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第二章 春の妖精あらわる?(3)

 クロエはがっくりと肩を落とした。妹が危機一髪だったというのに、のんきに美人を追いかけ回していたとは……! やはり、この兄を頼りにするのは泥船に乗るようなものだ。

「……やめといた方がいいわ、お兄様。どうせ適当に遊ばれて、飽きたらポイ捨てなんだから。これまでだって、いつもそうだったじゃない」

 ところがオーレリアンは断固として首を振った。

「そんなんじゃない! だいたい彼女は独身だ。色事にうつつを抜かす性悪有閑夫人じゃない。本当に楚々として初々しくて、まるで春の妖精みたいな人なんだ!」

「春の妖精……? そんな人いたかしら。ぜんぜん思い当たらないけど……」

 もっとも参加者は全員白い半仮面ルゥをつけていたから、直接会話でも交わさなければ印象が残るはずもない。

「──で、その方のお名前は?」

 オーレリアンは急にしょんぼりすると、悲しげに首を振った。

「それが、どこの誰だか聞き出す前に消えてしまってね。もしかして、あれは幻だったのだろうか……。いやいやが落として行ったんだ」

 オーレリアンが差し出したのは、高級レースに羽根と真珠があしらわれた白い扇子だった。開いて軽く扇いでみる、そんなはずはない。これを見ておくれ」

「あら、素敵な扇子」

「彼女と、ほのかに香水の残り香が漂う。オーレリアンはたちまちうっとりと我を忘れた。

「ちょっと、お兄様。しっかりしてよ」

 額のこぶを軽く扇子でたたいてやると、オーレリアンはハタと我に返った。

「僕はこれを頼りに彼女を探そうと思う。サンドリヨンはガラスの靴を落として行ったが、春の妖精は扇子を落としていくんだ……」

「それよりわたし、お腹が減ったわ」

 白けて言ってみたが、オーレリアンは広げた扇子を胸に押し当てて恍惚としたままだ。兄が惚れっぽいのは今に始まったことではないが、今回はかなり重症だ。

 そうこうするうちに、馬車が屋敷についた。従僕のジルベールが馬車の後ろから飛び下り、すかさず扉を開ける。先に降りた兄の手を借りてクロエは砂利道に降りた。オーレリアンからチップを受け取ると、御者は馬に鞭をくれ、せかせかと引き返して行った。

 擦り切れ気味の毛皮を肩に巻き付け、白い息を吐きながらクロエは屋敷を見上げた。

「……変だわ。灯がついてない」

「節約してるのさ」

 未だ上の空の兄を、たしなめるようにクロエは軽く睨んだ。

「だっておばあさまの部屋にもついてないわ。この時間ならまだ起きていらっしゃるはずよ。もしかして蝋燭の在庫、計算まちがえたかしら。──ただいま!」

 扉を開けるとホールは真っ暗で、どこからも光が射して来ない。クロエは声を張り上げた。

「ジゼル? いないの? ……マドレーヌ!」

 いくら呼んでも返事がない。さすがにオーレリアンも正気に戻ったらしく、不安そうに周囲を見回しながら従僕の少年に命じた。

「ジル、どこかで灯を探してきてくれ」

「はーい。つっても俺、鳥目気味なんスよねぇ……」

 ジルベールはおぼつかない足どりで、壁を探って奥へ歩いて行く。寒さと空腹に身震いしながら待っていると、台所の方から素っ頓狂な叫び声が聞こえてきた。

「姉ちゃん!? ──なんだっ、うわぁっ!?」

 ガランガラン、とけたたましい物音が悲鳴に続く。

「ジル!?」

 縮み上がった兄を置いて、クロエはドレスの裾をからげて走り出した。この際さいわいと言うべきだろうか、装飾品の彫刻や調度類などは売り払ってしまったので、ものに突き当たる恐れはほとんどない。

(確か、この辺に薪が置いてあったはず……!)

