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第一章 危険な仮面舞踏会(2)

(また始まった)

 うんざりしつつ、それでもクロエは殊勝に耳を傾けるふりをした。

(宮殿にお部屋と言ったって、屋根裏の隅っこの、夏は蒸し風呂で冬は水差しに氷が張るような狭ーい部屋だったんでしょ……)

 若い頃、女官をしていたときの思い出話は耳にタコができるほど聞かされている。

 祖母にとってはきらきらしい過去の栄光なのだろうが、そんな思い出は腹の足しにも辻馬車代にもならない。

「ねぇ、おばあさま。大王陛下が昨年みまかって、ヴェルサイユの宮殿は空き家になってしまったのよ。今は摂政公のいらっしゃるパレ・ロワイヤルが宮廷なのだし、世間もいろいろと変わって──」

「いいえっ、宮廷は新王陛下のいらっしゃるチュイルリーです!」

「あー、はいはい、わかりました」

 祖母は頑として言い張った。

「オーレリアンには、ぜひとも身分と持参金額の高い嫁をもらわなければなりません。顔や性格なんてどうでもいいわ。早いとこ跡継ぎを作らなきゃならないから、あまり歳を取っていると困るけど。それからクロエ、おまえももう少し身なりに気をつかいなさい。そんな地味なドレスじゃ、侍女と区別がつかないじゃないの」

 いきなり話を振られてクロエは焦った。これでも髪はきちんと結っているし、身だしなみには気を配っているつもりなのだが。

 どこが気に入らないのか問いただそうとしたが、カトリーヌはクロエの抱えていた本を取り上げると、わずらわしげに手を振った。

「もういいわ。ひとりにしてちょうだい」

 クロエは化粧道具を抱えたジゼルと廊下に出た。

「ねぇ、ジゼル。わたしの格好って、どこか変?」

「とんでもない。きちんとしていらっしゃいますよ。そりゃ、若い女性にしては少々お召し物が地味ですけれども」

「仕方ないわ。見栄えのするものは売ってしまったし。それにしてもおばあさま、妙に不機嫌ね」

「きっと、お嬢様のお嫁入りのことで悩んでいらっしゃるんですよ。お嬢様ももう十六におなりですから」

「持参金ゼロのわたしをもらいたがる人なんか、いるわけないわ。だいたいおばあさまは高望みしすぎなのよ。お見合い話も前はそこそこあったのに、おばあさまがわがまま言うから全然来なくなっちゃった」

「クロエ様は侯爵令嬢ですもの、つりあう方を探したいのでしょう。──その、以前の方よりも」

 言いにくそうにジゼルが呟いた最後の言葉を、クロエは故意に無視した。

「爵位が高くても、こんなに落ちぶれてしまってはね。パリでは何をするにもお金がかかるから、先立つものがないのはつらいわ。それに、由緒正しいと言ってもあの家系図はかなり怪しいと思うの。絶対、どこかで捏造してるに決まってるわ」

「そうでしょうか……」

 唯一火の気のある厨房に行き、クロエは窓辺でハンカチに刺繍をした。小間物屋に売れば何がしかの収入にはなる。必要に迫られて、クロエの刺繍の腕はぐんと上がった。今ではほとんど唯一の収入源ですらある。

 やがて冬の短い日が暮れ始め、灯の準備をしているとクロエの名を呼ぶ声がどこからか聞こえてきた。

「──お兄様だわ。もう、どうせならどこかで夕飯を済ませてきてくれれば、少しは食料が節約できたのに」

「クロエ! クロエ、どこだ?」

「ここよ、お兄様。台所」

「おお、いたか、我が愛らしき妹よ」

 金色の豊かな巻き毛を後ろで束ねた青年が、ニコニコしながら大げさにクロエを抱きしめ、両頬にくちづけた。

 オーレリアンはまもなく二十歳。妹と同じ金髪に深い青の瞳をした美青年だ。我が兄ながら、まったく天使のごとき美貌だと見るたびに思う。残念なのは、頭の中身もある意味『天使』なこと。

「やけにご機嫌ね。さてはまた綺麗な女の人にのぼせ上がっているんでしょう」

 後ろに控えた従僕の少年に、視線で尋ねる。くたびれたお仕着せ姿の少年はジルベールといい、ジゼルの弟だ。少年は主人の背後でぶんぶん首を振った。どうやら女性関係で浮かれているわけではないらしい。

「いやだな、クロエ。そんな、美女とみればすぐに尻尾を振る犬ころみたいな言い方しなくたっていいじゃないか」

 みたいじゃなくてそのものだ、と周囲の人間全員が胸のうちで秘かに思った。

 オーレリアンにはそのたぐいまれな美貌でも補いきれない欠点がいくつもあるのだが、その筆頭が美女に弱いことであった。

「そうじゃなくて。ほら、これ。招待状だよ。僕とクロエ両方に」

「招待状? 何の」

「もちろん舞踏会さ! 今は社交のシーズン真っ盛りじゃないか」

「いってらっしゃい、がんばって」

 にべもなく、クロエは兄を押しやった。

「何を言ってるんだ、クロエ。おまえも行くんだよ! 迎えの馬車も来てくれる。ほら、シトルイユ夫人がちゃんと手書きの招待状をくれた」

「シトルイユ夫人? あのひとの夜会ってあんまり評判がよくないわよ。招待客の人選が大雑把すぎるって」

「おおらかなひとなんだよ。身分だけで差別したりしないんだ」

「よく言うわ! 去年だってあのひと、寄宿料を滞納して修道院を追い出されたわたしが気の毒だー、なんて言って夜会に招待して」

「親切じゃないか」

「危うく腹の突き出た成り上がりのやもめ男に押し倒されそうになったのよ!?」

 初めて招待された舞踏会で、浮かれて警戒心が吹っ飛んでいたことはまるごと棚に上げ、クロエは憤然と叫んだ。

「まぁまぁ。シャンパンの飲みすぎで酔っぱらってたんだ。悪気はなかったと思うよ」

「いいえ、下心満載だったわ!」

「それはね、クロエ。おまえがとっても可愛いからだよ。まるで天使のように愛くるしい、僕の大切な妹──」

 フン、とクロエはそっぽを向いた。

「お兄様に言われると、空々しくて鳥肌たっちゃう」

「なんてひどいことを」

 オーレリアンはハンカチで目頭を押さえた。

「苦労しすぎてひねくれてしまったんだね。妹よ、ここはぜひとも楽しまねばならない。大丈夫、騎士の如く忠実に、僕がずっとついていてあげるから」

 あの手この手で同意をとりつけようとする兄に、クロエは腰に手を当てて嘆息した。

「──悪いけど、本当に着ていくものがないのよ。恥かきたくないの」

 それまで黙って見守っていたジゼルが突然声を上げた。

「そんなことですか! 大丈夫です、お嬢様。一張羅が残ってますよ。少し形は古いけど、工夫してみますから。あたし、お使いのとき洋品店のウィンドウをいつも見てるんです。散歩中の貴婦人なんかもできるだけ細かく観察してます。せめてお嬢様のお召し物にリボンのひとつなりとも取り入れられないかと思って」

「えらいぞ、ジゼル。侍女の鑑だ!」

「えーっ、わたし本当に行きたくない……」

「頼んだぞ。なるたけ我が妹を可愛く魅力的に見せてくれたまえ」

「おまかせください!」

 ここぞとばかりにジゼルは張り切る。本人そっちのけで話はどんどん進んでいった。


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