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おっさんが美少女で、美少女がおっさんで

 最後に覚えているのは、乾いたベルの音。

 一般的な成人男性二人分ほどの横幅しかない狭い路地裏を、猛スピードで駆けてきた一台の自転車。

 ――――こんなとこ、チャリに乗りながら来るんじゃねぇよ。

 少年は自転車の運転手を睨みながらも反対側に避けようとした。そして運悪く、向かいからやってきたスーツ姿の中年男性と衝突しそうになり――――


「・・・・・・」


 次に目を開けた時、眩しいくらいの光と共に視界に入ってきたのは、想像の斜め上どころか一周回って真上の光景だった。


「えっ・・・・・・」


 驚きのあまり間抜けな声がこぼれだす。

 もしかしたらまだ寝ぼけているのかもしれない。そう思い少年は目をこする。ついでに頬も叩いてみた。

 ていやいやベタすぎるわ!と心の中で自分にツッコミを入れ、今の状況を再確認する。


 えーっと、確か・・・・・・チャリを避けて、その後おっさんとぶつかって・・・・・・で今目の前にいるのが――――


「女子高生!?」


 あそこを通れば見えてくる、いつもの道、いつもの景色、いつもの光景・・・・・・のはずが・・・・・・

 いやいや。待て待て。意味が解らない。何度も何度もあれやこれやと考える。考える。考える。

 ――――逡巡を終え、少年はようやく状況を飲み込んだ。それも無理やりに。

 どうやら、これは妄想でも幻想でも夢でもないらしい。

 

「いたたた・・・・・・」


 裏通りを抜けた住宅街の細い路上。尻もちをついている少女は、その白く細い腕で尻をさすりつつ、目を眇めながら第一声を発した。

 

 白のシュシュで髪を束ねたポニーテールが印象的で、吊り上がった目のせいだろうか、怒っているようにも見える。

 だが、それも気にならないくらいに、控えめに言ってもかなり整った顔立ちをしている。

 あまり現実の女性に興味を示さない少年がそう感じるほど、彼女は美しい。

 その目にはうっすらと涙がにじんでおり、燦燦と輝く太陽に反射してキラキラ輝いている。


「綺麗だ・・・・・・」


 思わず少年は呟いてしまった。急に恥ずかしくなって目を逸らす。

 って今はそんな場合じゃない!


「なんでおっさんがJKに・・・・・・」


 ――――おかしい。さっきぶつかったのは確かにおっさんだった。


 くたびれたスーツ。一番上のボタンを当然のように開けたカッターシャツ。だらしなく結ばれたネクタイ。ベルトの上に腹の肉をよいしょっと乗せた、頭髪が寂しめな、40代半ばくらいに見えたおっさん。

 コンビニ袋を肘からぶら下げ、スポーツ新聞を読みながら、彼――――成瀬(なるせ)ヒロが遅刻しそうになるといつも使っている狭い路地裏を、向こう側から歩いてきていた――――はずだった。


 が、そんなことはどうでもいいと思えるほど。

 今ヒロの目に映っているそれは、彼の15年という人生の中で、三本の指に入るほどの衝撃だった。


「パパパパパパパパ・・・・・・パンツ!?」


 転んだ時にめくれてしまったのであろう、少し長めのスカートから、可愛らしい笑顔のくまさんがプリントされた真っ白なパンツがその姿を覗かせている。

 それは、今時のJKが履くようなちょっと大人びた紫やピンクなどの、いわゆるパンティーと呼ばれる代物ではない。

 むしろランドセルの似合う小学生あたりが履いていそうな、お子様パンツと呼ぶにふさわしい。

 成長した女子高生の、むっちりとした肉付きのいい純白のふとももとは明らかに不釣り合いだ。


「ちょっ、どこ見てんのよ!」


 ヒロの視線が自分の下半身に集中していることをようやく理解した彼女は、丸見えになっていたくまさんをスカートで隠し、小動物くらいなら尻尾を巻いて逃げ出しそうなほど恐ろしい眼光を向けている。

