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第一章 危険な仮面舞踏会(4)

 うさんくさい気もしたが、ひとりで歩き回って妙な誤解をされるよりマシかもしれない。

 シトルイユ夫人のサロンは大変開放的だと評判だ。つまり、どこの誰だかわからない人物が混ざっている可能性が高い。

 会場には、明らかに玄人と思われる色っぽい女性の姿も目についた。

 クロエはさりげなく青年を観察してみた。露出している鼻筋や顎の線はなかなか整っている。たぶん二十歳前後、兄と同じような年頃だろう。

 背はそう高くはないが、低いというほどでもない。靴のかかとを差し引きしても、小柄なクロエよりはだいぶ高いだろう。

 ボタンホールに金とダイヤモンドをあしらった上着ジュストコールとウェストコートは手の込んだ織物製で、裾が綺麗に広がっている。かつらは使わず、明るい栗色の髪を後ろで束ねて薔薇色のリボンで結んでいた。瞳は鮮やかなコバルトブルー。

 実際、かなりの美男子なのだろう。己の容姿に自信を持っていることが、何気ないそぶりからじゅうぶん窺える。やたら綺麗な兄の顔を見慣れているので、ある意味美形慣れしたクロエは別段どぎまぎもしなかった。

 青年の腕を取って歩きながらあちこち目を配ったが、兄の姿はどこにも見当たらない。

「暑くありませんか」

「えっ。ええ、そうですわね。そう言えば」

 青年はぱちんと指を鳴らして通りがかった給仕を呼び止め、シャンパングラスをクロエに差し出した。

「ありがとう」

「あなたの美しい瞳に、乾杯」

 かちんとグラスが鳴る。クロエは引きつった笑みを浮かべてグラスを口許に運んだ。

(なんかこの人……ものすごく怪しいかも……)

 さっきから喉が渇いていたので、一口でうっかり半分ほど空けてしまった。クロエは酒にそれほど強くない。しかもほとんど何も食べていなかったため、とたんに頭がくらっと来た。

 すかさずクロエを支え、青年が囁いた。

「座って休まれてはいかがです? ここは騒がしいし、空気も悪いですからね。少し別室で休憩しましょう」

「ええ……、そうね……」

 言われるままにホールを抜け、控えの間に入った。ホールに隣接して、ゆっくり話し込みたい客向けに肘掛け椅子や長椅子が置かれた部屋がいくつか用意されている。扉が開いて中から談笑する声が聞こえてくる部屋もあった。

 青年が案内したのはホールからもっとも離れた小部屋だった。照明の押さえられた部屋に連れ込まれたときはドキッとしたが、青年が扉を細く開けたままにしておいたのでホッとする。

 長椅子に座り、楕円形の猫脚テーブルに半分残したグラスを置いて、クロエは繻子張りの背にもたれかかった。

 火照る顔を扇子で扇ぎながらぼんやり上向くと、天井が回っていた。空きっ腹にアルコールはやはりまずかった。

 青年はクロエの隣に座り、いきなり身を寄せてきた。

「ちょ、ちょっと……っ」

 近すぎるっ、と慌てて立ち上がろうとしたが、腕を掴まれて引き戻されてしまう。

「どうして逃げるんです、可愛いひと」

 青年は耳朶にくちびるが触れそうな至近距離で甘く囁いた。反射的に鳥肌がたつ。この状況はまずい。非常にまずい。逃げようともがくクロエを押さえ込み、青年が顔を近づけてきた。

「あなたが誘ったのに、今さら怖じ気づいたんですか。大丈夫、怖がることはありません」

「だっ誰が誘ってなんか……っ。ちょっ、離してよ! 誰かっ……」

 叫ぼうとすると手で口を塞がれた。仮面の奥でコバルトブルーの瞳が笑う。炎暑の夏空みたいな、イカレた青い瞳が。

 ぞっと恐怖が背筋を伝い、クロエは無我夢中で男を突き飛ばした。立ち上がったとたん、背後からきつく抱きしめられる。

「離してよ!」

「威勢がいいな、そそられる」

 がらりと口調を変えて男が囁いた。

「離してってば! 人を呼ぶわよ!」

「どうぞ、マドモワゼル。自分の評判を落としてもいいのなら、ね」

 くすくす笑った男がクロエのうなじをなめた。男の顔面に肘鉄をめり込ませる寸前、呆れた声音が戸口の方から聞こえてきた。

悪戯おいたはそれくらいにしたらどうです」

 いつのまにか、扉に軽くもたれるように半仮面をつけた若い男が立っていた。背後で男が溜息をつく。

「……使用中だとわかるように扉を開けておいたのに」

「見て見ぬふりをするには相手が若すぎるように思えましたので。フロンサック公爵」

 身体を押さえつけていた力がゆるむ。クロエは脱兎の如く飛び出し、扉に駆け寄った。男はふてくされた声で呟いた。

「仮面舞踏会で名前を呼ぶなんて無粋すぎるぞ、ユーグ」

「あなたの振る舞いもね。世間知らずの小娘をたらし込んだところで、非難はされても何の自慢にもなりませんよ」

「ふん。愛の狩人の守備範囲は広いのさ」

「あ、あなたなんか鹿に変えられて猟犬に八つ裂きにされるのがオチよ!」

 平然とうそぶく男にキレて、クロエは叫んだ。男はニヤニヤしながら立ち上がり、芝居がかったお辞儀をした。

「可愛らしいアルテミス。ぜひまたお会いしましょう。今度は邪魔の入らないところで」

「誰がっ」

 憤激するクロエに流し目を送り、フロンサック公爵は悠々と部屋を出ていった。扉にもたれていた青年──ユーグが、嘆息しながら身を起こす。

「……ったく。きみはどこのお嬢ちゃんだ? ここは子どもが来るような集まりじゃない。さっさと帰りなさい。いったいどこから紛れ込んだんだか」


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