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第一章 危険な仮面舞踏会(5)

 クロエは目を怒らせ、ずいっと前に出た。

「ちょっと。誰が子どもですって?」

「きみ以外に誰がいる」

「わたしは十六よ! それに、れっきとした招待客!」

「嘘はいかん。どう見てもせいぜい十二歳だ」

「なっ……! あなた、どこを見てるの!?」

「どこって、そりゃあ──」

 青年は大きく開いたデコルテ辺りを無遠慮に検分している。ムッとしたクロエは腰に手を当て、せいいっぱい胸を突き出した。

「……十三歳かな」

「だから十六!」

 クロエは頭に来て自分の半仮面をむしりとった。

「これでも子どもに見える!?」

 青年が仮面の向こうで目を瞠る。外した仮面を急いで顔に押し当てると、ぷっとユーグは噴き出した。赤面し、クロエはやぶれかぶれに叫んだ。

「あなたも外しなさいよ! 不公平だわ」

 肩をすくめた青年が、無造作に仮面を外す。クロエは思わず息をのんだ。深い碧にも群青色にも見える、不思議な瞳だった。くっきりとした眉に、すらりと細く高い鼻梁。絶妙なラインを描いて微笑む薔薇色のくちびる。白く滑らかな頬は、東洋の冷たい陶器を思わせる。

 兄ほど美しい男はいないと思っていたのに──。

「これでいい?」

 面白がるような声音で訊かれ、クロエは慌てて目を逸らした。

「……いいわ」

 頬が熱い。うつむいて黙り込んだクロエを、ユーグはなだめるような口調で促した。

「少し外の空気にあたるといい。こっちへおいで。大丈夫、何もしないよ。僕は彼と違って人妻専門だからね」

 ぬけぬけと言われて呆れ返る。

「さっきの人、知り合い?」

「まぁね。彼には本当に気を付けた方がいい。未婚だろうが既婚だろうがお構いなしのうえ、好みの顔さえしていれば男女の別も問わないから」

 クロエは顔を引きつらせた。いくら今のご時世が乱れていても、それはあまりにひどすぎる。

(わたし、本当に危機だったんだわ……)

 今になってクロエはぞっとした。

 ユーグはバルコニーに続く両開きの扉を細く開いた。冷たい冬の夜気が流れ込んでくる。クロエは椅子のひとつに座り、窓際で外を眺めているユーグをそっと盗み見た。

 ごく淡い金髪……というより、冴えた銀灰色の髪色が、差し込む月光に映える。波うつゆたかな髪を結んでいるのは上着ジュストコールに合わせた水色のリボン。中に着たウェストコートと膝丈ズボン(キュロット)は濃い青で、靴下は真っ白な絹。彩りのせいか、まるで体温のない幻影のように思える。

 兄と甲乙つけがたいほどの美青年だが、ひどく対照的でもあった。オーレリアンの美貌がひだまりだとすれば、彼のそれは月光に照らされた静かな夜の湖だ。底知れない深みを内に秘めた、謎めいた美貌。その水面の下には何がひそんでいるのだろう……。

 しばらくして彼は窓を閉め、振り向いた。正面から見つめられ、どきんと心臓がはねた。ユーグは不思議な魅惑をたたえた瞳でじっとクロエを見つめ、優雅に小首を傾げた。

「彼の悪食も相当進んだみたいだな。これのどこがよかったんだろう」

「これ……!?」

「まぁ、ごちそうを喰い飽きて珍味がほしくなったのかも」

「どういう意味よ!? わたしには魅力がないって言いたいの?」

「少なくとも僕の食指は動かない。安心したまえ」

「馬鹿にしないで! わたしはもう十六なんですからねっ、立派な大人よ! それにわたしはこれでも──」

 はっと言葉を切ると、ユーグは面白そうにクロエの顔を覗き込んだ。

「これでも、何?」

「何でもないわっ」

 青年が耳元で忍び笑うと、腰の辺りがぞくりとした。先ほどフロンサック公爵に迫られた時は嫌悪しか感じなかったのに、いまの戦慄は何だか違う気がする。

「お嬢さん。僕に口説かれたかったら、人妻になって出直しておいで」

「だ、誰があなたなんかに! あなたもフロンサック公爵と同じよ! この悪党ルエっ」

 さもおかしそうにユーグは笑い、半仮面ルゥを付けなおした。

「では、悪党ルエは退散してお嬢様の騎士シュヴァリエを探して来るとしよう。誰を呼べばいい?」

「ヴュイヤール侯爵を呼んでちょうだい」

 思いっきり高飛車に命じると、ユーグは驚いたように振り向いた。

「ヴュイヤール侯爵? 彼がきみの騎士シュヴァリエなのかい」

「兄よ。今夜はわたしのエスコート役のはずなのに、ご婦人がたに挨拶に行ったきり戻って来ないの」

「──なるほど。では急いでお連れしよう。おやすみ、お嬢さん」

 ユーグは優雅にお辞儀をして去って行った。

「何よ! ばかにして……」

 ひとりになると悔しさがぶり返し、クロエは足をバタバタさせた。勢いで片方のミュールが脱げ、飛んで行ってしまう。クロエは息を切らし、怒りに潤んだ瞳で扉を見つめた。

「あの悪党ルエ。ちゃんと名乗りもしないで」

 ちょっとばかり顔が綺麗だからって何よ。女は誰でもなびくと思ったら大間違いなんだから。わたしはお兄様のお蔭で綺麗な顔には慣れてるの。

「……そうよ、あいつだってお兄様を一目見ればきっと焦るわ。自分がいちばんいい男だなんて思ってるなら、そんなの大間違いだって思い知れ!」 

 憤然ともう片方のミュールを投げつけた瞬間。

「クロエ! 貧血起こしたって本当──」

 ちょうど扉が開き、泡を食って駆け込んできた兄の美貌に、ミュールのかかとが激突した。


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