 だがヒロはそんなことに気づくはずもなく、完全に自分の世界へと入っていた。 


 ――――こんなパンツを現役の女子高生が着用してるだと!?罰ゲームでもさせられてんのか?俺は好きだけども。


「・・・・・・聞いてんの?」


 ――――いやぁ、朝からいいもん見せてもらったな。なんか大事なこと忘れてるような気もするけど、まあいいか。


「いいかげんに――――」


 ついにしびれを切らした彼女は、スカートに付着した塵芥を払おうともせずおもむろに立ち上がった。

 そのまま流れるような動作で右腕を引き、拳を握り締め、腰の回転を利用しながら、仁王立ちで考え事をしているヒロの懐めがけて――――


「しろっ!!!」


 えぐるような角度でフックをねじ込んだ。


「ぐへぇ!!!」


 ヤンキー漫画に登場する、開幕早々ぶちのめされる雑魚キャラのような悲鳴をあげるヒロ。

 衝撃のあまり身体がくの字に曲がる。

 突然腹部を襲った鈍い痛み。胃からこみあげてくる熱い何かがやたらと気持ち悪い。

 ヒロは腹を抱えながらゆっくりと地面に両の膝をつき、前方を見上げた。


「さあ、どうやって記憶を消してやろうかしら」


 腕を組みながらヒロを見下す美少女。目つきは凶悪そのものだ。

 記憶を消すなんて物騒な言葉も彼女なら実現しかねない。結局その迫力に気圧されたヒロはたどたどしくも弁解の言葉を並べた。

 

「あ、あの・・・・・・別に見るつもりは・・・・・・」


「なっ・・・・・・あれだけ見といて!いいわ。そっちがその気ならこっちにも考えがある」


 ぽきぽきと指の関節を鳴らしながら、じりじり距離を詰めてくる。

 まだ鮮明に残っている腹部への衝撃。脳内に反響するけたたましい警告音。


「す、すいませんでした!がっつり見てしまいました!というか見とれてしまいました!あ、あとありがとうございました!」


「こっ、この――――」


 拳を固く握りしめた彼女は、そのまま大きく振りかぶり、


「クソ虫がぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」


 ヒロの顔面目掛けて渾身の殴打を繰り出す。

 このまま食らえばパンツを見たことを差し引いても大きな借金が残りそうだ。

 男としてここは堂々と制裁を受けてしかるべきなのだが、目前まで迫る恐怖に抗うことはできず、

 

「ごごごごごごめんなさい!ほんとごめんなさい!」


 恥も外聞も、ちっぽけなプライドさえも投げ捨てて、渾身の土下座を繰り出すヒロ。

 土下座の教科書に載っているような、それはもう見事な土下座だった。

 ほんの僅差で彼女の拳は空を切る。あとコンマ数秒遅れていたら、間違いなくヒロの顔面と素敵な出会いをしていただろう。


「・・・・・・」


 片目を開けて、ちらっと彼女を見上げる。

 無言ではあったが、ゴゴゴゴゴゴという謎の効果音がその背後に確かに見えた。

 ヒロは思わず視線を逸らす。


「あっ」


 逸らした視線の先には、中身が豪快にぶちまけられたカバンが。

 彼女の持ち物であろうか。教科書やらノートやらペンケースやら、とにかくもろもろが、カバンの口から吐き出されていた。


 膠着していたその場から逃れるように、慣れた手つきで散乱しているものを拾い上げていく。

 古典やら、数学やらの教科書類に混じって、意外なものを発見。

 『私の幼馴染がこんなにかっこいいわけがない』というタイトルのライトなノベルだ。


 ――――ギロリ。

 肉食獣が獲物を見つけた時のような恐ろしい視線を感じ、思わず身震いをしてしまう。

 恐る恐る視線の正体を確認すると――――

 白い肌を真っ赤に染め、両手の拳をぎゅっと握り締めながら立ち尽くしている彼女がこちらを睨みつけていた。怒りと恥ずかしさが混ざり合った複雑な表情をしている。

 そこには恐ろしさの欠片もなかった。牙を抜かれた獣、もとい、隠していたおやつがご主人様にバレてしまった子犬のようであった。

 

