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第二章 春の妖精あらわる?(4)

 翌朝。クロエは台所のかまどの側で薄い野菜スープを木のさじですくいながら、必死にやりくりを考えていた。

 オーレリアンはまだ寝ている。昨夜はショックのあまり意味もなく自室を歩き回る気配がいつまでも続いていた。叩き起こしたところでどうしようもないので、放っておくことにする。

 兄が頼りにならないことはわかっていても、こんなときにはさすがに情けない気分になってしまう。顔を見ると厭味が出そうだ。

 怒って言い返してくればまだしも、兄はきっと心底すまなそうにしょんぼりとうつむくだけだろう。そんな兄を見たらかえって罪悪感を煽られてしまう。だから見ないほうがいいのだ。

「……こうなったらいよいよだわ。思い切ってこれを使いましょう」

 クロエは料理人と侍女と三人でテーブルを囲むと、虎の子のルイ金貨を一枚置いた。マドレーヌとジゼルが同時に息を呑む。クロエは弱々しく笑った。

「もしものときのために、スカートの縫い目に隠しておいたの。服まで盗まれなくてよかったわ。あと何枚かあるから、しばらくはこれでもつでしょう」

「でも、お嬢様……」

「いいのよ。お金は使うためにあるんだから。……ごめんなさい、本当はここからあなたたちのお給金を出すべきなのだけど」

「いいんですよ、お嬢ちゃま(マ・プティット)。あたしら、住むとこも着るものもあるんだから」

 マドレーヌの言葉に、涙ぐんでジゼルも頷く。

「あたしはお嬢様のお側にいられれば、それでいいんです。孤児だったあたしと弟をひきとってくださったのはお嬢様ですから」

「いやぁね、ジゼルったらいつまでも。そんな昔のことはさっさと忘れてしまいなさい」

「いいえ、絶対忘れません。それにあたし、お嬢様も旦那様も大好きですから。正直、旦那様にはもう少ししっかりしていただきたいとは思いますけど……」

「そうね。でも、お兄様はあれで──、……誰か表に来た?」

 案内を請う声が聞こえたような気がして、クロエは顔を上げた。腰を浮かしたジゼルが耳を澄まし、すぐに座り直した。

「ジルが出たみたいです」

 こちらへやってくる気配はない。

 クロエはうら悲しくなるほど軽い財布から銀貨を取り出し、金貨の隣に置いた。

「エキュ銀貨もまだ少し残っていたわ。これ、やっぱりどこかに隠しておいた方がいいと思う? それともいつも持ち歩いたほうが安全かしら」

「そうですねぇ……」

 まさかまた強盗が入るとも思えないが、用心に越したことはないだろう。三人で思案していると、ばたばたと足音がしてオーレリアンが駆け込んできた。髪は寝乱れたまま、寝間着にガウンを引っかけて、寝床から這い出したばかりと見える。

 あっけにとられる三人にはかまわず、オーレリアンは叫んだ。

「ジゼル! 今すぐ身繕いをしたいんだ。湯を用意してくれ」

「お兄様? 何をそんなに慌ててるの」

「出かけるんだ。待ち合わせだよ。手紙が来たんだ」

 興奮してふるえる指先から、折り畳まれた便箋を受け取る。広げてみると、昨夜の扇子と同じ香りがした。

「……春の妖精さんね」

「そうなんだ。いま使いの者が来てね。確かに扇子をお預かりしているといったら、この手紙をよこした」

 ざっと読んだ手紙には、扇子を拾ってくれた礼と、お礼かたがたぜひお目にかかりたいという趣旨のことが流麗な女文字で書かれていた。

「ごらんよ、なんて繊細な文字なんだろう。実にあのひとらしいじゃないか」

「本人が書いたとは限らないでしょ」

「おまえは疑り深いねぇ……。いいや、そんなことはない。これは絶対あのひとの直筆だ。とにかく会わなきゃ。なるべく身ぎれいにしてめかし込んで行かないと」

 ふっ、とクロエは溜息をついた。

「のんきでいいわね、お兄様は。こんなときにデートだなんて」

 つい厭味な口調になってしまった。気まずそうに振り向いた兄の顔を見ると、こちらのほうがよけいに気まずい。

「ごめんなさい。別にいいのよ。家にいたって寒いだけだし、出かけていれば薪の節約になるしね」

「……彼女は金持ちだ、たぶん」

「はぃ?」

 何を言い出すのかと目を瞠る。オーレリアンはひどく思い詰めた顔で、自分に言い聞かせるように呟いた。

「こんなときだからこそ、裕福な女性と急いでお近づきになるんだ……!」

「ちょ、ちょっと、お兄様?」

「クロエ。僕の取り柄は顔だけだと言ったね」


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