第三章 究極の選択と危ない駆け引き(4)
「だ、だって恥ずかしいじゃないか。酔っぱらって家紋入りの指輪を落としたなんて……。それに、家紋入りだからそのうちきっと出てくると思ったんだよ」
確かに出ては来た。とんでもないところから。
「お兄様。その借金はムッシュウ・ベクレルに渡した借金リストには入っていないのね」
「入ってるわけないよ。身に覚えがないんだから」
オーレリアンは髪を掻きむしった。
「ああ、どうしよう。身に覚えはないが、絶対にやってないという確信もない! あの夜はつい飲みすぎてぐでんぐでんに酔っぱらっていた。記憶が飛んでる。気がついたら自分の部屋で寝てたんだ。もし本当に借金を作ってしまったとしたら、契約違反だ。バレたら婚約が破談になってしまう。ああ、僕の妖精! ブランディーヌと別れるなんて、僕にはできない……!」
「お兄様には悪いけど、持参金のほうがよっぽど問題よ。持参金をあてにして生活必需品をツケ払いで買ってしまったの。食料品とか薪とか下着とかいろいろ。お兄様の素敵な襟飾りもね」
オーレリアンは真っ青になった。
「ど、どうしよう……。一週間以内に返さないと、パドルー氏の代理人に借金のことをバラすって、あいつ言ってた」
これ以上借金を重ねないことが結婚の絶対条件なのだから、パドルー氏方面から金を借りるわけにはいかない。
「困ったわ。そんな大金、どうやったってひねり出すのは不可能よ。お兄様、お友だちから借りられないの?」
「もう限界まで借りてる。借金王と呼ばれてるくらいなんだ。もうビタ一文貸してくれないよ。だいたい僕の友だちは、それほど裕福な家のものじゃないんだ」
それもそうだ。そもそもオーレリアンは彼らのカモにされていたくらいなのだから。人のよいオーレリアンを連れ回し、賭け事にのめり込ませた不良ども。
摂政公の時代になって、放蕩貴族の行状はますますひどくなった。賭け事に暴力ざた、無神論者と公言してはばからず、女と見れば誘惑し、シャンパンをがぶ飲みして夜毎どんちゃん騒ぎを繰り返す。
手のつけられない放蕩者たちは悪党とも呼ばれる。もともとは車裂きの刑に処せられた者を指していたのが転じ、今ではたちの悪い色事師や遊び人を指す言葉となっている。
これまでクロエは、悪い仲間とつるむのはやめてくれと何度も兄に頼んだ。それでも兄は、困ったような顔をして、友だちなんだと言い訳する。いいように利用されているだけなのに。
悪友のひとりがクロエに言い寄った事件以来、さすがにその友人とは縁を切り、仲間を家に招くこともなくなった。もっとも、それは家の状態があまりひどくなり、呼びたくても呼べないというのが本音かもしれないが。
クロエはそんな兄が情けなく、一方で世渡り下手な不器用さが腹立たしくもいとおしくてたまらない。泣きつかれれば、ついかばって甘やかしてしまう。
ふと、オーレリアンが顔を上げた。
「そういえばあいつ、妙なことを言ってた。隠してるお宝があるだろう、みたいな」
「お宝? 何のこと?」
「さぁ……。何のことだと問いただすと、わかるはずだとニヤニヤするばかりで。頭に来てつい怒鳴ったら、あいつ、意地も張りすぎると破滅しますよ、なんて、脅しめいたこと言って」
クロエは首を傾げた。
「何のことかしら。うちにそんな価値のあるお宝なんてあった?」
「思い当たらないなぁ。宝石だってめぼしいものは売り払ってしまったか、質に入ってる。手元にあった小さいやつさえこないだの強盗に持っていかれてしまったしね」
オーレリアンはクロエの手を取った。
「……残っているのはこれだけだな。母上の形見のサファイア。もちろん売る気はないけど」
「思い出の価値は、お金じゃ計れないわ」
クロエはそっとサファイアを撫でた。
「この宝石を見るたびに、お母様の瞳を思い出すの。そっくりじゃない? 紫がかった青い瞳。お母様は本当に綺麗な瞳をしていらしたわ」
「おまえの深い青の瞳も綺麗だよ」
「お兄様もね」
くすりとクロエは笑った。金髪と深みのある青い瞳はふたり共通だ。クロエは指輪を外し、兄に渡した。
「これ、預かってて。とにかく真相を確かめる必要があると思うの。わたし、ガストン・ダリエの店に行って話を聞いてくる」
「ええ!? おまえをそんなところへ行かせるわけにはいかないよ。僕が行く」
「だめよ。お兄様が行ったのでは丸め込まれて、下手をすれば借金が増えてしまうかもしれないわ。お兄様は当分外出禁止。わかった? もし遊びに行きたくなったら、この指輪を見てお母様を思い出すのよ」
クロエは戸口でおどおどと様子を窺っていた召使の姉弟を振り向いた。
「ジゼル。お兄様が抜け出さないように見張ってて。屋敷から一歩でも出したらだめよ。それから、このことがおばあさまの耳に絶対入らないように。ジル、わたしに付いてきてちょうだい」
「で、でもお嬢様。危のうございます。下町にはスリやかっぱらいだけじゃなく、もっと危険な連中も……」
「ジルが一緒にいれば大丈夫よ。それにわたし、ちょっとは腕に覚えがあるの。ね、お兄様」
「それを認めるにやぶさかではないがね、クロエ……」
「だったら、ステッキ。貸してくれるわよね?」
にっこりと、クロエは手を差し出した。




