった。何時間もかけ口説いた女性キャラクターをベッドに押し倒し、甘い言葉をささやきながら一つになる。そんな経験を幾度となく繰り返してきた。手順も所作も完璧なのだ。彼の脳内では。
ヒロの必死の否定も耳に届いているのかいないのか。全く興味がなさそうに涼葉は続ける。
「その翌日。帰宅途中、歩道橋を降りているときに後ろから誰かに突き飛ばされて右足を骨折。幸い選手生命を脅かすような怪我じゃなかったみたいで、今は普通に部活してるらしいわ」
「そんなの、別に月島のせいじゃないだろ。たまたま誰かから恨みを買って、それで――――なんてこともあるだろうし」
「ええ。もちろん最初は誰もがそう考えていたわ。彼を狙っている女子生徒は大勢いたし、5人もの生徒と浮気してることが発覚したから、そうなってもおかしくないわ」
モテる上に浮気だと!?しかも5人て・・・・・・そんなもん天罰だ。
自分とは相反する世界の住人であるその先輩に嫌悪感を抱いたのも束の間。
涼葉は一度息を整え、
「その先輩からの告白から2日後。今度は2つ上の柔道部主将に告白されたの。もちろんこれも断った。同じように帰宅途中、すれ違った犯人に催涙スプレーを噴射されて、悶えているところをスタンガンで一撃。さらにそこから指先を鈍器か何かで殴り付けられて、指の骨を粉砕骨折したらしいわ。当然、しばらく柔道はできなかったみたいね」
入学早々モテすぎだろ!人生イージーモードかよ!と思わなくも無いが、今は伏せておこう。
それにしてもやり方が執拗だ。そこまでする必要があったのだろうか。
「その先輩もなにか恨まれるようなことを?」
「いいえ。むしろ逆ね。人当たりが良くって、誰からも好かれるような人だったらしいわ」
そんな先輩がどうして襲われる羽目になったのだろう。それに、柔道部の主将をわざわざ襲おうとする奴なんているのか?
ヒロの顔が疑問でいっぱいになってもなお、涼葉は続ける。
「さらにその告白から4日後。今度は同じクラスの男子生徒。告白はされなかったけれど、それなりに仲良くしていたの。よく購買でプリンを買ってきてくれたり、自販機でジュースを奢ってくれたり、掃除当番を代わってくれたり・・・・・・とにかく色々してくれたわ」
「それってパシリじゃ・・・・・・」
その男子生徒が気の毒でならない。完全に脈が無い相手に献身的に尽くす様をまじまじとイメージしてしまった。なんて残酷なんだ。そしておそらく彼は気づいていないだろう。この女が偽りの仮面をかぶっていることに。
「彼と一緒に帰る約束をした日があってね。そのくせに忘れ物をしたとか言って教室に戻ったの。まあ、アイスを奢ってくれるっていうから一応彼を待っていたわ。でもなかなか帰ってこないから様子を見に行ってみたら――――」
アイスって・・・・・・もう完全にATMとしか見られてないよ男子生徒君。なんてかわいそうなんだ。友達になってあげよう。
「教室前の廊下で倒れていたの。うつ伏せで。顔には打撲痕があったわ。あんたほどじゃないけれど、鼻から血が出ていたし、頬も紫色になっていたの。痛々しいくらいにね」
涼葉は物憂げな視線でグラスに入った氷を指でくるくる回しながら、
「とまあこんな感じであと3人くらい。親しさの度合いはまちまちだったけれど、同じように告白されたり、ちょっと関わりを持った相手はみんな例外なく怪我を負わされているの。それからかな。妙な噂が流れ始めてね。あいつに関わったら殺される、とか。目が合ったら不幸になる、とか。それが呪いみたいに言われ始めて、今に至るってわけ。それからは誰もあたしに近づいて来なくなった。男子も女子も。先生だって・・・・・・」
誰からも無視される。嫌な視線を向けられる。それも勝手な憶測と偏見、それからありもしない噂のせいで。味方は一人もいない。頼りたかったはずの大人だってそうだった。そんな経験をしたことのあるヒロにとって、涼葉の心境は痛いほどわかる。
「・・・・・・俺も――――」
――――カラン。
ヒロが何かを言いかけた時、来客を知らせる軽やかな鈴の音色が店内に響いた。
慰めようとしたのか。それとも、同じ境遇の者同士傷をなめ合いたかったのか。それはヒロ自身にも分からなかった。だが間が悪いことに、彼の紡ごうとした言葉は鈴の音にかき消されてしまった。
「今日はつくづく鈴に縁がある日だな・・・・・・」
ぼそっと、誰にも聞こえないように独り言ちる。
涼葉はコップの水をすべて飲み干し、
「さて、そろそろ行きましょう。今から行けば3限目には間に合うわ」
伝票を取りレジへと向かおうとする。男らしいその行動に不覚にもときめいてしまった。
いやいや!俺ヒロインじゃないから!むしろ攻略する側だから!
ヒロは慌てて残りのミルクティーを飲み干し、
「ここは俺が払うよ。誘ったのは俺だし」
伝票を奪い取る。どのゲームだったかは忘れたが、こんなワンシーンがあったはずだ。
涼葉がどんな反応をするか期待していたのだが、
「そう。ならお願い」
冷たくあしらわれてしまった。現実はゲームほどうまくいかない。なんだよこいつ。ちょっとくらいデレてもいいだろ。「ありがとう。ポッ」とか「優しいんだね。ちょっとかっこいいかも。ポッ」とか。
全く、これだから三次元は・・・・・・と嘆きながらも、ズボンのポケットから二つ折りの財布を取り出す。
「あ・・・・・・」
しかし、ヒロの財布の中身は寂しく、十円玉が二枚と、一円玉が三枚。
つい最近、新しいギャルゲー買ったことを今になって思い出す。
なんて馬鹿なことをしたんだ。あんなクソゲーなんかに金を使うなんて・・・・・・こんな情けない姿見せられない。口が裂けても金が無いなんて言えない。だってかっこつけちゃったし。でもこのままだと店から出ることもできない。
額から脂汗が滲み出し、事故直後とは反対に真っ青になっていく顔色。そんなプライドと現実の間に板挟み状態にあるヒロに気付いたのか、
「どうしたの?」
涼葉が心配そうに顔色をのぞき込む。
ああ、こんな自分を心配してくれるなんて。また悲しい顔をさせてしまった・・・・・・もうくだらないプライドは捨てよう。
「お金がありません」
意を決し、うつむいたまま吐き出した。
しばしの間、沈黙が流れる。恥ずかしさのあまり涼葉の方を向くことができなかった。
――――突如、空気の流れが変わった。異変に気付いたヒロは、恐る恐る涼葉の様子をうかがう。
涼葉はぐぐぐ、と両拳を力いっぱい握り締め、
「嘘でしょ!?よくそれで誘ったわね!あんたなんかに頼まれたアイスミルクティーが気の毒で仕方ないわ。ていうかないならもっと早く言いなさいよ!かっこつけたくせに!ダサいのよ!」
日本刀のように鋭い、切れ味抜群の攻撃浴びせる。そこに容赦なんてものは無かった。
プライドを細切れにされた上に、入ってきた客と、傍観していた店主にも憐憫の眼差しを受け、もう彼のHPはほぼゼロに近かった。
「返す言葉もありません。お金はちゃんと返します。本当にすいませんでした」
蚊の鳴くような声で、どこを見るともなく視線をさまよわせ、完全に意気消沈のヒロ。
まだぶつぶつと文句を言う涼葉にお金を払ってもらい、二人は店を後にした。