 階段の下を探り、手頃な大きさの薪を掴んだ。以前ホールに飾っていた先祖伝来の騎士の鎧があれば剣を使うこともできたのに、帯剣貴族の誇りも質草に入って久しい。

「この、狼藉者ーっ」

 せめてもの威嚇で雄叫びを上げながら台所に飛び込むと、目の前で火花が散った。ぼっ、と暗闇に炎が灯り、ぬう~っと女の顔が浮かび上がる。

「きゃあああああっ」

「あれまぁ、すごい声だね。あたしですよ、お嬢ちゃま(マ・プティット)

 聞き慣れた朴訥な声がして、クロエはごとんと薪を取り落とした。痩せたクロエの倍ほども横幅のあるたくましい料理女が、呆れた顔で突っ立っていた。

「マドレーヌ……! 無事だったの?」

「ばか! ジル、どいてよ! 重いっ」

 床からわめき声が上がる。見れば椅子に縛りつけられた格好でジゼルが横倒しになっていた。その腹の上に弟が突っ伏し、床にはいくつもの鍋が乱雑に転がっている。

 安堵のあまり、クロエはへなへなと床にへたり込んだ。

 ようやく起き上がったジルベールが、ぎゃんぎゃんわめく姉に閉口しつつ束縛を解く。どうやら猿轡を外してやろうとして何かに蹴躓き、泡をくって椅子ごと姉を押し倒す格好で倒れたらしい。

「いったい何事……!?」

「押し込みですっ!」

 恰幅のよい料理女は眉をつり上げ、蝋燭に次々火を灯しながら勢い込んで叫んだ。

「お、押し込みって、強盗……!? そんな、何でうちみたいな見るからに貧乏な家に」

「そんなこたわかりませんが、お嬢さんがたがお出かけになってしばらくしたら覆面をした黒装束の奴らが押し入ってきて。銃とナイフを突きつけて、あたしらを椅子に縛りつけたんです。そんときとっさに胸と腹を思いっきりふくらませて、ヒモがゆるむようにしてやりましたわ」

「まぁ、機転がきくのね。さすがマドレーヌ」

 褒められた料理女は得意気に団子鼻をこすった。

「そんでも縄目を解くのにえらいかかってしまって。やっとこさ解いたところへちょうどジルが帰ってきたんですよ」

 やっと解放されたジゼルは、気の立った猫みたいに歯を剥きだした。

「それがこの慌てん坊は! 人を蹴倒すし、鍋は叩き落とすし!」

「蹴ってない! 助けようとしたんだっ」

「それより大奥様が心配だよ。さっきからお声も聞こえねぇ」

「そ、そうだわ」

 クロエは燭台を引っ掴み、慌てて台所を飛び出した。走っていくと、ホールの階段下ではオーレリアンがまだおろおろしていた。

「いったいどうしたんだ、クロエ。おお、マドレーヌ、何があった」

「強盗ですだ、旦那様!」

「何!? あっ、待てクロエ! どこへ行く。強盗が居残っていたら危ないぞぉ」

「だいぶん前に出て行ったようですけんど……」

「おばあさま! おばあさまーっ」

 クロエは叫びながら祖母の部屋の扉を開けた。真っ暗な室内を燭台で照らすと寝台の中でカトリーヌが白髪を振り乱して激しくもがいていた。後ろ手に縛り上げられ猿轡を嵌められている。慌てて駆け寄り、猿轡を外す。カトリーヌは息も絶え絶えの様子でかすれた悲鳴を上げた。

「わ、わたしの宝石っ……」

 とまどって後退った足先に何かがあたる。屈み込んだクロエが拾い上げたのは、祖母の宝石箱だった。カトリーヌは箱をひったくり、中を覗き込んで茫然とした。箱は空っぽで、小さな指輪ひとつ残っていなかった。

 調べてみると、もともと盗られるものとてろくになかったとはいえ、それでも少しは残っていた金品、宝石、貴金属類はすべてやられてしまった。わずかな銀器も全滅だ。

 とりわけオーレリアンにとってショックだったのは、父の形見のピストルが持って行かれたことだった。さらに礼装用の剣も盗まれた。

「こっ、これでは宮廷に上がれないではないか……!」

「大丈夫よ、お兄様。パレ・ロワイヤルにもチュイルリーにも当分行く予定はないから」

 身も蓋もないクロエの言いぐさは、頭を抱えて苦悩するオーレリアンにとって何の慰めにもならなかった。


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