 彼女はヒロが抱えているそれらを強引に奪い取り、


「さ、触らないで!自分でやるから!」


 大きな声でそう言った。あたふた、バタバタしながら地面に残っているものを拾い始める。

 これだけ見事に拒絶されたのだからヒロはもう黙って見ていることしかできないでいた。

 聞こえてくるのは雀の鳴き声と風の音。そして彼女の息遣い。

 しばらくの間無言が続いていたが、


「あれ?ない!どこ!?」


 突然沈黙は破られた。

 見たところ地面に散らばっていたものは回収されたらしいが、彼女はまだ何かを探しているようだ。それも髪を振り乱しながら一心不乱に。


 ――――ふわっ。

 その拍子に、甘い桃のような香りが辺りに漂う。香水ほどきつくはなく、鼻に心地いい。


 そんな香りにうっとりしながらも、我に返ったヒロの目に光が飛び込んできた。


「なんだ?」


 見ると、小さな何かが危うく側溝に落ちかけている。ゆっくりと近づき、それを慎重に拾い上げる。

 光の正体は、花束を抱えてにっこりと笑った、狸のようなキャラクターのストラップだった。光って見えたのは、申し訳程度についている小さな鈴だったようだ。

 紐が千切れていて、もうストラップとしての機能を果たしていないうえに、ところどころ塗装が剥がれ落ちていて、右耳と右足が欠けている。

 誰がどう見てもボロボロだ。捨ててあるようにしか思えない。


 まさかな・・・・・・とは思いながらも一応聞いてみることに。


「もしかしてこれ?」


 ――――チリンッ。

 手渡そうとした時、カラリと晴れた空に心地よい音色が響き渡った。

 不思議とどこか懐かしい感じがする。

  

「ふわぁ・・・・・・あったぁ・・・・・・」


 気の抜けたふにゃんとした声で、ふわぁと謎の言葉を発した彼女。

 どうやらヒロの予想は的中したらしい。

 それを受け取った彼女は、大事そうに両手で包み込み、胸のあたりにぎゅっと押し付けた。


「・・・・・・」


 それからしばらく沈黙して、


「あ、ありがと・・・・・・」


 頬を赤く染め、口をすぼめながら、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で、なおかつ上目遣いでそう言い放った。

 敵意など微塵も感じない澄んだ瞳。ピカピカに磨いたガラス玉みたいに綺麗だ。


「くっ!」


 ――――ズキュゥゥゥゥン!

 奇妙な冒険でもしたときのような効果音が脳内に鳴り響く。今まで二次元にしか興味を示さなかった少年にとって、それは初めての経験だった。

 雷に打たれたように体中に広がるびりびりとした感覚。身体の底から熱が湧き上がってくる。

 はたから見れば動揺しているのが丸わかりなほど、挙動不審になっているヒロ。


「お、お礼なんて別にいいよ」


 苦し紛れにそう言ってなんとか体裁を取り繕うが、会話が途切れると余計に恥ずかしさが込み上げてくる。

 熱い。特に顔のあたりが。話を続けていなければこの空気に耐えられそうにない。

 そう思ったヒロは、


「それってそんなに大事なの?」


 頭に浮かんだ些細な疑問をそのままぶつけてみる。

 ちょっと冷たい、でも心地いい春の風が、火照った頬を撫でるようにして過ぎ去っていった。

 

