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第三章 究極の選択と危ない駆け引き(2)

「でもおばあさま、タラとか舌ビラメとかお好きじゃないですか」

 オーレリアンがとんちんかんなことを言い出す。クロエは兄に肘鉄をかませ、恫喝めいた低声で囁いた。

「黙っててよ、お兄様。だいたい魚はもう扱ってないんでしょ!」

「……そうでした」

 妹に睨まれ、オーレリアンが身を縮める。クロエはこほんと咳払いをした。

「おばあさま。この際ぶっちゃけて言いますけど」

 とたんにカトリーヌがくわっと目を見開く。

「何ですか、その口のききかたは!? クロエ、おまえは侯爵家の令嬢なのですよ。そんな下層階級のような言葉を使うものではありません! さてはジゼルの影響ね。あんな浮浪児あがりの姉弟、雇うんじゃなかったわ」

 クロエはむっとして言い返した。

「ジゼルもジルベールもいい子です! 今どきこんな薄給でこれだけ忠実に仕えてくれる人間なんていません!」

 情けないことに、その薄給さえなかなか支払えないでいるのだ。頭に来たクロエは箍が外れたように喋りだした。

「正直に申し上げますわ、おばあさま。我が家の家計は火の車です。いつ破産宣告されてもおかしくありません。この家だってずっと以前に抵当に入ってるんですよ。このままでは領地にある先祖伝来の城に引っ込むしかありません」

「このわたしに、あんな蝙蝠の巣窟に住めと言うの!?」

「僕もいやだなぁ。蝙蝠だけならまだしも、あそこは蜘蛛の巣だらけで、蛇やとかげが出るんだよ。うちよりひどく雨漏りするし……」

「お兄様ッ」

「ごめん、黙る」

「わたしは絶対イヤですよ! あんな城で暮らしたら神経痛が悪化して死んでしまうわ。今だって冷え込んだ日はひどいのよ、頭痛だってするし!」

 クロエはにべもなく首を振った。

「とにかくうちは貧乏なんです。いくら由緒正しい家系だろうと、貴族の誇りでお腹はふくれません」

 確かに埃じゃお腹いっぱいにならないなぁ、とオーレリアンがくだらない冗談を呟いたが一切無視した。

「もうどうしようもないんです、おばあさま。にっちもさっちもいきません。ただでさえ逼迫してたのに、先日強盗に入られて宝石や蓄えも持っていかれてしまったんですから」

「ああ、わたしの宝石……! デムラン伯爵さえお元気だったらねぇ。こんなことにはならなかったのに」

 祖母の言葉に、クロエは凍りついた。気付かずカトリーヌはぐちぐちとこぼし続ける。

「あんなことにならず、クロエが奥方になってさえいれば、じゅうぶんな年金が入って万事うまく行ったのに……」

「おばあさま!」

 蒼白になった妹の表情を見て、オーレリアンが慌てて抗議の声を上げる。カトリーヌはそっぽを向いたまま、愚にもつかない繰り言を吐き続けた。

「それしたってひどい話よ。結婚契約書を正式に交わしたのだから、たとえ死んでもお金は支払うべきでしょう。それを、裁判所はあちらの遺族の味方ばかりして、わたしたちには──」

「おばあさま、いい加減にしてください!!」

 窓ガラスがふるえるほどの音量で、オーレリアンは怒鳴った。カトリーヌは目をまんまるく見開き、ぽかんと孫を眺めた。いつも温和でニコニコしている孫息子がこめかみに青筋をたて、怒気もあらわに拳をふるわせている。カトリーヌは言葉を呑み込んだまま固まった。

 気まずい沈黙が部屋に流れる。うつむいていたクロエは、自らの手をきゅっと握り合わせ、低声で続きを話し始めた。

「……どうしてもこの結婚に反対されるのであれば、わたしたちの生活は早晩立ち行かなくなります」

 ゆっくりとクロエは顔を上げ、まだ青ざめてはいるものの決然とした表情で祖母を見つめた。

「蜘蛛の巣城に引っ込んで、貴族とは名ばかりの自給自足生活をするか、パドルー嬢の持参金で屋敷を修理して快適に暮らすか。どちらか選んでいただかなくては」

 究極の選択を突きつけられ、カトリーヌは押し黙った。長い長い沈黙が続き、やがて祖母はしぶしぶと口を開いた。

「……結婚契約の内容によるわ」

 オーレリアンが軽く息をのむ。クロエは、よしっと心の中で拳を握った。

 ブランディーヌの父親は裕福な実業家で、他に娘はいない。たったひとりの愛娘が侯爵夫人になれるのならば、持参金の出し惜しみなどしないはずだ。

 官職を買って平貴族になれても爵位はなく、社交界に出れば成り上がりとばかにされる。爵位が高い旧家であることだけがウリのヴュイヤール家は嫁がせ先としてはうってつけであろう。

「頭が痛くなったわ。出て行ってちょうだい」

 不機嫌な声で祖母が退室を命じた。廊下に出ると、オーレリアンがすまなそうな顔でクロエの腕を取った。

「ごめん、クロエ。いやな思いをさせたね」

 軽くかぶりを振り、クロエは笑った。

「気にしてないわ。それよりよかったわね、お兄様。ここまで来れば、あと一歩よ」

「おまえのお蔭だよ。次はおまえのお婿さんを探さないとね」

「しばらくはけっこうよ。わたし、小姑になって新婚夫婦の邪魔してあげる」

「ブランディーヌをいじめないでおくれよ」

「あら、そんなことしないわ。お姉様になってと頼まれたんだもの」

 おどけてみせると、オーレリアンは笑って妹の肩を抱きしめた。


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