「大事・・・・・・すごく・・・・・・」


 穏やかに笑いながら、さらに力を込めてギュッと抱きしめる彼女。

 安心しきったその無防備な笑顔にくらくらする。

 

「そ、そう・・・・・・なんだ・・・・・・」


 また会話が止まってしまった。

 と思ったら、突然何かを思い出したように彼女は話しかけてきた。

 

「そういえばあたし、どうやってあんたとぶつかったんだっけ?」

 

 顎に手を当て、眉をしかめながら、わかりやすくうーんと悩んでいる。

 もう先ほどのような脅迫じみた様子は見られない。パンツの件についてこれ以上のおとがめはなし、ということで良いのだろうか。というかそう思いたい。


「え?どうやって、ってどういういこと?」


「そのままの意味よ。何がどうなってあんたとぶつかったのか、全く思い出せないのよね・・・・・・あんたは?覚えてる?」


 そう聞かれ、ヒロは直前の出来事――――おっさんとぶつかった時のことを思い出した。

 こんな大事なこと忘れるなんて、と自分にあきれること数秒。

 冷静になって考えてみれば、かなり奇怪な体験だった。


 ・・・・・・これをどうやって説明しよう。思い切って聞いてみようか。でもこれを聞いたらきっと彼女は自分のことを変なヤツだと思ってしまう。

 いや、パンツを凝視している時点で、すでに変(態)だと思われているだろう。ここは勇気を出して――――

 

「あの・・・・・・めちゃくちゃ変な話するけど、君って・・・・・・変身できたりしないよね?例えば、おっさん・・・・・・とかにさ」


 ヒロはどうしても確認しておきたかった。

 もしこの美少女があのおっさんなら、今後の対応を考えなければならなくなるからだ。

 見た目は女子高生、中身はおっさん。その名も――――と、どこぞの名探偵みたいなやつだと分かったら、流石にときめいたりしないし、したくない。


「はぁ?何言ってんの?あんたバカ!?失礼すぎ!変身なんてできるわけないでしょ!どうやらあたしも本気を出さざるを得ないようね・・・・・・」


 すごい剣幕でマシンガンのように言葉の弾丸を打ち返してくる彼女。

 吊り目なのが相まって恐ろしい表情になっている。一瞬にして怒りの沸点に達したようだ。コツ、コツとローファーの足音を鳴らしながら、般若のような顔で近づいてくる。

 

「ご、ごめんごめん!今のは俺が一方的に悪かった!でも、なんて説明したらいいか自分でも分からないんだ」


 ヒロは自分のアホな発言を振り返りひどく後悔したのか、言葉に勢いがなくなっている。

 だが、彼女がおっさんではないという言質が取れたことは大収穫であった。

 ――――よかったぁ。

 ヒロは心の中で、ひっそりと喜びをかみしめた。


「ふん!そんな小学生レベルの言い訳通じると思ってるの?いや、小学生の方があんたよりよほどマシかもね」


 彼女はプイっとそっぽを向いた。

 怒ってても可愛いってなんだよちくしょう!と、心の中のヒロは呟く。

 会話を重ねるたびに刻々と変化していく彼女の表情。ずっと見ていたい。気づけばじっと見つめてしまっていた。

 ふと、目が合った途端に、お互いの顔がだんだん朱色へと染まっていく。

 

「ま、まあいいわ!」


 せっかくつくっていた不機嫌そうな顔を崩して。照れているのだろう、わかりやすく慌てている。こういうことには慣れていないのか、初々しい反応だ。

 

「あれ?その制服――――」


 おっさん、パンツと、次々に入ってくる情報に脳の処理が追い付かなかったのか、なぜか全く疑問に感じなかった。

 今になってようやく仕事を始めた違和感。見たことの無い制服だ。


 ――――薄い紺色のブレザーをカッターシャツの上から羽織っている。首元には赤いリボン。下は灰色のチェックのスカート。膝上まですっぽりと覆った黒のソックス。

 校則を意識しているのか、全くの無改造で味気ない。


「制服がどうかしたの?ていうかよく見たらあんたの制服・・・・・・それなに?どこの?ていうかなんで気づかなかったんだろ・・・・・・」


「え?」


 ヒロは彼女が何を言っているか理解できなかった。

 どこの、と聞かれるなど思ってもいなかったからだ。

 ヒロの着用している学ランなど大して珍しいものでもないし、ましてやこの近辺の人間がその制服を知らないはずもない。


「え?じゃないわよ!どこのって聞いてんの!逢坂(おうさか)高校のじゃないでしょ?」


「おうさか・・・・・・高校?どこの高校だよそれ。これは増高(ますこう)の学ラン・・・・・・って流石に知ってるよな?」


「はぁ?何言ってんの?この辺で高校って言えば逢坂高校しかないでしょ!なに、ます高って?知らないわよそんな高校!大丈夫?頭でも打ったの?」


 彼女は眉をしかめ、ヒロを怪訝そうに見つめている。

 それに少しむっとして、ヒロも言い返す。


「そっちこそ何言ってんだよ!男子校と女子高、二つもあるじゃねえか!」


「・・・・・・あんたおかしいんじゃないの?」


 あきれながらそう言い、遠くに見える白い建物を指さした。


「いい?あそこに見えるのが逢坂高校よ。もともと女子高だったらしいけど、共学になったの。それもずいぶん前にね。この街にある高校はあれ一つだけなの」


「嘘、だろ・・・・・・」


 山の中腹辺りにそびえる建物。住宅街を抜け、長い坂道を上った末に、ようやくたどり着くであろう、白い校舎。

 いくらきょろきょろしても、ヒロが立っている場所から見える、学校らしきものはそれだけだった。


「だって――――昨日まで俺通ってたんだぞ?増高に。今日だって・・・・・・」


「またバカな事言ってる・・・・・・そんな名前の高校、知らないって言ってるでしょ」


 あの山――――ただただ緑一色だったあの山に、たった一日で校舎が建築されるなんてこと――――


「あるわけがない・・・・・・」


 弱弱しく呟き、間違い探しをするように周囲をくまなく観察する。


――――あんな家、あったか?

――――あそこの庭、もっと派手な花が咲いてたような・・・・・・


一度そう思えば、もう止まらない。目を閉じることもままならない。

ものすごいスピードで、情報という情報が視界から入ってくる。

それはジェットコースターに乗っているような感覚にも似た、気持ちの悪い映像となってヒロの脳内に侵入してくる。 


「ここ・・・・・・どこだ?」


 気づけば、自然と口が開いていた。


「どこって、ここは手毬(てまり)町よ?ってなんで知らないのよ!」


 はぁ・・・・・・と深いため息をつく彼女。


「どこだよそれ・・・・・・」


 なんなんだよこれ・・・・・・夢でも見てるのか?俺が住んでたのは紫陽(しよう)町だっての。

 知らない町の名前。知らない高校。知らない――――

 流れる風も、カラッと晴れたあの空だって。同じはずなのに、なんだか違う世界のもののように感じる。

 ヒロはだらりと腕をたらしてその場に立ち尽くし、無気力に空を見上げている。


「何言って――――」


 彼女はそう言いかけ少し考えた後、首をかしげながら口を開いた。


「あんた、もしかして転校生?」


「・・・・・・急に何言いだすんだよ」


「いや、今日転校生が来るって話を聞いてたから。話も妙にかみ合わないし、制服だって違うし・・・・・・あ!思い出した!確か転校生の名前が――――」


 彼女は一瞬立ち止まり、


「成瀬・・・・・・そうだ!成瀬ヒロだ!」


「は?」


 予想外の返答に固まるヒロ。


「成瀬ヒロ。転校生の名前よ。なにそんなアホ丸出しの顔しちゃって。とりあえず口閉じなさいよ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ!ほんとにその名前だったのか!?お前の記憶違いってことはないか!?」


 焦り丸出しの顔で彼女に迫り、彼女の華奢な肩を揺さぶるヒロ。

 急に見知らぬ男子生徒に迫られた彼女は、とっさに張り手をくらわす。

 パァン!という軽快な音と共に美しく決まったビンタ。


「さ、触らないで!気持ち悪い!いいから落ち着きなさいよ!」


 ふぅ・・・・・・と大きく呼吸し、


「お前って失礼なやつね!もしかして童貞かしら?私は月島涼葉(つきしますずは)よ!」


「だ、誰が童貞だ!そんな・・・・・・ありえないだろ・・・・・・」


 力のこもった一発を食らったせいだろうか、ヒロに少しだけ冷静さが戻った。

 まだじんじんと痛む頬を抑えながら、呆然と立ち尽くしている。


「何がありえないのよ!ていうかあたしの名前教えてあげたんだから、あんたも教えなさいよ!それが礼儀ってもんよ!」


 一瞬戸惑ったが、


「・・・・・・成瀬・・・・・・ヒロ」


 力なさげに言った。


「何よ!やっぱり転校生だったのね!そうなら最初からそう言いなさいよ!」


「・・・・・・その話、聞いたって誰に?」


「誰・・・・・・だったっけ。忘れちゃった!」


 彼女はてへっと舌を出して、あざとく笑って見せる。

 ああ、くそ。にしても可愛いなこの野郎。

 ヒロはこんな状況でも変わらない彼女の様子を見て、「はぁ・・・・・・」と大きなため息をつく。忘れちゃったじゃねぇよ!と豪快にツッコミたかったが、彼にそんな元気など無い。

 今ヒロができることと言えば、せいぜい彼女をあきれ顔で見つめることくらいだ。

 すると彼女は何かを察したらしく、気まずそうに、左腕に巻いている腕時計を一瞥して、


「と、とりあえず学校に行きましょうよ。遅刻しちゃうし!転校初日から遅刻はまずいでしょ?」

 

 その場から逃れるように言った。


「でも・・・・・・」

 

「ああもう!ぐじぐじとうっさいわね!さっきぶつかった時に記憶が飛んだんじゃないの?あんたの記憶なんてすぐ飛んじゃいそうだし!いいから黙ってついてきなさいよ!」


「誰の記憶がすぐ飛ぶだ!」


 ヒロは反射的にツッコミを入れてしまった。


「なんかほっとけないし・・・・・・」


 彼女はヒロに聞こえないように、小さくぼそぼそと口ごもった。


「え?今なんて?」


「な、なんでもない!いいから行くわよ!」


 顔を真っ赤にしながら、ヒロの制服の袖口をぐいっと引っ張ってスタスタ歩き始める。

 地面に根を張ったように動かなかったヒロの足は、おかげでなんとか前へと動き出した。


 ――――妙な既視感。


「あれ・・・・・・」


 なんだろうこの記憶。


 ――――小さな子に手を引かれ、どこかへ向かっている。

 とても楽し気に笑う子ども。けれど、口元から上は、もやがかかったようにぼやけてしまう。誰だろう。とても懐かしい感じがする。

 必死に記憶を手繰り寄せ、思い出そうとすればするほど、先へ先へと逃げていく。男の子か、女の子か。それすらも分からない。

 まるで鬼ごっこをやってる気分だ。絶対に勝てない鬼ごっこ。もちろん鬼はヒロ。

 その子は「捕まえてみなよ」と言わんばかりに、悪戯っぽくケラケラと笑っている。

 やがて見えないくらいに遠くなり、米粒くらいの大きさになった後、暗闇へと姿をくらませた。


 現実の世界へと引き戻されたヒロは、何気なく涼葉の後ろ姿を眺めている。

 もしかしたら――――ってそれは無いか。


 

 

 

 



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